中小企業支援研究No4
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NTERVIEW社長プロフィール 地域商業の特徴はその地域を代表する老舗がどれほどその街に残っているかということで決定づけられます。街がチェーン店で埋めつくされたら、街の顔がなくなり、なんの特徴もない街になってしまうでしょう。近年、多くの街から老舗が消えていっています。今回は、横浜伊勢佐木町で1901年創業の老舗、株式会社白牡丹社長の廣井晴雄様から老舗がその経営を永続していくにはどのようなご苦労をされているかについてお話を伺いました。廣井晴雄(ひろいはるお)。昭和37年3月に慶應義塾大学経済学部卒業。㈱横浜銀行に勤務。1980年に㈱白牡丹に戻り、2007年代表取締役に就任。協同組合伊勢佐木町一・二丁目商和会理事長。商店街会議室にて 廣井晴雄社長経営者インタビュー【1.株式会社白牡丹】銀座の老舗の商法の継承 前田 私が伊勢佐木町の商店街とお付き合いをさせていただいてから早くも20年近くが経とうとしています。その間に随分チェーン店が増加したような気がします。それはそれで便利になりましたが、その陰で歴史ある横浜の老舗がたくさん消えていってしまいました。廣井社長は、この商店街の代表理事としても活躍されていますが、ご自身は老舗化粧品店の3代目経営者であり、化粧品組合の役員もされています。今回は、お店のことを中心に老舗経営をどのように維持してこられたのかについてお伺いしたいと思います。よろしくお願いします。廣井 よろしくお願いいたします。前田 御社は、すでに116年を超える老舗企業と伺っています。御社がどのようにして老舗企業となり、維持し、また、その歴史をどのように継承していこうと考えていらっしゃるのかについてお聞かせください。廣井 「白牡丹」は、今はなくなっていますが、もともとは東京銀座4丁目の和装ハンドバック、装身具、化粧品などを販売していた老舗でした。夏目漱石の本などにも出てきます。私の祖父の実家は小田原で染物屋(紺屋)を営んでいましたが、祖父はこれを継がずに、白牡丹で丁稚奉公をし、「白牡丹支店」として暖簾分けをしていただいたのが、今の私ども店の始まりです。前田 社長で3代目になるということですが、お店を継いだ当時はどのような状況でしたか。廣井 私は大学卒業後、銀行勤めをしておりました。弟が2人おりますが、時代が良くなって勤めていた各々の会社が繁栄し、実家の商売に戻れなかったため、1980年、長男である私が40歳で、当時化粧品店になっていた当社に戻ることになりました。前田 その経営が今日まで継続されているのですね。廣井 そうではありません。私は化粧品店の経験が時代の荒波を乗り越える老舗経営23中小企業支援研究 Vol.4

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