View & Vision No42
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4642輩までが一緒に活動することで、自分なりに考え行動するようになりました。  教諭となった現在、「人との関わり」のなかで「どう指導するか」ということをいつも考えています。大学時代の体験や出会いが原点となり、生徒一人ひとりが輝くように日々心がけることができていると感じています。大学、仲間そして昨年永眠された中澤先生に感謝の思いでいっぱいです。【…3.宮城県での講師経験…】 大学卒業後は宮城県の様々な高校で講師を経験させていただきました。1校目は女子高であり進学校で教科情報を、2校目は普通科と体育科がある高校で教科情報を、3校目は特別支援学校と商業とはかけ離れた学校で教鞭をとりました。今振り返ると、本当に貴重な経験であったと感じています。なぜなら、これらの学校には商業高校特有の検定を取得するということがまったくなかったからです。 当時は、商業高校なら検定を取得することが目標であり、検定合格が生徒の達成感や充実感を体験させることができると感じていたからです。しかし、その目標がないからこそ生徒に達成感や充実感を体験させることができるか毎日試行錯誤しながら、創意工夫をしていました。特に、グループ活動を取り入れプレゼンの作成や発表、画像編集や動画作成など多くの時間を生徒が主体的に活動できる環境づくりを目指しました。そして、少しでも情報に興味を持ってもらうこと、将来、授業でやったことを利用して情報を活用できるように授業をしてきました。この3校での経験は今も授業で活かされています。 その後4校目で定時制、全日制の商業高校で勤務することができました。同じ敷地内にあり両方経験ができたこと、商業科目を指導できたこと、女子ソフトボールの顧問を経験することができました。商業から離れていた期間が長いこともあり、多くの先生方の授業を見学させていただき、改めの商業の面白さと自分の知識の少なさを実感しました。そして、検定合格は勿論のこと、学んだことが社会で活かせる授業をしなければならないと考えさせられました。宮城県での講師経験を通じ、様々な校種や学校で経験できたことで多くのことを学ぶことができました。【…4.静岡県での教員生活…】 平成24年度から静岡県で正規採用となり静岡県立浜松商業高等学校(以下:浜商)で勤務することになりました。当時は、震災1年後の採用であったため、これから復興していくところで地元を離れることに悔しい思いをしていたことを思い出します。しかし、静岡の生徒のため、採用していただいた静岡県のために気持ちを切り替え静岡県での教員生活がスタートしました。 最初は、色々なところで戸惑いもありましたが、いつも明るく挨拶を交わすこと、何事にも周りを見て一緒に行動することで多くの人から声をかけていただき、助けていただきました。他県からきた私を、温かく迎えて下さり、多くのことを教えていただきました。浜商の4年間は、長いようであっという間に過ぎていきました。 部活動では伝統ある硬式野球部の顧問になり、毎日朝から晩まで生徒と一緒に汗を流していました。伝統校であるがゆえに多くのファンがいること、地域の方々から応援されていることなどこれまでにない経験を積むことができました。この環境で野球部の一員として活動できたことは本当に勉強になりました。 商業教育では、高度資格取得を目指す生徒もおり、私自身も教材研究に力を注ぎました。なかなか生徒を引き付ける授業展開をすることができず悩むことも多くありました。悩んだときこそ先輩教員の授業を見学し、相談することで乗り越えてきました。また、生徒会執行部の顧問として商品開発にも取り組みコンビニエンスストアとの共同開発を行うことができ、生徒ともに新しいことにも挑戦することができました。この

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