情報通信産業と電子書籍

2012年4月1日
千葉商科大学経済研究所 所長 上山 俊幸

日本の国内総生産の内訳を見ると、平成20年にリーマンショックが起こるまでの間、経済が停滞しているときでも情報通信産業がそれを支えてきたことが理解できる。しかしながら、この産業が雇用創出の面では芳しい結果を残しているとはいえない。ここ7,8年間の雇用創出のトレンドは横ばいか、もしくは下降している。情報通信産業が労働集約的産業から資本集約的産業への転換過程にあればよいのであるが、その検証はなされてはいない。

日本の情報通信産業の歴史は、これまで米国の後塵を拝する形での発達であったし、残念ながら現在もそれは変化していない。コンピュータの発明に関しては諸説あるが、いずれにしてもコンピュータの開発の中心が米国であったことに異論はないだろう。その歴史の影響を大きく受けて、現在でも日本の組織や家庭で使われるソフトウェアは米国で設計されたものが圧倒的に多い。もっとも身近な例では、MicrosoftのWordだろう。国産のワープロソフトであるジャストシステムの一太郎が多用されていたときもあったが、ある時期からMicrosoftのWordに急速に置き換えられていき、いまでは、国内のデファクトスタンダードとしての地位を奪われてしまい、一太郎は一部の組織を除きほとんど使用されなくなってしまった。世界を牽引するレベルの情報通信産業分野が日本にあまりないというのが実情である。情報通信産業のなかでは、日本が最先端を走ってきたゲームの分野もその地位は揺らいできている。

これまで、WindowsやUNIXをはじめとするオペレーティングシステムは言うに及ばず、情報システムにはなくてはならない存在になっているデータベースマネジメントシステムなども日本で開発されたものではない。また、COBOLやFORTRANといった伝統的なプログラム言語に始まりCやJavaなどのような現在広く使われているプログラム言語に至るまで、一部を除いて米国で生まれ、そして普及した。日本生まれのプログラム言語は定着しなかった。実際、日本でもプログラム言語が作られはしたが、日本語ベースのプログラム言語が世界で普及するには無理があった。ところが、まつもとゆきひろ氏によって開発されたRubyが、日本生まれのプログラム言語としては初めてISO/IEC(国際標準化機構/国際電気標準会議)の標準規格として承認され耳目を集めた。それでも、プログラム言語という基盤であるため、経済への影響という面ではきわめて弱いといわざるを得ない。

インターネットビジネスに目を転じても状況は変わらない。インターネットといってすぐに思い浮かぶAmazon、salesforce.com、Google、Facebookといったグローバルな企業は、周知のように米国で生まれた。日本からは楽天も育ったが、中国からはいったん撤退せざるを得なかった。

一方、情報関連企業を歴史的にみた場合、かつて世界の巨人といわれたIBMは、全盛期において盤石な組織とそれをリソースとして獲得したリピータ顧客を持ち、もはやその牙城を脅かすものはいないと当時は思われていた。しかし、予想を覆すようにMicrosoftやIntelによって世界を制した巨人は大きなダメージを受けた。そのMicrosoftもまた世界を席巻したと思われていたが、同じようにGoogleに脅かされている。そしてまた、GoogleもFacebookなどの新しく起こった企業に競争を挑まれている。

このように情報通信産業の歴史を概観すると、圧倒的に市場を支配し、高い評価を得て安定しているかに見える企業も、大きな環境変化にさらされていることがよく分かる。現在、株式市場で高い評価を得ているAppleもイノベーションを起こしながら新しい商品やサービスを提供し続けなければならない運命にある。

このことから、市場は絶えず変化し、そのことによってどの企業にもチャンスはあるという自明の論理を再確認できる。しかも、世界を席巻してきた企業の多くが、一人あるいは少数の人のアイデアをインキュベートしていくことによって、情報通信産業を変化させることに成功してきたことを思い出せば、米国以外でも、もちろん日本でも産業を牽引する新しい企業が育たないと決めつけたり諦めたりする必要はない。実際、日本でもIT関連ベンチャー企業も立ち上がってきている。

総務省や経済産業省も日本の情報通信産業の将来に危機感を持ち、これまでもいろいろな施策をとってきた。首尾良く目的を達成できることもあるが、そうでない結果がもたらされることもある。たとえば、日本の情報通信産業の成長にとって人材育成が最重要課題の一つであるということを認識して、経済産業省はITSS(ITスキル標準)を開発し、情報処理技術者試験ともリンクさせてその普及を図った。しかし、積極的に導入しようとする企業は少なく、依然として情報通信産業全体の技術水準の低下ひいてはこの産業の衰退が懸念されている。産業の進展に伴う雇用創出は最重要課題でもある。企業にとって、しかもグローバルに展開しようとする企業にとって、人材は日本人でなくてもかまわないのであるが,国の将来のありようや国内の雇用を考えるとき、それでは済まないだろう。

総務省や経済産業省が予算を計上し、情報通信産業の将来の方向性を国内外に示唆し、経済を牽引しようとしているのであるが、すぐに効果は出ないだろう。情報通信産業の大きな発展を目指して、官が民を主導して産業を育成していくような環境ではもはやない。政府が国の経済に関してグランドデザインを描き戦略を立てることは必要だが、遂行段階では法律や教育をはじめとする基盤を整備していくことに徹していかなければならないだろう。直接的積極的な助成は脆弱な情報通信産業を育成してしまい、この産業の停滞、そして将来における経済の地盤沈下を結果するに違いない。

2011年は日本の電子書籍元年と言われたが、これまで進捗が思わしくないのは周知の通りである。さまざまな課題があることは承知しているのだが、利用者からみたときに、電子書籍コンテンツを購入するための書店がネット上にいくつもあることは良いとしても、そのことによって個人のもつデジタルの書棚が分断されてしまったり、データ形式が統一されていなかったりと使い勝手がきわめて悪いという状況が日本のシステムとしての電子書籍の停滞をもたらしている。しかも、利用者の読みたいコンテンツがきわめて少ないことが利用者との距離を縮められない決定的な要因となっている。

Amazonが日本に上陸するということが、かつてのIBMの日本への上陸を彷彿とさせるかもしれない。産業革新機構を経由した株式会社デジタル出版機構への出資は、表面上では政府からの出資が間接的で薄められた緩やかなものであるようにみえる。しかし、詳しく見てみれば、産業革新機構への出資比率は政府からのものが圧倒的に大きいことが分かる。政府がほとんど出資しているといってもよい金額である。そこまでしなければ日本の電子書籍はシステムとして確立できないのかと不安にもなる。日本における電子書籍がどのような過程を経て利用者の支持を得ていくのか、政府が金をだして口を出さないという方法が実現できるのか、あるいはそれでもAmazonが電子書籍市場を席巻するのか、これからの日本の情報通信産業の将来を占う上でも、注視していく必要があるだろう。

最後に、一言付け加えておくならば、日本において複数の大手企業が推進する株式会社デジタル出版機構のようなところにではなく、少人数で始めた有望なベンチャーにもっと出資するような環境とマインドがこれまで以上に求められるということである。

Page Top