view&vision48
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3648揚感となっただろう。この盆踊りは、準備期間が大事だったのだ。撮影者の立場では気づかなかった。 仮装の風習は、いつから始まったのか、誰に聞いても「昔からやねぇ」と言うだけで、よくわからない。しかし「しまわたし」を契機に、他にない風習には、身体を通じて受け継がれる経験のあり方が結晶しているのだ、ということに気づくことができた。 まだ2歳の娘には、盆踊りのことは記憶に残っていないだろう。しかし、おそらく100年以上ある睦月島のお盆の光景を、娘のなかにつくることができた。「しまわたし」を通じて、経験を掘り起こし、未来につなげたい。そこにこの試みの意味がある。これからの「しまわたし」 睦月島に父が建てた小さな家は、2018年7月西日本豪雨の土砂崩れで全壊した。私は8月に様子を見に行った。家の跡には、戻された屋根だけが残っていた。見たとき、なんだか滑稽なものと感じた。自然の脅威を感じるということもなかった。こんな風に壊れるとは思ってなかったが、いずれなくなるとは思っていた。2018年7月、西日本豪雨で全壊した小さな家。撮影日は8月。農道に屋根などが流れ落ちていたが戻されていた。2019年には、がれきは撤去されていた。 これまでも、睦月島にあった自分の好きなものが、たくさんなくなった。木材で作られた船着き場、海水浴場、飛び込み台、砂浜、海苔養殖のいかだ、花火を売っていた駄菓子屋、小学校と中学校、盆踊りの生演奏、満天の星空、夕日が美しく見える段々畑、整備された白い農道、親戚のミカン畑、本家の伯父さん…これらはいつの間にか消えていたが、この家だけは、終わりを見せてくれた。これから5年、10年経過すると、ほかにいろいろなものが消えているだろう。崩壊した家を見て、「しまわたし」は、このような喪失に立ち合い続けることだと確信した。 「しまわたし」で撮りためた膨大な映像はデータ保存してある。それらを編集し、失われた情景や出来事を振り返って偲ぶような、ノスタルジーにひたる映像作品としてまとめることもできるだろう。 しかし、その映像もいつかは見ることができなくなる。映像データを、長い年月残すためには、専門的な技術と設備が必要で、費用もかさむ。日々膨大な映像データが生成されているが、数十年先に残るのは、わずかだろう。 そのことを十分に承知していて、なお「撮りたい」と思う私の気持ちはどこから湧いてくるのだろう。喪失と立ち合うことだと覚悟しながら、なお楽しく、魅力を再発見できる睦月島という場所は、私に何を見せてくれようとしているのか。そのことに真剣に向き合うことで、故郷への「おもい」を「かたち」にする表現になっていくだろう。

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