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3748はじめに弊社は1930年に現在の地、東京都江戸川区松島1丁目にて私の祖父である佐藤粂助が創業した。当時は町の印刷工場として、手動の活版印刷機で主に名刺やハガキを印刷していた。その頃の江戸川区松島は一面の蓮田に覆われた農村地域で企業や商店等は少なく、印刷の需要もさほど無い中で細々と営んでいたようである。戦後の高度経済成長の中、2代目である父の佐藤欽也が代表取締役に就任し、当時の印刷業の先端であったオフセット印刷を導入し、会社も個人経営から有限会社の法人とし、地域密着型の印刷会社として、地元の官公庁や企業、諸団体を中心に事業を行っていた。この頃は江戸川区も経済発展の真っ只中で、顧客の数や仕事の量も順調に増えていき、1992年には有限から株式に組織変更をし、印刷技術・製版技術も活版からオフセットへ、写植からコンピューターDTPへと時代に合わせた組織・設備へと移行されていった。2006年に私が代表取締役に就任した。社員数は2019年現在で12名、地域密着型の小さな印刷会社である。この頃の時代はインターネットが普及しコンピューターの技術も飛躍的に進歩した。印刷ではオンデマンド印刷が普及し、製版でもフィルムレスのCTPプレートが主流となる。カラー印刷の製造コストが大幅に安くなり、オンデマンド印刷の普及も手伝い小ロットでも大ロットでも手軽にカラー印刷が行えるようになった。しかし時代の流れは着々とペーパーレスへと移行していく。縮小していく印刷市場印刷業界はバブル期には13兆円産業であり、「お金を刷っている」とまで言われたほど収益性の高い業界で、当時は、自宅の一間をつぶして印刷機を1台おき、社員は自分ひとりという下請けを中心とした印刷会社が無数にあった。その印刷業界もインターネット化・ペーパーレス化の流れと漫画・雑誌・本離れによって紙媒体が減少し、市場縮小が進み13兆円あった市場は今では5兆円まで減少している。経済産業省「平成25年工業統計表 産業編」によると、2013年の印刷・同関連業の事業所数は2万7,026(前年比4.3%減)と、製造業全体の6.6%を占めており、製造業24業種においては、金属製品製造業(5万5,556)、食料品製造業(4万3,320)、繊維工業(4万128)、生産用機械器具製造業(3万7,389)に次いで、製造業24業種中、上位5番目の多さになっている。印刷・同関連業の約2万7,000事業所は、書店数(1万3,943、2014年)の約2倍、保育園・保育所(2万4,425、2014年)より若干多く、ガソリンスタンド(3万3,510、株式会社サトー印刷 代表取締役佐藤 大輔SATO Daisukeプロフィール1995年3月 千葉商科大学商経学部経営学科卒業1995年4月 株式会社サトー印刷入社2006年4月 代表取締役就任現在に至る縮小する市場の中で零細企業が生き残るために

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