View & Vision No42
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5442末に久留里に落ち着いたという。久留里を選んだポイントとしては、①静かな里山、②穏やかな気候で晴れが多い、③水のおいしいところ、④近くに歴史の香りがする街がある、⑤首都圏にあって東京への交通の便が良いなど、などの項目をあげて1年あまりをかけて約20カ所回った末に、久留里にたどり着いたとのことであった。それが今から17年前のことであった。 田中氏は里山ライフを楽しむ同好会を作ろうと地元の有力者の参加を求めて10年前に蓑会を設立した。蓑会では畑を借りての農作業、パンや豆腐、味噌などの食品づくり、炭焼き、ウォーキングなどを行って里山暮らしを楽しんでいる。会員数は44人(報告時)で、地元住民が25%、久留里近郊居住者が60%、遠隔地に居住して時々訪問する人が15%という構成だとのことである。 年間50回から多いときで100回の活動を行いながら、会員相互の親睦を深めているとのことである。蓑会の特徴は、古くから住んでいる旧住民と新しく久留里にやってきた新住民の融合を意識的に進め、それを地域活性化の一助にしようと楽しみながら活動を続けているところである。多様な活動を通じてこうした努力を続けているところにこの会の魅力があると思われる。(3)豊島大輝氏(きみつ里山ネットワーク コーディネーター) 豊島氏は君津市を中心に里山活動を行っている方である。豊島氏の報告を整理すると以下の3点になる。その一つはエネルギーの「地産地焼」で、君津の山林整備で出た間伐杉を利用して、温泉旅館のボイラーの燃料として利用することを実施している。次に東京の大学生の環境サークルの活動(合宿型のボランティア活動)を支援することで、環境問題にも取り組んでいる。さらに歴史的資産の発掘として、鹿野山神野寺に参拝する人々が通った巡礼路(鹿野山古道)の復活を目指した活動も行っている。 豊島氏はこれらの活動を通じて、様々な可能性を持つ里山の魅力を多くの人々に知ってもらい、気軽に里山に触れることができるようにしているのである。(4)坂本好央氏(NPO法人久留里フィールドワークミュージアム代表) 坂本氏は久留里の古い建物の保存や活用を行う活動をしている。坂本氏によれば久留里は城下町として知られているが、町が発展したのは明治以降で、鉄道(久留里線)が開通したあとに、里山から都会(東京方面)への物資の集散地として賑わいを見せたのだという。現在の商店街を形成する建物の多くは「昭和8年頃に建てられた贅を尽くした魅力的な建築物が多い」(シンポジウム報告書16ページ)とのことである。久留里が物資の集散地となった要因は、古くは小櫃川の水運があり、その後大正元年に久留里線が開通してからは鉄道が町の発展に貢献したそうだ。江戸時代から大正時代まで、河川交通により発展した町が、鉄道の開通によって衰退するという例は佐原のように全国にあるが、輸送の主役が鉄道に代わってからも発展し続けた久留里のような例は珍しいそうである。 その後里山から久留里を通って江戸・東京方面に人も物資も流れていき、久留里を支えた産業が衰退する中で久留里やその周辺の人口が減少した。しかし最近里山への関心が高まってきているので、今後は久留里が大都市から里山に向かう人の流れの入り口として役割を果たしていけば良いのではないか、というのが坂本氏の見解である。(5)高木繁昌氏(いすみ自然エネルギー株式会社取締役) 高木氏はもともと都内(目黒区)に住んでいたが、人間社会学部鎌田准教授による高大連携の報告の様子

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