RSS-2021
17/60

INTERVIEW小林常務:墨田区は、昔、9,000社を誇る「ものづくり」の事業者が多い「ものづくりの町」でしたが、時代の流れとともに、工場を閉め、3,000社を切る状況となりました。売上や利益は計上しているのに、後継者が不在のため、仕方なく廃業する事業者さんがとても多かったようです。このような地域の課題を解決するため、行政だけではなく、民間企業も協業して、地域産業の次代を担う若手人材の育成を目指す私塾形式のビジネススクールだったフロンティア墨田塾がはじまりました。 私は、墨田区の出身ですが、当時、地元の若手経営者とのつながりが希薄でした。約17年前、フロンティア墨田塾を知り、入塾してから、行政も含め、異業種の若手後継者とのネットワークづくりが進みました。沼口:フロンティア墨田塾では、どのようなことを学びましたか。小林常務:後継者として必要な座学を学びましたが、知識の習得とともに、友人には話せないような中小、小規模事業者の同じような境遇にある後継者の仲間と出会えたことが、かけがえのない財産となっています。 当時20代だった私は、次代を担う「経営者」というよりも、現場の「職人さん」といった意識が強く、日々「ものづくり」と向き合っていましたが、フロンティア墨田塾に入塾してからは、「後継者」としての自覚を持つようになりました。約1年間、フロンティア墨田塾にお世話になり、改めて、「後継者」としての道を歩む覚悟を決めることができました。鋳物場の環境改善に努めた日々 沼口:小林常務は、学校卒業後、見聞を広めるため、様々なアルバイトをし、20歳の時、家業を継ぐため、東日本金属㈱さんに入社されたと聞いていますが、入社してから学んだことなどについて教えてください。小林常務:現社長のように外で修行をすることなく当社に入社した経緯ですが、今は亡き2代目の前会長が、鋳物職人の高齢化が進み、鋳物がなくなることを懸念し、前会長が元気なうちに、「3年間で技術・ノウハウなど全てを引き継いでほしい」という話からでした。当時、私の父である3代目も含め、前会長の「3年間で技術・ノウハウなど全てを引き継いでほしい」という話には、とても驚いたことを今でも覚えています。 入社してからは、職人の世界で基礎から様々なことを現場で試行錯誤を繰り返しながら、勉強しました。 先ず、鋳物で大切な砂型の「砂」の水分量を毎日計測して、データを取るようにしました。今までは、手の感覚で何となくこのぐらいといった基準で管理していた「砂」を数値で管理するようになり、「砂」の状態が格段によくなりました。 昔ながらの感覚的な管理から、数値での管理にやり方を変え、定着させるまでは、私より経験の長い数値の管理により実現した状態の良い「砂」製造途中の製品15中小企業支援研究 Vol.8

元のページ  ../index.html#17

このブックを見る