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3中小企業支援研究 Vol.3市場も視野に入れた形で直接投資を行った。にもかかわらず、その後の世界最大化した中国自転車産業の発展の中核部分を担った企業は、新規に形成された中国民営企業群であった。このように中国の自転車産業は、中国の産業発展の担い手が誰であるかを、明確に示す好例である。以下では、まずは自転車産業を中心に国有大企業、新興民営企業、外資系大企業の事例を紹介し、中国の産業発展を民営企業が主導していることを示したい。1.中国自転車産業から見た 中国の産業発展(1)中国自転車産業の概観(1)中国は、計画経済期から一貫して自転車生産大国であった。しかし、その生産主体は、大きく変わった。計画経済下では、主要な市場は国内市場であり、主要生産主体は、部品生産も内製する垂直的統合型の4大国有企業、天津市の飛鴿、上海市の永久や鳳凰そして広州市の五羊であった。それが1990年代初頭までの改革開放初期まで継続され、改革開放初期の市場拡大部分の多くをこれら大企業が占めた。1990年代に入り、大きな構造変化が生じた。一方で台湾や日本から外資系メーカーが部品メーカーとともに、華南そして華東の地域を中心に大挙進出してきた。これらの企業は一方で米欧日という既存の先進国巨大市場向けの生産を念頭において進出したと同時に、台湾のA社も日系大手企業も、進出当初より既に巨大な市場となっていた中国国内市場への進出も念頭に置いて直接投資を行った。また、改革開放初期に、国有巨大企業が垂直的統合の形で寡占的に市場を支配しており、さらには外資が1990年代に直接投資を行った。にもかかわらず、1990年代に民営企業の簇生が、完成車生産分野と部品生産分野の双方で生じた。結果、国内市場向けの生産は、新興民営企業が圧倒的部分を占め、輸出に関しても、外資系企業とともに民営企業が、輸出拡大の主要な担い手となった。このような状況が何故生じたのか、具体的に、主体である3者の状況を完成車メーカーについて比較しながら見ていく。(2)旧国有巨大企業事例1 天津市飛鴿自転車集団公司(2)同社は、計画経済期の主要4大メーカーの1つであり、主要自転車産地天津市を代表する企業であり、ブランドであった。同集団は、改革開放下での中国国内市場の拡大に応じ、生産を1980年代半ばまで増大させ、1988年には年産660万台余の最高水準を実現した。1980年代に、生産台数で見る限り、旧国有企業である飛鴿は寡占的巨大企業として、世界最大クラスの生産規模を誇っていた。この際の生産体制の特徴は、計画経済期中国国有企業共通の特徴でもあるが、集団内に部品生産の企業群を保有し、垂直的統合生産を行っていたことである。このように、改革開放後の最初の10年間においては、供給不足の市場環境と、既存の国有企業間での競争優位を活かし、生産規模を急激に拡大させ、全国最大生産台数を誇る、国内シェアが15%を超える寡占的大企業となった。集団としての部品生産能力も、800~1,000万台規模であり、完成車以上の生産能力を持っていた。改革開放下でも当初は拡大し、その時期に最大生産規模を実現した事実は、注目に値する。国内市場での国有企業間の競争においては、相対的に高品質であり、競争優位に立つ国有企業であった。それゆえ、「飛鴿」という同社の主要ブランドは、現在でも、中国国内市場では一定のブランド価値を持っている。しかし、1980年代末からの中国の国内自転車市場が一時縮小し、さらに大きく需要構造が変化した状況下で、同社の生産販売台数は急激に縮小した。ピークから5年後の1993年には366万台、10年後の1998年には8分の1以下の80万台へと減少している。巨大な中国国内市場を前提に、660万台余を生産していた企業が、10年間前後で、百万台以下の生産企業へと縮小した。同社の生産販売台数の激減についての分析を、駒形氏の著作(1)を利用して要約的に紹介し、何が主要な問題であったかを確認する。同集団の縮小の始ま(1)中国自転車産業の概観については、駒形哲哉『中国の自転車産業 「改革・開放」と産業発展』慶應義塾大学出版会、2011年を参照した。(2)天津市飛鴿自転車集団公司については、1回目は、2004年9月2日に天津飛鴿自行車有限公司、2回目は、2008年3月12日に天津市飛鴿集団有限公司と天津飛鴿自行車有限公司から聴取りを行っている。

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