View & Vision44
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19特 集女性の活躍が地域社会を変える44 「女性だからそのポストにつけたのではなく、能力があるからポストにつけたらたまたま女性だった、と言いたいのだが、我が英国ではまだまだ前者の域から出ていない」 英国のサッチャー元首相の弁である。 マーガレット・サッチャー女史は保守党初の女性党首であり、英国史上初めて首相になった女性として1979年から1990年までその座にあった。強い意志をもって強硬な保守的政策を貫く姿勢から「鉄の女」と呼ばれたことはよく知られている。冒頭の言葉は1986年、東京サミットで来日された際に伺ったものだ。 1980年代といえば、国連が女性の地位向上を目指して1975年から向こう10年間にわたり制定した国際婦人年が、各国で各種の行動計画を結実し始めた頃であり、empowermentが合言葉になっていた。先進国首脳会議で来日した各国のリーダーたちは米国レーガン大統領、仏国ミッテラン大統領、分断状態だった西独からはコール首相、迎える日本は中曽根康弘総理、といった顔ぶれで、冷戦下のpower politicsを体現する雰囲気の中、紅一点がサッチャー首相だった。メディアを含め、男性陣からことさらに「女性であること」のメリット、デメリットなどを質問され、さぞ辟易されていたことと思う。 ある時、「ええ、大変なメリットがありますよ。国際的な意思決定の重要な場で、他国が皆、区別のつかないドブネズミ色の男性たちの集団の中で、華やかなスーツを着て動いていると、あっ、あそこに英国がいる、と一目瞭然、アピールできます」とおっしゃりニコッと笑った。政治的リーダーシップに関する強烈な皮肉である。このウィットに富んだ余裕がサッチャーさんをサッチャーさん足らしめるものだと思う。 そもそも「鉄の女」の称号は、当時のソ連が反共政策を推し進めるサッチャーさんに皮肉をこめて送ったものだが、彼女はそれを逆手にとり、自分の代名詞として享受したのだった。 筆者は80年代、NHK報道局のニュースキャスターとして取材に当たっていた。大学での専門は国際政治学であり、サッチャー首相は研究対象であるのみならず、その姿勢が大きな憧れだった。当時の日本は女性の社会的役割に関して後進性が強く、例えばNHKの「ニュースセンター9時」という平日夜9時からのメインニュースでは、筆者以前に女性のキャスターはいなかった。ニュースバリューの大きなものは男性キャスターの領域であり、主要閣僚のインタビューなどにも女性は行かれなかった。尤も、当然な部分もある。当時は労働基準法で女性の深夜労働や残業等が規制されており、夜討ち朝駆け等の取材も男性並みに行うことは難しかった。同等の取材が出来なければ、出稿した記事に差が出るのは仕方がない。1985年に男女雇用プロフィール東京工業大学講師を経て千葉商科大学教授。政策情報学部長を2期つとめた後、2015年に新設した国際教養学部の学部長に就任。政府税制調査会委員、衆議院選挙区画定審議会委員、医道審議会委員、中教審委員など国の政策決定過程に参画。平成22年度地方教育行政功労者表彰を受賞。英国サッチャー元首相の言葉1ジェンダー問題におけるパラダイムシフト千葉商科大学国際教養学部長宮崎 緑MIYAZAKI Midori特 集女性の活躍が地域社会を変える

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