| 【プロフィール】 博士(政策研究) 公会計研究所 代表 |
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| ■著書 『住民のための自治体バランスシート』学陽書房 2003年 『高速道路はタダになる!』(山崎養世氏と共著)新風舎 2004年 『公会計の理論 税をコントロールする公会計 増補改訂版』東洋経済新報社 2009年 ※第32回 日本公認会計士協会学術賞を受賞したものの増補改訂版 |
1 はじめに
1966年にアメリカ会計学会(American Account-ing Association 以下AAA)が発表した『基礎的会計理論』(A Statement of Basic Accounting Theory以下ASOBAT)は、会計を「情報の利用者が事情を理解したうえで判断や意思決定を行うことができるように、経済的情報を認識し、測定し、伝達するプロセスである1」と定義した。会計情報の利用者は、「現在および将来の投資家、債権者、従業員、株式取引所、政府機関、取引先その他2」とし、さらにすべての不特定の潜在的な利用者(all potential users)を想定している3。
会計情報の利用者として多くの利用者を想定することは、1989年に発表され、2001年から適用されているInternational Accounting Standards Board(以下IASB)のフレームワークにおいても踏襲されている。
しかし、2008年5月29 日に発表されたEXPO-SURE DRAFT OF An improved Conceptual Frame-work(以下ED)での会計報告利用者は、「現在及び潜在的」なという文言は継承されたものの「株式投資家、貸手及びその他の債権者が資本提供者」となった4。
一般目的財務報告の利用者が絞り込まれたのである。本稿では会計情報の利用者が、企業会計において、また政府会計においてどこまで絞られるべきなのかを論考する。
2 会計を必要とする人間関係
会計という言葉は、漢字と共にあった。古い漢字は、亀の甲羅に記され、やがて青銅器に記される。4000年ほど前の甲骨文字が発掘されている。会計の始まりは、この時代に遡ることができる。
時の帝舜は、禹(う)に父鯀(こん)が失敗した治水を命じた。禹は、これに13年間たずさわり、自然の地形と水の特性を利用して利水と治水を成功させた5。洪水に見舞われていた湿地は灌漑され田となり、民は米を作ることで生活できるようになった6。禹は、舜より国を譲られ夏を始める。
禹の重視した仕事は、良い人と悪い人を見分けることであった。司馬遷は、史記の夏本紀に「禹は、諸侯を江南に会めて,その功を計る」と記している。そしてこれが、禹の最後の仕事となり、禹が最後に人事評価をした地は会稽と名付けられた。「会稽とは、会計なり7」と結んでいる。会計の始まりである。
会計は、仕事を委ねられた者の評価だけでは完結しない。禹が会計をした2000年後、漢代の袁康の撰になる越絶書では、禹が会計を行った後、「コのある者には爵を授け、功績のある者には封地を与えた。」と記した。
会計は、仕事を委ねられた者が仕事を任せた者の期待に応えたか否かを計る。評価を受けた者は、その評価に応じて処遇される。会計の結果、仕事を任せた者の期待に応えられなければ遠ざけられる。たとえ黄帝の系図に連なる者であっても評価が悪ければ極刑に処せられた8。充分な功績を挙げれば帝位も譲られた。会計の価値は、仕事を委ねた者の「この人でいいのか」という問いに応えることにある。
会計に、特定の人間関係の調整機能を求めるのは洋の東西を問わない。Governmental Accounting Standards Board(以下GASB)では、スチュワードシップを、会計情報を必要とする人間関係とした。しかしながら、その考察を途中で止めている9。スチュワードシップは執事と主人の人間関係を前提にしている。執事は主人に対して奉仕することが仕事である。執事としておこなう行為は、主人に効用をもたらすことを信じておこなわなければならない。そしてその仕事の成果は、主人によって評価される。主人が、執事は良い仕事をしたと評価すれば、執事はその仕事を継続することができる。
スチュワードシップを基盤とする政府会計については、1972年にAAAの公会計委員会が、公共部門会計の基本目的を「有権者が現職を支持するか置換えるかに役立つ情報を提供すること。(Provide information on which constituents can base a decision to retain or replace incumbents.)」と報告している10。しかし、ここでもこの目的を達成するために如何なる会計情報の内容が必要なのかは、検討していない。
4000年の歴史を背負う会計においても、またスチュワードシップを基盤とする西洋の会計においても、あるいは1972年のAAAの公会計委員会の端的な現職の「retain or replace」という表現においても、会計情報利用者は、会計報告をする者をその職に留めるか、あるいは解任するかを決定する力をもち、その検討に会計情報を利用している。
3 企業会計情報利用者の選択
ASOBATは、会計情報の利用者を「現在および将来の投資家、債権者、従業員、株式取引所、政府機関、取引先その他」とし、さらにすべての不特定の「潜在的な利用者(all potential users)」まで拡張した。IASBでは、「現在および将来の投資家、従業員、金貸、取引先、その他の債権者、顧客、政府とその関係機関、公衆」11としている。ASOBATから更に会計情報利用者は、拡大している。
会計責任は、「自己の行為の正当性を説明する責任」とされる12。会計責任を負うとされた企業経営者の行為は、何を以て会計情報利用者から正当と評価されるのであろうか。ASOBATが、会計情報利用者とした者達は、どの様な関係を企業と有しているのか、そして企業に対してどの様な関わり方が選択可能なのかを検討する。
先ず、今回のEDにおいて削除された「従業員、株式取引所、政府機関、取引先その他」について検討する。
従業員は、就職時に取り交した雇用契約に従って役務を提供する。従業員に対する報酬は、雇用契約に従って支払われ損益計算書に費用として計上される。労役の提供により生じた、過去勤務費用は退職給付引当金として、また従業員から預かった源泉徴収や社会保険は預り金として貸借対照表に示される。従業員に対する企業の正当性は、雇用契約に従って報酬を支払うことにある。従業員が、役務の提供を開始した後に可能な選択は、当該企業との雇用関係を継続するか、しないかにある。
株式取引所は、公開された株式の取引の仲介をする。公開された企業の株式は取引所の商品となる。取引所の顧客は保有していた株式の売却を企てる投資家と、株式の購入を検討する投資家となる。株式取引所は、当該企業の株式が円滑に流通することを求める。企業の正当性は、株式取引所が求める上場の基準に従うことにある。当該企業の株式を取扱う株式取引所に可能な選択は、継続してその株式を取扱うか、取扱わないかである。
政府機関にとって株式会社は、課税の対象である。徴税を担当する省庁に対する正当性は、定められた方法により申告をし、納税をおこなうことにある。課税庁の関心は、適切な納税をしているか、いないかにある。課税庁は、関連法規に従って企業と向き合うので、当該企業に対する格別の選択は無い。許認可を必要とする事業を営む企業であれば、当該企業は規制の対象である。監督官庁の関心は、当該企業が規制に従っているか、いないかにある。その選択も関連法規に従って企業と向き合うので、当該企業に対する格別の選択はない。
取引先は、当該企業の事業の営む商品やサービスを購入する。取引先に対する当該企業の正当性は、約束の期日に約束した商品を取引先に納入することにある。取引先の選択は、当該企業から継続して商品を仕入れるか、仕入れないかである。
IASBのフレームワークでは、上記の利用者に加えて公衆(public)を記載している。公衆の関心は、通常は無関心である。公衆の一部が、当該企業から何らかの便益を期待する場合は上述あるいは後述の利害関係者のいずれかになる。公衆への正当性は、企業が公衆に対して迷惑をかけていないことにある。企業が公害(public environmental hazard)などの害悪を加えた場合には、当該企業は公衆からの排除の対象となる。
今回のEDにおいて削除された、従業員、株式取引所、取引先といった会計情報利用者の選択肢は、企業との関わりを続けるか、続けないかにある。
EDでは、財務報告の目的を、「現在及び潜在的な株式投資家、貸手及びその他の債権者が資本提供者として意思決定を行うにあたり有用であること13」としている。資金を提供する側面に着目して会計情報利用者を特定している。EDにおいて財務報告利用者とされたグループについても、同様の検討をする。
債権者は、当該企業が期日に債務を果すという約束を信じて資源を提供し債権者となる。債権者が、商品や原材料を納入する取引先であれば、その債権者からの債務は、買掛金として貸借対照表に表示される。銀行などから資金の貸付けを受けたのであれば、その債権者からの債務は、借入金として貸借対照表に表示される。債務を約束通りに返済することで、企業は債権者に対して正当性を確保できる。債権者が、債権を提供した後に可能な選択は、当該企業との取引を継続するか、しないかにある。この点は、EDで削除された財務情報利用者と変りはない。
「現在および将来の投資家」は、1966年に公表されたASOBATでも会計情報利用者とされ、IASBのフレームワークでも、EDでも「現在の投資家と将来の投資家」を、その利用者の最初にあげている。
EDでは、株式投資に着目して解説をしている。株式投資家は、「投資に対する利益及び提供した現金の返還を期待して」投資をおこなうとし、「株式投資家は経営者の決定に投票を行う権利を有しており、従って企業の取締役及び経営者が委託された資産を効率的かつ利益の生成する形で使用しなければならない責任をどのように履行しているかについても興味を有する14。」としている。EDが、株主の「経営者の決定に投票を行う権利」として株主権に着目したのは、IASBが、投資家の関心を「株を買うべきか、保持するべきか、あるいは売るべきか15」としているのに対して大きな進歩である。
手許資金の投資先として検討している投資家の、当該企業に対する関係は、EDが削除した会計報告利用者よりも希薄である。EDが削除した会計報告利用者の選択肢は、すでに生じた当該企業との関係を継続するか、しないかの選択である。投資を計画している者は、企業の塀の内に入ったことはない。投資家の選択は、企業との関わりを始めるか、始めないかにある。
株式を購入することで投資家は株主となる。実際に株主となった投資家の選択の幅は、手許資金の投資を計画する投資家とは、大きく異なる。会社設立時に株主となっても、株式取引所を通じて株主となっても、経営者が資本を集める時に、株主と交した「儲けます。そして配当します。」という約束から関係が始まり、株式を譲受けた者は直前の株主からこれを継承する。そして株主となることで、経営者の去就を決定し、その処遇を決定する権限を手にする16。経営者を選ぶことができるのだ。
4 資本と経営の分離
企業会計の中心にある株式会社制度は、資本と経営の分離を前提としている。形式的な資本と経営の分離は、1602年のオランダ連合東インド会社 (Vereenigde Oost Indische Compagnie 以下 V.O.C.)の設立まで遡る。
経営者になろうとする者は、「利益を獲得する」という約束を株主とする。「利益を獲得する」という約束をすれば、それが実現するわけではない。利益を獲得する能力は、特殊な能力である。この時代の株主にとって「配当」が、「利益」を意味した。「利益」を獲得できない経営者は、株主の不満を抑えるために社債発行によって配当原資を得、配当をした17。更に、V.O.C.の株主は、実質的に経営者を選任することができなかった。「利益を獲得する」という約束は、V.O.C.では、検証されなかった。会計が機能せず、V.O.C.の設立で分離したのは名目上の資本と経営であった。
産業革命によって大きな資金を投入すれば応分の利益が見込まれる状況が生まれると、資金調達の方法として株式会社が多用されるようになる。南海泡沫事件やミシシッピ計画、マッチ王と呼ばれたイーバル・クルーゲル(Ivar Kreuger 1880-1932) 18は、「資本」と「利益」を混同し、証券発行のたびに受取る収入から配当と利子を支払った。V.O.C.の経営者が社債発行によって配当原資を得たのと同じ方法である。
「配当」と「利益」の違いを認識できなかった株主には、社債の発行や株式の発行により調達した資金を原資として配当を受けても、配当をおこなう経営者は、良い経営者であった。
会計原則は、「利益」と「配当」とを峻別した。その指針となったのが、1936年にAAAが公表した“A tentative statement of accounting principles”であり、1940年にAAAの企画によりペイトンとリトルトンが著した会社会計基準序説であり、これらを継承するASOBATであった。利益が、資本を減ずることなく「配当」にまわすことができる金額であると会計原則が知らしめた。株主にとっての「利益」が「配当」であった時代は終わった。名目的な資本と経営の分離から334年が経過していた。人々の間に会計原則が広く知られ流通するようになり、株主は「配当」の原資となるべき「利益」を会計情報を通して見ることができるようになった19。
会計基準序説では、資本と経営の分離を会計の重要性を増大させた原因であると指摘した20。これに続けて会社経営の公共的性格についても論究し、期間利益が経営者の利益獲得能力あるいは、企業のおこなう事業の社会的な需要を表章するのだと指摘した21。
株式会社が、資本を必要とするのと同様に必要とするのが、よい経営者である。よい経営者とは、利益を獲得する能力を持った経営者である。よい経営者を見出せれば、株主は利益を手にする。悪い経営者に経営を任せると、株式は紙クズとなる。会計報告により、株主は経営者の能力を評価することが可能となった。
会計報告により株主は、経営者を再任するか、解任するか、を判断する。経営者が継続的に利益を獲得しているのであれば、再任した後も利益を獲得することが期待できる。株主は再任を積極的に検討する。損失を報告するのであれば、新しい経営者に委ねる。会計原則を多くの人が知ることで、手に取って吟味することができない経営者の利益獲得能力を期間利益を通して見えるようになった。株主の経営者を見る目が、開かれた。
企業会計は、複式簿記によってその行為した目的と結果を記録する。それらの記録は、経営者が利益を獲得とするという株主と交した最初の約束に忠実であったかを、期間利益に集約する。信用は約束を守ることから生まれる。期間利益は、株主と経営者の交した約束の結果を明らかにする。
市場で取引をおこなうことは、神農が始めたとされる22。市場での取引が始まった頃の商品は提供されてすぐ利用され、すぐにその評価を受けた。爾来、市場で取扱われる商品は、多様化した。商品の取得と商品の利用と商品の評価が、異なった時点でおこなわれる商品も出現した。株式という商品も、取得と異なった時点で取引の評価がおこなわれる。取引の評価をおこなうタイミングの一つが、会計報告を受けた時点となる。
ミーゼスは、「取引に参加する者は、受け取る物と手放す物との評価をおこない、手放す物よりも受け取る物を高く評価した場合のみ取引が成立する23。」と指摘し、これを「カタラクティクス(Catallactics)の理論」と呼んだ。商品の取得と商品の利用と商品の評価のタイミングが異なっていても、よい取引であれば、取引当事者の両者の「ありがとう」の言葉で取引は終わり、そして繰返される。
各個人は、全てのことに通じることができるほど時間にも能力にも恵まれてはいない。人間は協働によって社会を形成し、様々な才能を持つ人々のその才能から生み出された生産物を交換する。人々がそれぞれの能力を発揮する分業と、その生産物の私的所有を前提とすることで、自発的に取引がおこなわれ、豊かな生活を享受する24。
取引がおこなわれる市場は、「人とは異なる能力を評価する」場である。「ありがとう」の言葉で取引は終わり、そして繰返される取引が、人々に豊かな生活をもたらした。「連鎖するありがとう」から富が生じる。
広く会計原則が流布することで、経営者は株主が何に着目して経営者を評価するのかを認識するようになった。利益を獲得した経営者は、適切な評価を受け、継続して経営に携る。損失を計上した経営者は、解任される。過去の実績を評価して、適切な経営者を選任できるのは、現在の株主の外にはいない。株式会社は、良い経営者を見出す会計制度が機能して、継続して製品やサービスを提供することが可能なのだ。
ASOBAT、IASBそしてEDは、企業の公的な性格に配慮するあまり、会計情報の利用者を、「将来の投資家」まで広げて現在に至っている。資本と経営が分離した株式会社制度において会計情報の利用者として、最初に指名されるべきは現在の株主であり、将来の投資家ではない。同様に潜在的な投資家は、株主に次ぐ二次的な利用者の更に後に指名されるべき会計情報利用者にすぎない。
5 主権と権力の分離
市場での所有と経営が分離してから191年後、統治形態においても主権と権力が分離した。その象徴的な出来事が、1793年1月21日のルイ16世の処刑である。ルイ16世の首と胴体の分離は、主権と権力の分離の象徴でもあった。
他人が持っている物を、手に入れるには二つの方法がある。一つは、取引を申出るのである。もう一つは、ほしい物を持っている人から奪うのである。
主権者が持つ力は、この略奪をする力である。専政制においては、唯一人の人物が主権を持ち、権力を行使した。市民革命は、専政君主から主権を取戻す過程でもあり、主権は人民全体の物となった。統治形態の専政制から民主制への移行である。
1215年のマグナカルタは、王の決定だけでは税金を集めないとした。貴族の承諾をもって税が課される。主権者であり権力者であった王の権力の濫用を抑止するために、マグナカルタは定められた。権力者の権力の濫用を抑止するのは、今も変らぬ法の重要な機能である。
米国独立運動の中で繰返された「代表なければ課税なし」は、1776年の独立宣言において独立の一要因として記された。1789年のフランス革命の人権宣言は、「税の負担には人民の承諾が必要だ」と税を払う要件を明らかにした。承諾があって、税は負担される。財政法や地方財政法が、公債の発行や借入金を禁じるのは、その返済の原資となる将来の税金を負担する将来世代の承諾がないからである。
承諾の機会のない者から税を徴収することは、民主主義の原理に反する。民主主義の下で財政を預かる者が守るべき約束は、均衡財政を維持することであり、別の言い方をすれば「子供にツケをまわさない」ことである。
経営者の守る約束は「利益を獲得する」ことであった。企業会計は、経営者の約束を守る能力を見えるようにした。政府会計も、税の運用を委ねられた者のこの約束を守る能力を見えるようにしなければならない。
6 公会計原則の要諦
会計は、仕事を委ねた人が「この人でいいのか」と評価し処遇する機能を持っている。企業会計においては、会計原則を株主と経営者の間で共有することで、「利益を獲得する」と約束した「利益」とは何かという概念を共有した。株主が何に着目しているかを、経営者は知った。
経営者に株主の視線の先にあるもの知らせることで、株主は能力のある経営者に資本を委ねることに成功し、能力のない経営者を排除することに成功してきた。その流れは、決してスムーズなものではなかった。名目上の資本と経営の分離から、経営者が約束する利益に一般的な解釈が与えられるのに、330年余りの時間を要した。もちろん、その間には、経営者の行為の正当性を説明する利益を報告をするための創意工夫をしてきた人々が存在する。
主権と権力が分離して、217年が経過した。しかし、日本政府は、1965年から財政法の禁を破って再び国債の発行を続けている。地方自治体もそれに習っている。納税者の承諾を得ない課税がおこなわれ続けている。
主権者が、合理的に権力者を選任するためには、企業会計において経営者が株主と最初に交した「利益を獲得する」という約束を報告したように、「承諾なくして課税しない」という最初の約束に忠実であることを報告しなければならない。
政府の会計においても企業会計の後追いが始まった。高い国民負担率と、長年にわたって損なわれた均衡財政は、税を預けるのに相応しい代表者を見出すことで改善に転向する。
政府会計においても、会計情報の最も重要な利用者が主権者であることを確認することで、有用な会計原則を規定することが可能となる。