View & Vision No42
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3242盛で、数十億円の建設費の個人保証を拒まない男気でした。 100名以上の地権者を一つに纏める事は容易な事ではなく、高値買収や高額の賃借料を支払う不平等契約を飲んだ上に、5軒の強制執行を行って、商業ビルでは当時、県内最高層の地上14階、地下3階の建物が1975年に竣工し、7月8日核テナントダイエー市川店を擁する現市川ビル本社がオープンしました。 開業後の10年間は社史で四重苦の暗黒時代と呼ばれる程、資金繰りに行き詰まり、倒産の危機を複数回迎えました。危機の原因は四つありました。 第一は建物の1/3を所有していた旧地権者オーナーとの利益相反関係で、高賃料の不平等契約を改善できず、修繕費も負担頂けない等、当社の最大問題となりました。 第二はビル経営の専門家が居なかった為、共益業務の責任を押し付けられ、高額の費用負担を余儀なくされたことです。 第三は核テナントが低賃料で、開業前に商業ビルが金食い虫であることを知らなかった経営陣の失策です。 第四は高度経済成長時代の高金利で借入金の金利が11%と高く、オイルショック後の大不況と重なりリーシング活動が不成功で、9〜11Fが空室で開業したことでした。当社の資金繰り窮迫時は、ダイエー殿の賃料増額と、債務超過転落回避の為の増資により切り抜け、当社は生き延びることができました。 この暗黒時代の10年間、当社は創業社長以下、全役員は非常勤・無給で、社員も低給与で我慢しました。 1984年12月末、株主銀行殿のご協力で、借入金利が9%弱に低下し、核テナントとの3年毎の賃料値上交渉も纏まり、経営は一息つける状態となりましたが、新たな問題が浮上しました。 一つはエスカレーター・エレベーターの保守不良の為に、開業後12年で全面更新を余儀なくされた事です。資金繰り逼迫の為、劣悪な保守業者起用の報いであり、一挙に負債6億円が増加しました。 二つ目は、旧地権者殿のお店が多かった地下階の集客力が弱まり、櫛の歯が抜けるように閉店・退店が続きゴーストタウン化し始めたことです。 前者の問題は、高額だが信頼性の高いメーカーに保守を再依頼することで再発防止を確実なものとしましたが、後者の問題は、お店の所有権を持っていた旧地権者殿が一国一城の主の為、当社は主導権を発揮できず、最終的には1995年〜2005年の間の、当社による権利買収に至る迄、改善できませんでした。 多くの失敗の経験を積む中で社内スタッフも成長し、ビル経営ノウハウの蓄積も進み、倒産という最悪の事態を回避できる見通しがついたのもこの頃でした。打ち続く失策・苦難 逆風克服の努力創業時の負の遺産に苦しんだ暗黒時代写真2 当社の本社ビルの外観写真3 部品を第三世代に更新中のエスカレーター

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