中小企業支援研究No4
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INTERVIEW廣井 祖父は、銀座の老舗を通じて世界の情勢を見る目を養い、父は化粧品の事業でさらに販路拡大をしました。私も銀行にいていろいろな情勢を体験しましたのでこの不動産の遊休部分を活用することができたのだと思います。前田 思えば、世界のラグジュアリーブランドのオーナーたちも、女性をきれいにする商売と同時に不動産や株などに関わってきていますね。廣井 もう一つは、良い立地でしたけれど、私が引き継いだ化粧品店は約15坪の小さな店でしたから、メーカーから専門店になるよりは、オンリーショップになるように強く誘いを受けました。前田 どのようにご判断されましたか。廣井 当時、メーカーは、美容部員の派遣や改装などもしてくれました。しかし、多くのニーズに応えるために、資生堂、コーセー、カネボウ、アルビヨンも扱いました。今では、メーカーの支援も少なくなりましたし、メーカーを絞っていなかったことがかえって幸いしたかもしれません。前田 ドラッグストアなども出現しています。化粧品業界も競争が激しいと思いますがどのような革新をされていますか。廣井 大きい店でありませんので、利益のとれる一般化粧品も拡大したいと思っています。エステ専門の化粧品であるフェイス、敏感肌に効果的で漢方薬局などに卸していたシェルクルール、白粘土を使った化粧品洗剤のルナレーナなどなど、エステとその素材にも力を入れていきたいと思います。前田 化粧品組合のリーダーとしても活躍されていますね。廣井 神奈川県化粧品協同組合(元副理事長、現監査役)の一員ですが、力を合わせて業界の発展のためにも、顧客志向のメーカーを大切にしていきたいと思っています。5割の利益がとれることが専門店として生き残る重要な点です。メーカーを特化し、おんぶにだっこのように過度に依存する昔の業界体質の店が激減しました。小さいメーカーでも連携して顧客ニーズに対応していけば、業界も専門店としてやっていけると思っています。自力自己変革型の専門店化を目指して廣井 2011年に創業110周年を迎えました。そこで思い切って大改装をしましたが、景気も下火でしたが、期待した収益が得られませんでした。私も含め従業員も高齢化してまいりましたので、自力で思い切った転換をしました。前田 どのように変えたのですか。廣井 人を切り替える必要を感じました。60歳を超えた従業員もおりましたし、30~40年勤めてくれた人もいましたので、彼女らを嘱託とするとともに新しいスタッフで経営改革マニュアルを作成し、目標をたて実践しました。3年で売上5割増しという計画でした。小さい店ですが、ミリオン店の計画を立てました。前田 化粧品店は小規模な売上の店が多く、独立店が少なくなりました。計画の結果はどうでしたか。廣井 3年半で目標を達成しました。リニューアルの思いを明確にして、接客、品揃え、在庫管理などに力を入れ、お客様への商品の取り寄せシステム、メーカー枠を超えた販売、月一回のお手入れ習慣の定着など詳細に計画し、経営、人、教育を変えて、メーカーも人も変えました。前田 計画を拝見するとメイクアップの写真撮影サービスやスタッフとのコミュニケーション、自己目標の発表を月別、メーカー別、スタッフ別に作成し、中間報告会もされていますね。廣井 従来のように美容部員に依存しているのでなく、店員とともにやらないと成果は出ません。エステ専門店だけで長く続く店はそう多くはありません。化粧品専門店がエステ業務をとり入れて、30年、50年と続く店をつくる必要を感じています。前田 お客様と相互作用して価値を共に創造することが重要ですね。サービスを実施するのは直接接触する店員さんですから、エステを通じて彼女らがど2011年リニューアルした本社ビル25中小企業支援研究 Vol.4

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