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にはすぐに行けるところで誰が何を作っているかが分かる蔵元と取引がしたく、日本人が製造して日本人が販売するという形態にこだわる。■若き後継者「園部将」の挑戦(1)私の挑戦(20代後半~)私が戻ってきてまず初めにしたことは「酒屋」を一から学ぶことで、配達・店番・倉庫番・仕入等の仕組みの理解、また誰よりも早く来て誰よりも遅く残り掃除や瓶拭き等の“下積み”から始めたが、そこで様々な問題点が明らかになる。例えば営業時間外や休日の受注・配達対応、特定客への所謂「ツケ」措置、商品の品揃え等について社長と従業員間の意思疎通が欠け、その機会もなく、私は社長と毎日衝突、言い争い…。しかし毎日衝突しても未来は開けてこないことに5年かけて気付き、30歳の時に「自分も外に出て社長がやってることをやってみたい!」との思いに至る。(2)私の挑戦(30代前半~)①「取引蔵元への訪問」これは社長が取引してきた蔵元への訪問であるが、私が訪問すると「よく来たね」とは言われたが、「このお酒は社長に卸したもので君に卸したかどうかは分からないよ!」と言われたこともある。蔵元は相手を見て、売ってくれる、守ってくれる人の顔が見たいとの思いがあり、息子だから当然取引してくれることはない。現在の「酒舗まさるや」の売上げは、社長が開拓した蔵元があるからこそである。そこで私は社長の行動に対抗する、壊すのではなく、一緒にやっていくことが近道であることを認識する。②「新規蔵元への訪問」これは私と同世代の蔵元が製造した酒を各地の居酒屋で飲んでみて“美味しい”と思ったら「今日か明日行かせて下さい!」と電話して「美味しいお酒をぜひ取引きさせて下さい!」という形で訪問・打診する。実はこの手法は現在も使っており様々なことを言われながらも私の夢を語りながら取り組んでいるが、自分の無力さを思い知る時でもある。③「人材の発掘」これは私が社長になる過程で、社長の代わりは私ができるが私の代わりは誰ができるのかという懸念があった。そこで現在のスタッフの内7名は私が全て面接して採用した。とくに43歳と36歳のスタッフ2名は「私の右腕」として採用して、毎日のミーティングによりコミュニケーションを緊密化し、時には一緒に飲みに行き“夢”を語りあったりする。④「日本酒&本格焼酎の会(酒人好の会)の開催」これは15年前から始めたイベントで、年2回明治記念館で約350名の蔵元や顧客が集いお酒を楽しんでもらう会である。最初は100人程の小さな会も毎年開催することで口コミ効果もあり、近年は参加者が増加してきている。⑤「WEBでの情報発信」これは私が毎日ブログから情報を発信し、約1000名の顧客がそれを閲覧しており「ブログ見たよ!」と言って来店されるケースも多い。とにかく色々なアクションを起こしてチャレンジすることを大事にした。小さな酒屋だから成功しても失敗しても自分自身に返ってくることであり、どんどんぶつかってやっていこうという気持ちで取り組んだ。(3)私の挑戦(30代後半~)①「スタッフの人材育成」これは“私の右腕”作りに留まらずスタッフ全員の育成、ひいては会社の強化を目的に取引先の主要蔵元を訪問して実習させており、鹿児島県の蔵元に二泊三日の訪問で1人約10万円はかける。実際にスタッフが現地に赴き地元の気候風土に触れて酒造りに関わらなければ、顧客に“ストーリー”を語りかけて勧められる酒にはならないからである。②「飲食店の育成」これは①にも通じる発想であるが飲食店のスタッフにも酒について勉強していただき「このお酒はこのようにしてできているんですよ」という“ストーリー”を語りながら来店客に勧められるようになってもらうこと。興味が湧けば一緒に蔵元にも同行して知識を深めていただく。さらに飲食店各店に合った“メニュー提案”をさせていただくことで、さらに販売面・顧客満足面の相乗効果が期待できる。私は事業承継における基盤となる“人”の大切さを認識し、とくに「人材育成」に対しては惜しむことなく手間だけでなく資金も使わせていただいている。■「酒舗まさるや」のこれから私は今67歳の父でもある社長と一緒に仕事ができる時間を楽しんでいる。正直に言うと前々から「社長になれ!」と言われてきているので、何時引継いでもよく、実際業務はほぼ私が動かしている状況である。ただ30歳の頃には「大きな会社にして家業ではなく企業にしよう」「日本一の酒屋になろう」と勝手に思い込み、売上げだけを重んじた時期もあった。しかし今強く思っていることは「家業だからできる地域密着の酒屋であり続ける」ことであり、「一般客や飲食店等の顧客と造り手である蔵元の“想い”を13中小企業支援研究 Vol.3

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