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5中小企業支援研究 Vol.3カーの工場長を経験した日本人を、日本向けの工場の責任者・副総経理として招聘し、品質面で日本市場に輸出できるものとした。副総経理と現場の管理者の日本人を核に、生産管理を、他の中国系自転車メーカーにない水準に高め、ほぼ全面的に外部から調達している部材についても、周辺企業にはない厳しい購買管理を行っている。そのため、同社の製品は品質のばらつきのなさが大きな特徴となり、日本向けに50万台という販売を可能としている。中国国内向け販売でも、日本向けの製品を生産しているメーカーとして、後発メーカーでありながら、品質面で高い評価を得、急成長を実現した。輸出向けの部材は、華東等で現地生産している台湾系メーカーや日系メーカーからの調達が多く、30%ぐらい使用し、国内向けは、専ら中国現地メーカーからのを使うといった形で、使い分けを行い、価格面での市場ごとの対応を実現している。また、部材調達で、厳しい条件をサプライヤに課せるのも、同社が急成長し、天津でも有数の販売台数を実現したことによる購買力故とのことである。事例3 電動自転車メーカー、江蘇雅迪科技発展有限公司(4)同社は、電動自転車メーカーとしては後発メーカーでありながら、現在では電動自転車生産で中国内で有数の上位メーカーである。創業は1998年という企業である。しかも創業当初は、最後発のオートバイ組立メーカーとしての創業で、オートバイ産業が盛んであった江蘇省無錫市で創業している。創業者で現在の董事長の董経貴氏は、軍人出身であり、退役後、オートバイメーカーに運転手として勤務していた。資金蓄積後、独立した。技術的に素人だが、業界については熟知していた。これを活かし、創業し、技術面では勤務先だった企業の技術者を1・2名招聘することで補った。地元でパーツを購入し、月1,000~2,000台を組み立て、販売した。1999年から2000年にかけては、オートバイについてもまだ売り手市場であり、資金を蓄積することができた。しかし、2000年ごろから、オートバイメーカーが乱立し、他方で、都市部での使用が禁止され始めた。そのため、オートバイ市場の状況は大きく変化し、売り手市場とはいえなくなった。そこで、董経貴氏は電動自転車の市場急拡大を見、2002年から、電動自転車の製品開発に着手した。同社の売れ筋の電動自転車は、2,000元台のものである。この製品のための部材は、フレーム等を含め全面的に外部調達である。今後、フレーム、塗装のみは内製化することを見込んでいるが、それ以外については外部から調達する方針である。同社は販売当初より、TVによるCMに注力し、台湾の著名歌手3名を起用した。品質管理も重視し、検査機器を充実させている。実際に、天津工場においても、生産ラインは組立ラインのみだが、検査機器は大手自転車メーカーなみのものが揃えられ、実際に稼働していた。電動自転車の専門メーカーとして、その販売台数は急増中であり、07年50万台、08年80万台、09年見通しが140万台となっている。現在、創業地である無錫に2工場、天津市と広東省に2工場の4工場の生産体制で、従業員1,800人である。販売市場は国内市場向けが専売店経由で98%と大部分を占め、輸出はOEM形態での輸出で2%を占めるに過ぎない。創業して12年、電動車に進出して8年で、電動車への参入でも後発ながら、既に生産量的に見て電動車での上位メーカーとなり、電動四輪カートの生産も本格的に開始している急成長企業である。この事例からの示唆は、電動自転車市場の急拡大に対する供給の主体が、既存の自転車メーカーやオートバイメーカーだけで占められているのではなく、全くの新興企業によっても担われていることである。さらに、その急成長の要因としては、独自製品の開発ではなく、既存の技術者と広く生産され始めた電動自転車向け部材を集め組み立て、製品の品質管理をきちんと行い、CM等を活用してうまく消費者に、電動車としての新たなブランドを浸透させるこ(4)江蘇雅迪科技発展有限公司については、江蘇雅迪科技発展有限公司の子会社である(同社)天津公司からの2009年8月25日の聴取りによる。

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