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外国語教育の異文化間コミュニケーション論的研究
国府台経済研究第19巻第1号[2008-3-31発行]
太田 信雄
まえがき
本論文集は、平成17-18年度(2005-2006年度)経済研究所の共同研究である。本プロジェクトの参加者は、太田信雄(政策情報学部教授 研究代表)、朱全安(政策情報学部教授 研究分担者)、崔世広(中国社会科学院日本研究所教授 研究分担者客員教授)の3名である。本研究は異なる文化的背景をもつ3人の共同研究者が、英語と中国語と日本語の3言語教育の実態を、歴史的観点から分析し、そこから外国語教育の現代的問題とその解決策を見出すことを目的とする。
第1部では、太田が「諸外国から見た日本の英語教育」と題して、日本の英語教育の現状をグローバル・スタンダードとしてのTOEFLの過去42年とTOEICの過去25年にわたるデータを使って分析する。その分析結果を、欧米諸国(代表としてルクセンブルク)と中国(主として上海と北京)と韓国と日本の4つの拠点の英語教育事情と相互比較する。その中で相互の違いを見出し、そこからアジアで最底辺を低迷している日本の英語教育に対する改革案を提言する。その改革案では、外国語の教授法・学習法、使用教材、学習時間等が具体的に提示され、日本の英語教育に対して実践に裏付けされた改革案が提言される。なおデータはすべてTOEFLとTOEICによって実測されたものである。
第2部では、朱が「木下順庵の外国語意識遡源」と題して、日本における外国語としての中国語を、言語教育の立場から調査、研究をする。木下順庵の学問は朱子学が主軸であるが、学問全般に対しても幅広い対応をしていたので、その門下生たちには多芸多才の人材が集まった。門下生たちにとっては儒学を学ぶことが主目的であるが、彼らは儒学を学ぶための手段としての中国語を学ぶことにも強い関心をもった。順庵の門下生たちは儒学の研究と同時に、得意な中国語を使って、当時の外交、法律、政策制定等の面で、他の学派より活躍していた。なぜ順庵の門下生たちは語学感覚が高いのか、そして彼らの師である木下順庵の中国語に対する意識はどういうものなのかを解明することによって、外国語としての中国語教育の改革案を提言する。この研究はこれで終わりではなく、今後も続けられる。
第3部では、崔が「異文化コミュニケーションと中国の日本語教育」と題して、1)中国における日本語教育の事情、2)異文化コミュニケーションの視点から見た日本語教育、3)中国における日本語教育に残された課題、の3点を検討する。
本プロジェクトの最終目的は、異なる文化的背景をもつ3人の共同研究者がそれぞれの研究を通して、現在、日本で行われている英語教育、中国語教育、日本語教育に対し、外国語教育に共通している問題点を探究し、その改善に向かって一つの改革案を提言することにある。この共同研究は今後も続けられる。
目次
まえがき
Summary
第1部 諸外国から見た日本の英語教育.....太田 信雄
はじめに
1 TOEFLで見るアジア近隣諸国の英語教育の現状
2 TOEICで見る日本の英語教育の現状
3 中国の英語教育と日本の英語教育の比較
4 日本の英語教育の改革へ向けて
5 まとめ
第2部 木下順庵の外国語意識遡源.....朱 全安
プロフィール
1 はじめに
2 異文化感覚による外国語意識の醸成
3 むすび
第3部 異文化コミュニケーションと中国の日本語教育.....崔 世 廣
1 中国における日本語教育の展開
2 異文化コミュニケーションの視点から見た日本語教育
3 中国の日本語教育における課題
東アジアの都市地域社会における対日イメージの形成に関する歴史的研究
国府台経済研究第19巻第3号[2008-3-31発行]
趙 軍
はじめに
本論文集は、千葉商科大学経済研究所プロジェクト「東アジアの都市地域社会における対日イメージの形成に関する歴史的研究」の研究成果をまとめたものである。近年、日本と中国の関係では、経済面での相互依存性が深まる一方で、政治・外交面では「政冷経熱」といわれる時期を体験し、充分に「良好」な関係が築かれているとはいえない。そして、中国の都市地域社会においては、市民の「反日感情」が噴出したかのような事件も頻発している。中国以外のアジア諸国を見ても、程度の差があるとはいえ、対日イメージにおいて複雑な様相を呈している。これらの事象の直接のきっかけは、いずれも現代社会の出来事であるが、その背後には歴史的な暗流が存在している。日本と中国を始めとする東アジア諸国との関係の歴史を、国家間の外交交渉ではなく、地域社会における日常生活の次元から解明しようとするのが、本研究の主な目的であり、特色でもある。以下は各部分の要旨である。
第1部、朽木量の「物質文化からみたマレー半島の日本人移民―墓標に表われた移民社会とその特徴」は、「同化」概念や「エスニシティ」概念を再検討して、移民研究において物質文化研究を行うことの意義を考察し、その上で、彼らの残した墓標を取り上げて、具体的な物質文化研究を行った。
朽木論文は、墓標総数も多い、シンガポール、クアラルンプール、イポー、ペナン、マラッカ、ジョホール・バルの6つの日本人墓地に注目し、そこで看取された傾向性を論じた。その結果、移民の半数は日本国内で一般的に見られる墓標形態と同じものを用いて墓標を立てているが、残りは中国式、西洋式、イスラム式の墓標を転用して多様な墓標を立てていたことがわかった。植民地宗主国である英国の影響による西洋式墓標ではなく、マレー系住民の影響によるイスラム式墓標でもなく、中国式墓標を多用するのは、規模や移民の経緯、国際情勢等からみて、中国人社会を必然的に意識せざるをえないためでもある。その点で、「対日イメージ形成」の基となる当該社会の中での日本人社会の位置付けと中国人社会との関係性が読みとれる。さらに、比較的早い段階から戒名を記した墓標が多数見つかった。
マレー半島における日本人移民は、結果的には大企業のみが成功し、農業移民・商業移民ともに個人事業の多くは資金難、天災や疾病、経済変動、排日運動などにより失敗に終わったといえる。そして、墓標においても、彼ら独自のスタイルを築くことが出来ず、死に直面してその都度対応する「客死」の状態が続いていたと考えられる。組織的な集団移民と比較して、移民総数は多いものの小規模で失敗の連続であったマレーシア移民の特徴が、墓標という物質文化でも看取できた。朽木論文は、日本とは異なった文化的・社会的脈絡の中で、日本人がどのように物質文化の伝統を維持し、また変容させていくかを考察することで、当該移民の性格や特徴を明らかにしている。
第2部、岩間一弘の「見せる群衆の誕生―『新聞報』の広告から見る民国期上海の大衆社会」は、近代中国都市における新聞とその読者を詳細に検証し、対日世論が形成された社会的背景を明らかにしている。民国期の中国においては、中国企業が消費者に国産品を愛用するようにさかんに宣伝をして、日本を始めとする諸外国の製品の販売促進が妨げられることがあった。例えば、中国企業は、日本の「仁丹」や「味の素」の模倣品として、より廉価な「人丹」や「味精」を製造・販売し、さらに愛国心によびかける広告を出して販売促進を目指した。
岩間論文が指摘するように、新聞は民国期の中国においてもっとも有力な広告媒体であり、1930年代なかばには約300万部の日刊新聞が販売されていた。中国では両大戦間期に新聞の販売部数が急増していたが、その背景には、頭脳・精神労働に従事した俸給生活者を中心とする新中間層の勃興があった。民国期都市の新中間層は消費リーダーとして台頭し、当時の新聞において多くの広告が出された商品や遊興は、彼らがおもな消費者になっていた。それゆえに、企業やマスコミにとっては、新中間層の潜在的な欲求を読みとることが、市場活動を進める上で不可欠であった。したがって、新中間層の意識や趣向が当時の対日イメージにも大きな影響をあたえていたことが間違いないだろう。
さらに、岩間論文は、民国期の中国都市において、どのように世論が形成されるのかを具体的に検証している。そして、情況次第で大きく変転する世論、大衆に迎合するメディアなど、大衆社会のダイナミズムが見られていたことを実証した。当時の十分に統御されていない未成熟で荒々しい大衆社会の情況が、対日世論の形成過程や各政権の対日政策の決定過程にどのように影響を及ぼしていったのかを明らかにしていくことが、興味深い検討課題として浮かび上がる。
第3部、趙軍の「近代中国社会における対日世論の形成過程に関する考察―『申報』などの対日世論を中心として―」は、1872年4月に創刊された、近代中国で刊行期間が最も長く、影響力が最も大きい民間新聞紙であった『申報』を通して、1870年代から1895年までの対日民間世論の変化を考察したものである。
『申報』の日本認識は、創刊当初から清朝政府の主流な認識にこだわらず、独自の政策提言をしようとする立場を取っていた。1872年に発生された「マリア・ルース号事件」の処置を通して、『申報』は日本側の判決を賞賛し、その延長として、日本は中国に同情心と友情を持っており、中国も日本と友好関係を樹立すべきだという「中日友好論」までに展開した。しかし、1870年代の後半から、明治政府の台湾出兵と琉球併合など拡張主義的対外政策に対して、『申報』にはしばしば「抗日論」が登場し、日本を「横暴きわまりない」国として批判した。1870年代の『申報』に見られる日本認識の特徴は、一般論としては、中日提携論や聯日論がよく提起されているが、具体的な対外政策としては、むしろ抗日論がよく登場していた。その裏には、伝統的華夷秩序論、または朝貢システム理念が依然として中国の外交論に大きな影響を及ぼしていた時代的背景があった。
1880年代以降、中国と日本の提携によってアジアの平和を保つべきであると主張する「中日同盟論」が『申報』に登場し、明治政府の国内諸政策は、「善政」として全面的に評価され、かつての「爾小国(ちびっ子的小国)」のような日本認識は大きく後退した。他方、朝鮮半島への日本の勢力拡大に対して、警告を発する文章も掲載された。しかし、このときの議論の大半は、大国主義的な論調であり、近代戦争の特徴に無理解な素人の憶測という面もあり、明治維新以降の日本社会の近代化に対する理解は不十分であった。そのため、日清戦争の勃発によって、そのほとんどの議論が蒼白な空論になり、一方的な「中日提携論」も頓挫した。
日清戦争の敗戦という痛ましい刺激のもとで、戦前までの日本認識が見直され、冷静で謙虚な対外認識が芽生えた。日本との格差から、「洋務運動」の不十分さが反省され新たな改革運動への決意が固まった。『申報』の議論は、のちに康有為ら改良主義者らが北京で引き起こした「公車上書」事件と呼応して、戊戌維新運動の世論を準備することになった。
第4部、虞和平の「廬溝橋事件後の中国文芸界における抗日観の強化及びその民衆に対する社会動員」は、「マスコミ」と「芸能界」を含む「文芸界」の民衆動員力について考察したものである。1937年に日本が盧溝橋事件を引き起こし、全面的に侵略戦争を発動した後、中国民衆の抗日観念は、瞬く間に強化されて迅速に拡大し、凄まじい抗日救国闘争が始まった。そうしたなか、中国共産党が統治する抗日根拠地では、新たな抗戦文芸団体が続々と誕生し、文芸社団などの芸能団体も再編・統合された。さらに、多くの文化人や芸能人たちが、国民党支配地域から抗日根拠地へと移動し、それまでの文化的な「砂漠地帯」に雑誌などを創刊し、多数の劇団をつくった。国民党の統治地区でも、演劇・映画関係者たちが、さまざまな抗敵協会などを設立し、文化人たちの大同団結が実現された。
抗戦文芸社団の大量の創設により、文芸の抗日的性格が日増しに強まった。それらの数多くの抗日文芸団体は、日本軍支配地域の拡大と抗日戦争の進展に伴って、相継いで抗戦の前線地帯を含む全国各地へと赴き、さまざまな宣伝手段を動員して、一般民衆に抗日を宣伝した。五四運動以来の新しい文芸活動の目標は、当初、反帝国・反封建主義に定められていたが、日本の侵略によって、抗日救国と反ファシストに変えられた。そして、抗日文芸の広範な伝播によって、中国の広大な都市と農村の民衆に、生き生きとした抗日救国の教育を施し、民衆の抗日意識を奮い立たせることになった。
以上の4論考は、担当者それぞれの手によってまとめられた。しかし、日本人の進出に伴って、東アジアの都市地域住民が、どのように対日イメージを形成していったのかという問題意識を共有していた。アジア周辺諸国の対日イメージの形成に関して、すでに一部の研究者が、注目すべき研究業績を挙げてはいるものの、研究対象とすべき課題は多く、現存する資料も豊富なため、依然として、多くの研究者による開拓と掘り下げが必要である。そうした課題を、物質的文化から精神的文化まで、複数の角度と重層的な視点から問い直したことが、本研究の意義といえるのではないか。われわれの「発掘」が、この分野の研究の進展に裨益することがあれば、たいへん嬉しく思う。
目次
はじめに
第1部 物質文化からみたマレー半島の日本人移民~墓標に表われた移民社会とその特徴~.....朽木 量
プロフィール
1.はじめに
2.エスニシティ論の理論的枠組と物質文化研究
3.移民の帰属意識と形態表象としての墓標
4.西マレーシアにおける日本人移民
5.西マレーシアにおける日本人墓地
6.墓標からみたマレーシアおよびニューカレドニア日本人移民の違い
7.まとめ
参考文献
第2部 見せる群衆の誕生―『新聞報』の広告から見る民国期上海の大衆社会.....岩間 一弘
プロフィール
はじめに
1.民国期上海のメディア環境
(1)新聞広告と読者層
(2)『新聞報』の販売戦略
2.図版広告に表現された大衆消費
(1)消費リーダーとしての新中間層像
(2)都市空間の演出と群衆の居場所
(3)見せる群衆を見る大衆
3.マスメディアと上海市民―映画女優・阮玲玉の自殺をめぐって(補論1)
4.不正広告の取り締まりと消費者意識(補論2)
おわりに
第3部 近代中国社会における対日世論の形成過程に関する考察―『申報』などの対日世論を中心として―.....趙 軍
プロフィール
はじめに
第1章 『申報』と近代日本との関わり
第2章 提携と対抗のはざま―1870年代の『申報』に見た「中日提携論」と「抗日論」
第3章 1880年代の『申報』に見た「中日同盟論」と日本批判
第4章 「日本理解」と「日本評価」への努力と頓挫
おわりに―「日本理解」は辛酸を嘗め尽くす難路
第4部 盧溝橋事件後の中国文芸界における抗日観の強化及びその民衆に対する社会動員.....虞 和 平
1.文芸界の抗日観への賛同
2.文芸に見られる抗日的性格の強化
3.抗日観の大衆伝播
詳しくは、千葉商科大学経済研究所発刊『国府台経済研究第19巻第1・3号(2008年3月31日発行)』税込各1,000円で配布しております。
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