View & Vision44
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17特 集女性の活躍が地域社会を変える44した。電気がついた喜びも束の間、誰もが落胆し不安でいっぱいの毎日を過ごしておりました。 そんな状況下で自分に出来ることは何か考え、太陽光発電システムを導入していた方々に電気の使用方法を伝え、その方々は昼間、発電した電気を使用し、冷蔵庫、洗濯機、炊飯をし、中にはお風呂に入れた人もいらっしゃいました。情報が錯綜し現地では外(遠方にいる親戚や友人)との交流は携帯電話ですることしか出来ませんでした。数日は携帯電話も使用出来ず、いち早くKDDIが電波通信アンテナ機器を現地に運んで下さり、携帯電話が使用できるようになると今度は携帯電話の充電が出来ず、遠方への連絡や市内にいる家族との連絡が途絶えてしまうという状況になりました。太陽光発電システムを持っていた方々に電気の使用方法を伝え、携帯電話の充電をして遠方との連絡を取って頂きました。日本国内だけでなく海外との連絡も取れました。その方々の中には近所で電気を分け合い、みんなで助け合い生活をしていた話も耳にしております。 自宅も一部損壊しましたが太陽光発電システムのお陰で近所の皆さんに暖かいおにぎりを配り、携帯電話を充電、遠方の家族と連絡を取る手段として、人の役に立つことが出来ました。 2012年9月、千葉商科大学によるボランティア活動が開始しました。声を上げて下さったのは在学中にお世話になった中澤興起監督と鈴木春二教授でした。1ヶ月半弱電気が届かず、2ヶ月水道がこない状況下で過ごしていた私に電話が入り被災地を見に行き、何か力になりたいとおっしゃって下さり、震災翌年に足を運んで下さいました。 2012年から昨年まで5年間に渡り、毎年20名から40名の計150名以上の後輩に被災地の応援に来て頂きました。1年目の学生は40名弱、腐敗臭がある中、瓦礫撤去と水産工場内の掃除をして頂き、現在3工場稼働するようになりました。震災後に解雇という状況下に置かれた従業員も再就職し、同工場で働いております。 東日本大震災で学んだことは沢山ありますが、その一つが『働く場所の大切さ』です。 水産工場や店舗の流出により多くの人は仕事を失いました。多くの企業は、再生のために一時的に解雇という形を取るしかない状況下に置かれました。私の会社も人的被害がなかったことに安堵するのも束の間で、事業存続をどのようにするか、存続できたとして従業員全員を解雇せずに存続できるか、毎日悩みました。もし仮に働く場所が無くなったら、従業員の家族はどうなるか考えているときにお店の瓦礫や隣接する企業の瓦礫を懸命に片付けている従業員の背中に後押しされました。大被害を受けた水産工場は再起までに時間がかかる、地元の基幹産業の要である企業がまだ身動きが取れない状況下、当事業は必要な仕事であり、そして、従業員の職場を守り続けることが私の使命であると痛感しました。普段、働いている場所はみんなで作り上げていく場所であり、その場所を提供するのが事業経営者の最低限の務めであります。2011年3月未曾有の東日本大震災から6年4ヶ月、今もまだ事業存続、働く場所の構築のために地元企業経営者は日々奮闘しておりますが、その一員として常に前を向いて歩いていきたいと考えます。 2016年8月、今から1年前に世界で通用する人材を共育し、企業へ訴求することを目的に株式会社サンワールドを設立しました。会社設立に至った経緯としては現在抱える人材不足問題に直面したからです。 東日本大震災前から企業における高齢化問題はありましたが、震災以降、より深刻化し、特に若手人材不足が課題となっております。また、女性の社会での活躍が進む中で高齢出産や未婚者の増加、働き方を考え、工夫しないと生計が立たなく、健全に仕事に取り組むことが難しくなりました。結婚、出産、育児、仕事すべてをバランス良くこなせる人は限られており、直面する問題を各々抱えているのが現状です。 人材不足は高齢化や都市部への人材流出、海外への人材流出が大きな原因といえます。海外から日本へ、都市部から地方へと人材が集まる仕組づくりが必要であると考えます。 そこには固定概念があり、その固定概念を崩す必要性があります。例えば都市部のほうが交通手段として電車、新幹線、飛行機、車などの移動手段が多種多様で便利であり、子供の教育機関として小学校、中学校、高等学校、大学の選択肢も沢山あるという概念です。基幹産業の柱づくりと東北経済の課題5

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