東日本大震災から7年目の課題とは?

2018年1月16日

東日本大震災から7年目を迎えた2017年3月末、福島県内の4つの市町村で福島第一原発事故に伴う避難指示が、帰還困難区域を除き解除されました。東日本大震災に関連した報道が減少する中、避難指示の解除と聞いて、それぞれの地域で復興や創生が着々と進んでいるように思われるかもしれません。しかし、その現状はどのようになっているのでしょうか。避難指示が解除された福島県飯舘村を例に、震災から7年目の課題を考えてみます。

福島県飯舘村の現状

2018年1月1日現在、飯舘村では村内の住居者数602人に対し、県内外への避難者数が5,277人となっています。避難先から帰還した住民の割合は9%以下であり、そのほとんどが60歳以上の高齢者です(1)。しかし、高齢者をはじめ、どの世代においても健康を維持するために必要不可欠な医療福祉施設(病院や老人ホームなど)の数が不足している現状があります。これは、働く職員の人手不足が原因であり、需要と供給のバランスが取れているとは言い難い状態です。

私が2017年8月に飯舘村で現地調査を行った際に訪問した「特別養護老人ホームいいたてホーム」は、広大な敷地に立っており、施設内はとても明るく綺麗で過ごしやすい雰囲気となっています。もちろんこの施設も避難区域内にありましたが、国からの特例を受けて、震災後も休止することなく継続して事業を続けてきました。震災当時は、106人の高齢者がいいたてホームに入所していました。最高齢は102歳、平均年齢は84.7歳、要介護度は平均で4であり、うち60人は車いすが必要で、30人は寝たきり状態でした(2)。通常であれば全員が村外に避難をしなければなりませんが、他の地域では、高齢者が避難することから生じる心身の負担によって亡くなったケースも出ていました。そのため、放射線量の低い室内にいることで、避難に伴う健康へのリスクを回避するという選択を選んだとのことです。なお、村内に在住していた施設職員も避難を余儀なくされ、特例として村外から通勤することで、いいたてホームで勤務を続けました。

現在は、短期入所(ショートステイ)、訪問介護(ホームヘルプサービス)、通所介護(デイサービス)が廃止または休止となっており、再開の目途は経っていない状態です。また、特別養護老人ホームにおいても、規模を縮小して運営をしています。このような状態であっても、働いている職員の医療福祉に対する熱意はとても強く、介護の質を落とすことなく高齢者のケアを実践しています。今後、高齢者の帰還者数が増えると、今以上に医療福祉サービスの供給が追い付かない状態になってしまうことが懸念されています。

道の駅までい館また、帰還後に生活をするあたり、食料品や日用品をはじめとする日常生活品の調達はどうしたら良いのでしょうか。2017年8月12日には、住民の帰還後の日常生活を支える地域福祉の拠点として、「道の駅までい館」がオープンしました。ここでは飯舘村で生産されたサヤインゲン、ニンジン、白菜、ナス、ピーマン、ジャガイモなどの野菜や、ポインセチア、シクラメンなどの花卉園芸品などを販売しています。また、コンビニエンスストア(営業時間6:00~20:00)や軽食スペースも設けられています。震災以降、飯舘村には商店がほぼない状態であり、日常生活品を購入する場所がありませんでした。その意味では、道の駅がその役割を果たすことができるため、帰還した住民にとっては生活環境の向上に繋がると期待されています。しかし、ここで購入できる日用品の種類は限られており、道の駅だけですべての日用品が揃うわけではありません。例えばホームセンターなどは閉鎖されたままであり、再開の目途は立っていません。そのため、他の何らかの手段もうまく活用していくことなどの工夫が必要になってきます。


【参考資料】

  • (1)福島県飯舘村「平成30年1月1日現在の村民の避難状況」資料より
  • (2)朝日新聞(2011年5月17日)の記事を要約

被災者の心の変化

一方、被災者自身はどのように感じているのでしょうか。2017年11月に開催された第69回高円宮杯全日本中学校英語弁論大会に福島県代表として出場した、飯舘中学校3年の佐藤安美さんのスピーチ内容がとても印象的です。「被災者と呼ばないで」というタイトルで次のように述べています。

「私には口にしたくない言葉があります。それは被災者という言葉です。災害による被害を被った人のことを意味します。私はもう被災者ではありません。そう呼ばれることにうんざりしています。~中略~ 私たちは、自分たちの未来を、自分たち自身で創っていくことができます。私たちは被災者という言葉をもう使いたくはありません。私たちは、前を向いて生きているのです。」(3)

さらに、スピーチの中では、震災時の状況について報道では誇張して伝えられ、被災者というイメージをメディアが作り上げてしまったとも語っています。

また、東日本大震災の直後に福島県飯舘村から、千葉県山武市に黒毛和牛142頭と共に避難している小林将男さんも時の経過とともに心境にも変化がありました。小林さんは飯舘村で「飯舘牛」としてブランド化された村の特産品を生産していました。現在もその血統を残そうと山武市で畜産を続けています。しかし、飯舘村出身の牛であっても、山武市で育成されているため、飯舘牛の名称を使うことができません。そのため、「山武和牛」として出荷をしています。出荷の当初は、千葉県の厳しい放射線量検査をクリアしたにも関わらず、福島県出身の牛ということで、風評被害を受けました。しかし、地域住民をはじめ、千葉商科大学人間社会学部の学生などが、飯舘牛の血統を受け継ぐ「山武和牛」をPRするために「山武和牛デビューイベント」の開催や、さまざまなイベントへ出店するなどの活動によって、小林さんの支援を続けてきました。

避難生活も長くなり、支援に関わる人たちが増えてくると、小林さんは地域に恩返しがしたい、牛肉を使った手頃な商品を作って皆さんに喜んでもらいたいという気持ちを強くしました。この思いから2017年8月に生まれた商品が「山武和牛ソーセージ」です。この商品のパッケージデザインをはじめとする商品開発に人間社会学部の学生が関わり、山武市のふるさと納税の返礼品にも採用されました。また、飯舘村の「道の駅までい館」においても、販売できるように準備を進めているところです。


【参考資料】

  • (3)福島県飯舘村「広報いいたて 平成30年1月号」より要約

人と人との繋がりで心の復興へ

小林さんに限らず、被災者自身は前を向いて進んでいます。今回は、福島県飯舘村における避難指示解除後の帰還の問題、被災者自身の心の問題についての事例を取り上げましたが、震災から7年目の課題は、インフラの整備や建物の再建などから、心の復興へと変わり、人々の健康や生活の支援を重視していることが分かります。帰還した人も、今も避難先で暮らす人も、それぞれの地域で心豊かな生活を送るために、人と人との繋がりは欠かせません。被災者や避難者というイメージに惑わされることなく、互いに支え合いながらより良い地域社会にしていきたいものです。

解説者紹介

准教授 増田 明子[人間社会学部准教授]
勅使河原 隆行 TESHIGAWARA, Takayuki
[専攻]
社会福祉学