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特 集EBPMと行政事業レビュー2348という問題は指摘できるかもしれない。この点については、性格の違いを認めつつも高すぎる指標を設定することにより事業者の行動を過度にリスク回避的にしてしまう危険性について担当者からの指摘もあったところであり、どのような水準で指標を設定すべきかという問題自体についての分析が必要になることを示唆していると考えることができるだろう。 これらの検討を踏まえて、結果的には③まちなか商業活性化が「事業全体の抜本的改善」となり、それ以外の3事業はいずれも「事業内容の一部改善」となった。After the Review3 このような形で展開されたEBPMの取り組みを、どのように評価すべきだろうか。第一に、個々の政策の必要性・有効性に関する分析を客観的に行なうことが目指されたことにより、その評価に結び付く事実が明らかになったことを肯定的に考えることが、もちろんできるだろう。典型的には③まちなか商業活性化において、事業の必要性に関する検証がサービスの提供者(商店街側)に対してのみ行なわれていたことが明らかになったことがその例として挙げられる。やや厳しく表現すれば商店街の当事者による「自分たちは必要とされているはず」「自分たちの存在によって地域は活性化しているはず」という信念ないし思い込み、省庁内の担当者が持つ「街のにぎわい」のイメージや所管分野に対する熱い思いに依存して政策が形成されたのではないか、消費者の持つ現実の需要に対応できていないのではないかという疑問が、そこからは浮上するだろう(念のために言えば今回の範囲ではその信念が誤りであると示されたわけではなく、さらなる検証が必要だということが強く示唆されたにすぎない)。このような「思い」を客観的に検証することにより政策の合理性が向上することは、十分期待できるのではないだろうか。 他方、現在の枠組みの問題点についても示された部分がある。それを典型的に示しているのは①JETRO運営費交付金であり、内容的にも目的についても多様な事業を担当している巨大組織に向けた運営費交付金が一括して扱われたことにより、ロジックモデルも複雑かつ多様なものになり、その検証自体も  特に公開プロセスのように限られた時間・労力の範囲内においては  困難なものになったのではないだろうか。 EBPMが本来対象としていたのは政策(policy)であり、それは達成を目指す一定の目標と、その実現手段のパッケージとして想定することができるだろう。たとえば自動車製造業など特定の産業の振興を目的とし、そのために新技術の開発に対して補助金を給付することを、産業政策の一例として挙げることができる。逆に言えばそこには達成すべき帰結の内容と成否の基準が内包されており(当該産業の売上高や利益率が上昇すれば成功)、その実現に対してどれだけの資源  典型的には予算と労力  が投入されたかによって効率性を測定することが可能になるだろう。ここで想定される効率性の変化と、政策から帰結への因果関係が実在しているかどうかを検証するための科学的手法として構築されてきたのがEBPMだと言うことができるのではないだろうか。 これに対し行政事業レビューの対象は文字通り「事業」である。検証を進める際の事業の単位については「国民の分かりやすさや成果の検証可能性等に配意」すべきことが求められているが(行政改革推進会議「行政事業レビュー実施要領」https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/gyoukaku/H27_review/H27_Basic_Information001/zyouryou.pdf)、あるいは「個別事業と直接関連づけることが困難な共通経費」として点検対象外とされている事業が定員管理している国家公務員の人件費であるとか一般行政経費といったように経費の形で定められていることの影響か、あるいはそれらの背景にある通念として事業と予算項目が対応するものと想定されているためか、政策としての目的ではなく、その実現のための資源たる経費によって規定されている傾向が見られるのではないだろうか。政策効果の検証という観点からは、予算査定の単位ではなく、介入の目的と手段に応じて対象を区切っていく必要があるし、現状のレビューシートなどにおいてそうなっていない部分を洗い出し、改善していくことが求められる。 また、政府が行なっている事業のなかには、②補給金・信用補完制度のように発生する懸念のある一定のリスクに対処することを本質的な目的としているも

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