View & Vision No42
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5342平野が形成され、さらに江戸時代から現代に至るまで埋め立てが行われたことで、人々の生活の舞台が里山から海岸部に移動していったのである。 さらに、昭和30年代以降に重化学工業の大規模工場が海岸部の埋め立て地に立地するようになり、その周辺では人口が急激に増加したのである。その結果、かつての生活の中心であった里山は人口減少が進み、町や集落が縮小して過疎化が進んだ。こうして古い歴史のある地域は取り残され、そこを通る久留里線のようなローカル線も乗客急減に悩んでいるのである。  しかし久留里線沿線の里山を見ると、小櫃川や小糸川のような中級河川をはじめ、平成の水百選に選ばれた久留里の湧き水、谷津田、レクレーションに利用されている丘陵部など多くの魅力を持っている。そこには日本人なら誰もが親しみを感じる故郷の原風景が広がっているのである。 観光による地域活性化という場合、かつてはJTBなどの旅行業者が扱っているような「見る」「食べる」「遊ぶ」の「るるぶ型観光」が中心であった。しかし各地で地域興しのために観光地が開発され、しかもどこも似たような特徴(温泉、グルメなど)で競っている現状に於いて、それらの観光地の定番資源を持つことができない「普通の地域」では新しい切り口での観光で外部から人を招き入れることが必要である。それが「体験する」「交わる」「住む」の「るるむ型観光」である。   つまり地域の人々の普通の暮らしを体験し、地元の人々と交わり、そこに移住するという定住促進型の観光こそが、観光で地域活性化を図る場合に最も重要な観点である。3 地域活性化における若者の役割―人間社会学部学生の報告 次に久留里線沿線を調査した学生から、報告と提案があった。人間社会学部2年の川名友貴君、中野智仁君は、地元の高校生達との活動も踏まえて、若者の目線で久留里線沿線の魅力と活性化に向けた取り組みの提案(久留里線の車両への自転車の持ち込み、乗車券におみくじをつけるなど)を行い、さらに2月に行った調査をもとに小湊鐵道養老渓谷駅から久留里線久留里駅までのウォーキングコースの設置を提案した。4 里山活動の報告(1) 上田 隆氏(上総自然学校) 上総自然学校は袖ケ浦市にある真光寺が運営する農業体験を行っている組織である。 上田氏は真光寺の保守管理を行っているほか、この学校の運営を行っている。真光寺では周辺の里山で耕作放棄地が増えたり、産業廃棄物処分場や土砂の採取場が増えていることに危機感を持ち、休耕田を預かったり買い取ったりして、都会の人々が農業体験ができるように環境を整備している。そこでは参加者に田植え、除草、収穫などの作業を行ってもらい、その参加状況に応じて収穫した米を渡している。 現在、固定客(リピーター)を中心に一定の参加者を得ながら「農業体験」という商品を都会の人たちに提供し、日頃のストレスの発散や子供の情操教育の場として利用してもらっている。利用者からは良い反応を得ているようだ。 参加者には家族連れだけでなく、IT企業の社員も日頃のストレス解消をかねてボランティア活動として参加しているそうである。(2) 田中久雄氏(蓑会創設者) 田中氏はヨーロッパに拠点を持つ旅行代理店に長く勤務し、ロンドンでは10年間生活をしていた。定年退職後帰国し、どこに住むかで首都圏の各地を探したパネルディスカッションの様子

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