時論

内田茂男学校法人千葉学園理事長(元日本経済新聞論説委員)による時論です。ときどきの社会経済事象をジャーナリストの視点で語ります。

前回お話ししましたように、アトキンソン氏は、日本の経済的潜在力は十分にあるにもかかわらず、それが発揮されていないのは、経営者がやるべきことをやっていないからだ、と主張しています。潜在力があるとみるのは、かつては先進国トップクラスだった日本経済の生産性がいまやどの指標をとっても先進国最低である。したがって80年代のように生産性水準を先進国上位にまで上げれば日本経済は十分に豊かになれるというわけです。

日本は人口大国だからGDP(国内総生産)では中国に抜かれたからといって世界第3位。輸出額その他をみても世界の上位に位置していることは事実です。しかし、1人1人の国民の生産性という観点から、マクロの経済指標を人口一人当たりでみたらどうなるでしょうか。

経済全体の生産性を表す一人当たりGDPは、アトキンソン氏によりますと、為替変動の影響を取り除いた購買力調整後で世界27位(2015年)です。輸出額は世界4位ですが、一人当たりに直すと44位(2015年)に過ぎません。これでは貿易大国などととてもいえません。このほかさまざまな経済指標を一人当たりに直すと日本は先進国といえるのか、という風景が広がります。たしかに生産性を上げる余地は十分にあるといえましょう。したり顔で「成長を追求する時代は終わった」などといっている場合ではないのです。

それではどうしてこんなことになってしまったのか。「日本の生産性が低いのは経営者の「経営ミス」だ」と断じるアトキンソン氏は、経営者がIT(情報技術)の導入、女性の活用などやるべきことを怠ってきた、と分析しています。高度成長時代は、人口が増えていたから、ほうっておいても経済は拡大していったので経営者はあえて改革に挑戦する必要がなかったのではないか。生産性向上には労働者の仕事のやりかた、業界のあり方、人の配分などを根本から変えなければならないが、経営者はやったことのないことはしたがらない、というわけです。

ここで少し違った観点から日本の経営者が果敢な挑戦を怠っている証拠をあげたいと思います。

まず日本の労働者の賃金がこの20年、まったく上がっていないことを確認しましょう。厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」によりますと、一般労働者の月間平均賃金は、1997年が298.9千円、2016年が304.0千円です。賃金はまったく上がっていないのです。

この間、企業の業績がふるわず、賃金を引き上げる余裕がなかったのでしょうか。事実はそうではありません。この点について9月4日付けの日本経済新聞が注目すべき記事を掲載しています。財務省の「法人企業統計調査(4-6月期)」によりますと、資本金10億円以上の大企業の労働分配率(企業が産み出した付加価値のうち労働者の賃金に回った分の割合)が43.5%で、高度成長期以来46年ぶりの低水準となったというのです。資本金10億円未満の中堅・中小企業の労働分配率もバブル崩壊直後以来の低水準だったということです。

労働分配率は企業の収益が増加する景気拡大期には低下し、逆に景気後退期に上昇するというサイクルを描くことはよく知られています。現在は景気拡大期間がいざなぎ景気を超える状況ですから、労働分配率が低下すること自体は理解できるのですが、ここ数年の労働分配率の低下はその域を超えているといえましょう。もっとも労働分配率の低下は世界的傾向だといわれています。AI(人工知能)の急発展を背景に企業が労働から資本への代替を急ピッチで進めていることがその原因として指摘されています。

しかし、これは日本企業には当てはまらないのではないかと思います。労働分配率を国際比較すると、先進国では日本が最低なのです。

加えて日本の企業が先進技術に積極的に投資している証拠が見つからないのです。前出の法人企業統計によりますと、2017年4-6月期の企業の経常利益はこれまでの最高を記録しているのです。昨年度の企業の内部留保は400兆円を突破し、過去最高を更新し続けているのです。

要するに企業は労働者の賃金を抑え、蓄積した資金を将来の成長のために投資せず、ただため込んでいるだけのようにみえるのです。日本の経営者はリスクを取る気概を失ったと言わざるを得ません。やることをやっていないのです。
(2017年9月26日記)


内田茂男常務理事

【内田茂男 プロフィール】
1941年生まれ。1965年、慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞社入社。編集局証券部、日本経済研究センター、東京本社証券部長、論説委員等を経て、現在、学校法人千葉学園常務理事、千葉商科大学名誉教授。

<主な著書>
『ゼミナール 日本経済入門』(共著、日本経済新聞社)
『昭和経済史(下)』(共著、日本経済新聞社)
『新生・日本経済』(共著、日本経済新聞社)
『日本証券史3』、『これで納得!日本経済のしくみ』(単著、日本経済新聞社)
『新・日本経済入門』』(共著、日本経済新聞出版社) ほか