時論

内田茂男学校法人千葉学園理事長(元日本経済新聞論説委員)による時論です。ときどきの社会経済事象をジャーナリストの視点で語ります。

2017年10月の総選挙で自民党が圧勝したことから、安倍晋三首相の念願である憲法改正に向けて与党で具体的な議論が行われています。改正の焦点の一つは前回、前々回で取り上げた憲法第9条ですが、もう一つはいわゆる「教育無償化」です。

現行憲法では教育について次の2つの条文を掲げています。

  1. 第26条:(1)すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する (2)すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う
  2. 第89条:公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない

安倍首相の強い意向を反映して自民党は第26条の教育無償条項を大学など高等教育にまで拡大して明記することを総選挙の公約としました。早くから高等教育までの無償化を主張している日本維新の会を取り込もうという意図がありありで、動機不純のそしりを免れないと思いますが、国家存続の基本である国民の教育のありかたが国政の重要テーマとなったことの意味は非常に大きいと考えます。

というのも「教育は票にならない」として、政策論争の表舞台に登場することがなかったからです。その原因を多くの実証研究やアンケート調査を分析した大阪大学の中澤渉准教授は近著「なぜ日本の公教育費は少ないのか」で「子供の教育は親の役目だ、とする意識が社会に広く浸透しているからだ」と述べています。

実は第26条の趣旨はこうした社会的風潮を意識したものでした。この点について木下智史・只野雅人編「新・コンメンタール 憲法」(日本評論社)では「歴史的には、子供の教育は家庭内における私的なものと考えられてきた」「しかし、工業化が進むにつれて、市民として、労働者として一定の水準の知識を持つことが必要と考えられるようになり、国家も教育に関与するようになった」と、欧米の公教育制度成立の経緯を振り返りながら第26条制定の趣旨・背景を説明しています。

今回の第26条改正についての自民党案は現行憲法の趣旨を時代の変化にあわせて修正すると考えればよいのではないでしょうか。現行憲法の制定時と現在では社会経済環境が全く異なるからです。このことを如実に物語るのは、高等教育機関(大学、短大、専門学校)への進学率で、大学への進学者がごくわずかだった終戦直後に比べ2017年度は80.6%(大学進学率は52.6%)に達しています。急速な技術進歩と経済発展を背景にいまや高等教育卒業者でなければ社会に受け入れられない時代となっているのです。個人の幸福実現の面からも社会の発展に寄与するという観点からも、高等教育を含めた教育の全課程が「公共財」といってもよいのです。この意味で第89条の見直しも必要だと思います。高等教育の過半を民間の教育機関が担っているからです。

国際的にみると日本の政府の教育機関への支出(公的支出)はきわめて貧弱です。OECD(経済協力開発機構)の調査(2016年)で教育への公的支出の対GDP(国内総生産)比を見ますと、日本は4.5%(2010年-2013年平均)でOECD平均(同5.2%)を大きく下回っています。2010年でみますと最低でした。日本では教育費の多くを家計が負担しているということになります。同じくOECD調査で高等教育段階の総支出に占める家計の負担率をみますと、日本は65%に達しています。OECD平均(30%)の2倍以上です。この教育費負担の重圧が出生率の低下につながっている、と言われています。家計はそれでも「教育は親の責任」として耐えているということだと思います。しかし、国民が文句を言わないのだからそれでよいのだ、というわけにはいきません。

もちろん高等教育の無償化には強い反対論があります。一つは財源です。文部科学省の試算によりますと、年間3兆7,000億円が必要だとうことです。自民党憲法改正推進本部の改正原案には、公約で掲げた憲法への無償明記は盛り込まれないと伝えられていますが、この財源難が理由のようです。しかし、これは財政支出の配分の問題です。子育てと教育を最優先すればよいのです。
(2017年12月25日記)


内田茂男常務理事

【内田茂男 プロフィール】
1941年生まれ。1965年、慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞社入社。編集局証券部、日本経済研究センター、東京本社証券部長、論説委員等を経て、現在、学校法人千葉学園常務理事、千葉商科大学名誉教授。

<主な著書>
『ゼミナール 日本経済入門』(共著、日本経済新聞社)
『昭和経済史(下)』(共著、日本経済新聞社)
『新生・日本経済』(共著、日本経済新聞社)
『日本証券史3』、『これで納得!日本経済のしくみ』(単著、日本経済新聞社)
『新・日本経済入門』』(共著、日本経済新聞出版社) ほか