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4中小企業支援研究りは、一方で中国国内の需要構造の変化に対し、同集団が柔軟に対応できないでいるなかで、需要変化に迅速に対応した民営企業群が出現したことにある。これが、同集団の生産能力を大幅に下回る販売台数という結果をもたらした。同時に、販売面の縮小が生じた際に、国有企業として雇用労働力の削減等の柔軟な縮小均衡化ができず、完成車1台当たりのコストを大幅に高めた。販売台数を減らしながら、雇用等の面での縮小ができず、さらに1台当たりの生産コストが上昇するという、極めて悪性の循環に陥った。そこには、本来的な意味で企業「経営」が存在しなかった。この悪循環を断ち切るため、同社の主要生産部門を引き継いだ天津飛鴿自行車有限公司は、資本的にも同社からの出資は37%にとどまり、他を地方政府が出資する、同社とは別個の会社となった。新会社には、同社からは経営や技術の人材を500人と設備機械を移転するのみで、1990年代でも2万人以上いた従業員のほとんどを同集団に残し、雇用維持のレガシーコストを完全に切り離した。新会社は、同社に1台当たり3元の「飛鴿」のブランド使用料を払うだけの関係となっている。また、完成車メーカーとしての新会社は、社内ではフレーム、フォークの生産と塗装加工だけを行い、部材を既存の天津市飛鴿集団有限公司関連の部品メーカー以外からも自由に調達する完成車組立メーカーとなった。身軽になった新会社は、生産管理と経営には同社に属していた人材を利用し、「飛鴿」ブランドを活用することで、一定規模の自転車メーカーとして再生している。天津最大規模となった民営企業の雄、富士達や泰美といったメーカーと比べれば生産台数は少ないが、200万台を目指す水準にまで回復し、大企業としては復活した。しかし、かつての優位な寡占的大企業には、生産台数で遠く及ばないだけではなく、国内企業間での競争上の位置も大きく変わり、8千万台の中国国内生産の数パーセントのシェアを占めるにすぎない企業となった。(3)新興民営完成車メーカー事例2 天津泰美自行車有限公司(3)同社は、河南省で年100万台を販売していた自転車商が、2000年に創業した自転車メーカーである。民営企業としても後発メーカーだが、現在では天津有数の自転車メーカーで、2009年の生産見通しは、自転車300万台(ピークは2008年で400万台)と電動自転車150万台である。自転車の減少は、電動自転車への注力により生じた。従業員数は09年の時点でグループ全体では4千人である。1台180元の低価格の自転車から、国内向けには1台200~230元、輸出車では、出荷価格で60ドル、上代で1万5000円の自転車まで、幅広い価格帯の自転車を生産、販売している。日本向けの輸出は、多くがホームセンター等の量販店向けである。同社が、自転車メーカーとして内製している部分は、2009年でも、使用フレームの一部、100万台分で、ほとんどの部品は生産せず、ほぼすべて外部調達である。社内生産は、塗装と組立を主としている。設計についても、一応社内で行っているが、既存の部材を前提にしており、独自部材をサプライヤと共同開発していない。中国における既存の部材生産基盤の上に乗り、それを活用している。同社の急成長の理由の1つは、販売力の強さにある。2006年から生産開始し、後発メーカーとして参入した電動車でも、09年には150万台の販売見込みと急成長したのは、自転車で構築した販売網を活用するとともに、積極的にテレビCM等を利用し、ブランドイメージを構築していることにある。部材については外部にほぼ依存しているが、販売網と販売戦略を軸に急成長し、大手メーカーとなった。さらに同社は、中国国内自転車市場向けとしても、ランク別に部材とブランドを使い分け、中国国内市場の状況にきめ細かく対応している。それとともに、全体としての生産量の規模を大きくすることで、部品生産をほぼ全面的に外部に依存しながら、購買力を発揮し、規模の経済性をも実現している。また、創業3年目の2003年に、日系中堅自転車メー(3)天津泰美自行車有限公司については、天津泰美自行車有限公司からの2004年8月31日、2006年8月28日、2009年11月19日(この聴取りは駒形哲哉氏による)の3度の聴取りによる。

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