View & Vision44
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14特 集女性の活躍が地域社会を変える44特 集基幹産業の柱をつくる 宮城県気仙沼市は人口6万3千人の街で基幹産業としては水産業が挙げられ、鮪、鰹、秋刀魚の水揚量は全国でも有数を誇ります。フカヒレの産地としても有名であり、生産量は日本一であります。市の中心部に水産加工団地があり、牡蠣や帆立の養殖、ワカメの養殖なども行われています。 2011年3月11日東日本大震災の津波により7割の工場、店舗が流出し、廃業した企業や現在も仮設店舗で営業している店舗も数多くあります。 住宅被災としては1万6千棟、人的被害は1千400人に及びました。76センチの地盤沈下により集中豪雨になると道路が雨水で溢れるという現象が今も続いております。 震災から来春で7年が経過しますが復興、復旧の目処は立たず、これから廃業する企業も増えてくると考えられます。この街がこれからどのようになり、自分たち経営者が街にどのような仕事を創り、その仕事を後継できるかが日々の課題であります。 私は1998年千葉商科大学商経学部経済学科に入学しました。当時女子学生はクラスに1名から2名と珍しがられる中、経済学や貿易学を主として学び、英語、心理学、情報教育なども合わせて学びました。 当時の思い出としては、研究基礎でグループ討論する授業があり、クラスメイトとパネルディスカッションをしたり、グループ研究(研究内容は経済に関するテーマを自由に選択)を発表したりする授業がとても面白く、興味がありました。その授業が社会人になった現在、自分の考えをPRする会議や経営者研修会、勉強会で活きております。 大学時代は勉学に励む中、女子軟式野球部にも所属し全国大会で入賞致しました。 入学当初は部としてではなく千葉商科大学女子軟式野球愛好会として活動しておりました。部に昇格するためには部員の人数確保と関東リーグでの功績が必須で、部員は3年生4名、2年生1名に1年生6名が加わり大会に出場しておりました。1年生の6名(私も含む)は商学科3名、経済学科3名のうち野球経験者は1名もおりませんでした。しかし、チームメイト全員、スポーツ経験があり高校時代は剣道部、ソフト部、陸上部、テニス部などでインターハイ出場経験者や優勝経験者でした。女子学生が少ない中、当時、人数を集めるのに苦戦しておりましたが、縦の繋がりだけでなく、横の繋がりで友人の協力も得て何とか野球ができる人数を集めました。当時監督を務めて下さった中澤興起監督と作り上げた部であります。株式会社パートナーズ 専務取締役澤井 律子SAWAI Ritsukoプロフィール2002年 千葉商科大学商経学部経済学科卒業2002年 宮城県気仙沼市水産加工会社就職2006年 株式会社パートナーズ設立2016年 株式会社サンワールド設立千葉商科大学卒業後、宮城県気仙沼市水産加工会社入社。内勤業務を経て、営業職へ転身。株式会社パートナーズを設立し、太陽光発電システムを主として再生可能エネルギーの販売施工業務に携わる。昨年、株式会社サンワールドを設立、地域雇用の創出と国内外で活躍できる社員教育をすることを目標に経営に携わる。はじめに1これまでの歩み2女性の活躍が地域社会を変える

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