広域自治体の「都・道・府・県」は、それぞれ何が違うの?

2015年8月26日

1. はじめに

私たちは、小学生のときに「47都道府県」の存在を教わります。以降、ほとんどの方はとくに違和感を覚えることなく「東京都」、「大阪府」、「千葉県」といった名称を使われていると思われます。ですが、最近まで議論の続いた「大阪都」構想のおかげ(?)で、どうして「都・道・府・県」と呼称が4種類もあるのか、疑問に思われた方もいると思います。今回は、その4種類の呼称が生まれた由来と、権限等の違いについて、概略的に説明していきたいと思います。

2. 府と県の誕生

現在も存在している「府」「県」は、1868(明治元)年に、明治新政府に接収された旧江戸幕府の直轄地に新たに付けられたものです。府は、城代、京都所司代、奉行といった上級の役職者が支配した重要地区(江戸府など10府)の名称とされ、また県は、府よりは重要ではないとされた新政府直轄地の名称とされました(41県)。しかし、1869(明治2)年に「府は、京都府、東京府(江戸府から名称変更)、大阪府の三つに限る」と政府から布告が発せられて、この3地域は政府が特に重要視する別格扱いの「3府」となり、残りは県に名称変更されました。さらに1871(明治4)年には、政府はあの有名な「廃藩置県」を断行し、旧大名諸侯が治めていた藩も県へと名称変更されました(「3府302県」)。ただし県は徐々に整理統合されて、現在の数に近づいていくことになります。

3. 北海道の誕生

北海道は、江戸時代までは「蝦夷地」と呼称され、「松前藩」が渡島半島の一部分を支配していました。しかしあの大きく広がる北の大地は、明治政府にとっては「未開拓」の場所でした。そこで政府は「開拓使」という政府直轄の役所を設置して、この北の大地の開拓事業を推進していくことにしました。そして、同時に政府はこの場所の名前を「北海道」と改称しました。これは、古代日本から続く「五畿七道」という行政区域の名称(例「東海道」、「山陽道」)に倣う形で付けられたもので、「県」よりも広域の行政区域であることがイメージされています。その後、開拓の10か年計画が終了したということもあり、1882(明治15)年に開拓使は廃止され、改めて札幌県、根室県、函館県の3つの県が設置されました。また、翌1883(明治16)年に国レベルでの開拓事業を継続するための「北海道事業管理局」も設置されました。しかし、3つの県と北海道事業管理局の間で「二重行政」が生まれたことが問題視され、政府は仕組みを見直すことにしました。具体的には、政府は1886(明治19)年に、3県と管理局を統合して、内務省(つまり国)直轄の「北海道庁」を新たに設置したのでした。現在でも「北海道県」などと言わないのは、この歴史に由来します。この点で、北海道は他の都府県と異なっているといえます。

4. 区の設置

当初設置された東京府の地理的な範囲は、現在の東京23特別区全域よりも狭いものでした。これは江戸時代に幕府が地図上で朱色の線で内側の部分に当たる城下町(朱引内とか御府内と呼称)とそれ以外(朱引外と呼称)を区分けしていたものをそのまま採用したためです。ところが、徐々に朱引外を吸収するなどして、東京府の面積が拡大していきます。そして1878(明治11)年に、大久保利通の建議により郡区町村編成法、府県会規則、地方税規則のいわゆる「三新法」が布告されます(ちなみに「三新法」ついては、公務員試験の「行政学」ではしばしば出題されます)。つまり、政府はそれまで雑多であった地方の区画に体系性を与えることにしたのですが、郡区町村編成法では、区(都市部)は、「3府と5港その他人民輻輳(ふくそう)(人口が密集しているの意味)の地」に設置し、地域が広い場合は、区分して複数の区を置くことにしました。そこで区が設置されたのは、以下のとおりです。

3府 東京15区、京都2区(上京・下京)、大阪4区(東・西・南・北)
5港 横浜区、神戸区、長崎区、函館区、新潟区
人民輻輳の地 伏見区(明治14年廃止)、堺区、名古屋区、金沢区、広島区、仙台区、岡山区、赤間関区、和歌山区、福岡区、熊本区、札幌区(明治12年設置)

東京府にはかつての朱引内(市街地)に15区を、また朱引外(郷村地)に6郡を、それぞれ設置しました。また郡の下には、旧来の共同体のまとまりを尊重して町村も置かれました。それに合わせて区長、町村長といった首長や区会、町村会といった公選の議会も設置されました。

5. 市の成立と府・区との関係

さて、上記のような地方制度の体系化を行った大久保利通ですが、明治11(1878)年の紀尾井坂の変で暗殺されると、地方制度の改革は山県有朋に委ねられます。山県はお雇い外国人モッセの意見を取り入れて、明治21(1888)年に市制町村制を公布しました。このとき、3府以外の「区」はそのまま「市」に名称変更となったのですが、3府については、「区のままにして市制の適用除外にすべきだ」とか「東京は複数の市に分割すべきだ」とか政府内部の意見が割れていました。とくに東京の場合は、東京15区をそのまま東京市とすると基礎的な自治体としては大きすぎるし、かといって東京を複数の市に分割すると、首都としての一体性が保てないという問題もありました。そこで間をとって、3府には区をそのまま残しつつ、東京市、京都市、大阪市も設置することにしました(東京の場合、東京15区を包括するものとして東京市を設置)。ただし、当初この3市には市長を置かず、府知事がその職務を担当することとしたのです(「市制特例」といいます)。つまり、できたばかりの東京市、京都市、大阪市はまだ「名称だけの存在」だったといってよいでしょう。要するに、府知事が従来通り広域行政を担当し(ゆえに市役所職員もいませんでした)、区長と区会が、市の下位の自治体として基礎的地域の行政を引き続き担当しました。「名前が変われどもこれまで通り」だったのです。

6. 市制特例撤廃運動

さて誕生した当初の「東京市」、「京都市」、「大阪市」は、一般市のように公選の市会(現在の市議会)が市長候補を推薦する(最終的には、天皇の裁可によって市長が任命されるが、地元の意向をある程度反映できる)ということはできず、あくまで内務省から派遣される府知事(国家公務員)に市長事務も委ねるしかなかったため(つまり、地元の意向を反映できない)、自治権という点では一般市に劣っていました。

そこで、帝国議会に議席を持つ政党から何度も「市制特例」の廃止の提案がなされました。そして、その提案者の代表格である大隈重信が、第二次松方正義内閣に入閣を要請された際に「市制特例の廃止」が条件としたこともあって、1898(明治31)年に市制特例は廃止されました。これにより、東京市、京都市、大阪市にも、市長と助役(現在の副市長)が設置されることになりました。また区および区長、区会もそのまま残されることになりました。つまり3地域の自治権はこの時点で大きく拡充されました。ただし、この3地域は、府-市-区の「三重行政」になったともいえます。

7. 東京都の誕生

ところが、太平洋戦争の真っただ中の1943(昭和18)年に、戦時決戦体制をつくるために首都の三層体制(三重行政)を一部解消し高度の能率化を図るという理由で、東京市が再び東京府の中に吸収されることになりました。これにより「東京都」が成立します。ただし自治体的な性格を持つ団体は残す必要があるとして、法人格を保持した区はそのまま残りました(東京23特別区の原型です)。一方、大阪と京都においては、府と市がそのまま残りました(戦前、戦中の京都・大阪両市の区には、複雑な歴史的変遷があるので割愛しますが、戦後になって東京「特別区」とは異なる「行政区」とされ、公式に自治権がなくなります)。

そこで当初の疑問—なぜ「都・道・府・県」の4種類の呼称があるのか—については、明治維新の際に「府」と「県」の2種類の名称で開始された仕組みに、新たに北海道が加わり、さらに戦時中に東京府が東京都へと名称変更したから、とお答えすることができます。また、なぜ東京には「市」がなく(かわりに特別区が存在)、京都、大阪には「市」があるのか(かわりに特別区のような存在がない)といえば、戦中から戦後にかけて3市に存在していた「三重行政」の解消の仕方が、東京(区を残して、市を消滅)と京都・大阪(市を残して区の自治権をなくす)で異なっていたから、といえると思います。

8. 戦後の都・道・府・県

第二次世界大戦が終わっても、東京市は復活することはありませんでした。そのまま東京都が存続し、新たに作られた「地方自治法」では都の区は「特別区」とされて、特別地方公共団体とされました。この特別地方公共団体のいうのは、普通地方公共団体(市町村、都道府県)と異なり、一部の自治権が制約されている自治団体という意味です。なぜ、都の区が「特別区」として自治権が一部制約される形になったかについては、(1)旧東京市の発展の中で、それぞれの区は相互に依存することを前提に都市を形成(住宅街、生産拠点、道路や鉄道といった交通網など)してきたという歴史があり、それを切り離して、一般市と同様に自治権を付与すると、首都としての一体性が保てなくなることが心配されたからだといわれています。また、(2)東京の一体性という点では、富裕区とそうでない区での地域間格差があるのは望ましくないので、区の財政力を調整できる権限を都に持たせた方が望ましい(つまり区の自治権を制約すること)とされたのも理由として大きいようです。

そこで本来、一般市ならば担当するはずの業務を特別区が行わず、東京都が行っているものがあります。消防はその代表格です。東京消防庁は、都の管轄下にあり、特別区全域(加えて都内の多くの地域)の消防・救急を行っています。他にも、上下水道や都営地下鉄などの交通も都が行っています。また都区財政調整制度により、本来なら市税に該当する固定資産税などが、区の直接の収入にはならず、いったんは都が徴収し45%を都の財源とし、残り55%を23区間の財政力格差に充てています。ゆえに人口が多くて富裕とされる世田谷区は、かつて「世田谷市」になりたいという構想を出していたことがあります(ただし法律の改正がない限り、特別区が市になることはできません)。

逆に東京都はいまでも、旧東京市の権限を多く保持しているといえます。言い換えれば、東京都知事は、旧東京府知事と旧東京市長の両方の権限を保持しているのです。オリンピックは都市が開催するイベントですが、どうして東京都という広域自治体の長である舛添要一知事が2020東京オリンピックの責任者になっているのか、その理由がこれでわかります。つまり、東京都知事は旧東京市長を兼ねている存在だからなのです。この点が他の道府県と大きな違いといえるでしょう。

また北海道には、「道州制特区推進法」という法律(2006[平成18]年成立)によって、国の権限が一部移譲されています。「道州制」とは、近隣の都府県を合併させて「州」にして、国の権限を一部行わせようという構想です。もっとも本当にそのような改革が行われるのかどうかは、現時点ではわかりません。あと、北海道はもともと「県」が3つドッキングしたような存在なので、単体で「州」のようなものであるから「道州制」のモデルケースには良いだろうということで、試験的に国の権限を一部移譲されることになりました。ですので、現段階で国から移された権限はそれほど大きなものとはいえませんが、この点については北海道が他の都府県と異なる点であるといえます。一方、かつては最重要地区に限られた呼称である「府」は、現在では「県」とは権限に差はありません。

9. おわりに

さて、近年では広域自治体と基礎自治体の間の「二重行政」を解消しようという橋下徹大阪市長の「大阪都構想」(大阪市を大阪府に吸収して、特別区を設置する構想)は大きな注目を集めましたが、2015年5月の大阪市の住民投票で否決され、この構想は実現しませんでした。もっとも、二重行政を解消するということについていえば、この「都構想」以外にもさまざまな提案が出ています。具体的には、横浜市は政令指定都市ですので、横浜市内限定とはいえ、神奈川県が本来持っていた権限のうち約80~90%を「奪って」いますが、それでは不十分として100%全部奪う「特別自治市」という提案をしています。つまり、やり方はいろいろあるにせよ、現在のわが国は財政難ということもあり「二重行政」を解消すべきだという意見があちらこちらから出ているのです。

さてここからは個人的な意見です。今のわが国が財政難など多くの問題を抱えているのは事実ですし、だから二重行政をどうにかしたいという意見が出てくるというのも理解できます。しかし個人的には、一部の政治家そして一部の世間の人たちは、過剰なまでの「リセット願望」に取りつかれているのではないかと感じています。途上国(明治維新の頃のわが国も含まれます)ならば、今までのやり方を大きく変える「リセット」方式はうまく行く可能性があると思います。ですが成熟した先進国になった現在のわが国に、そこまで大きな制度変更をする必要があるのでしょうか。リセットして上手くいくところも部分的にあるかもしれませんが、積み上げてきたものを失ってしまうこともあるでしょうし、変えることのコストも相当大きくなるのではないかと思います。これでは本末転倒です。ですので、今ある都道府県と市町村の間にある「二重行政」には、いろいろ問題があるのは事実としても、それを一気に変えるのではなく、少しずつ手直ししていくというやり方の方が、成熟した先進国のやり方にふさわしいのではないかと個人的には感じています。みなさんはどう思われるでしょうか。

【参考文献】

  • 佐々木信夫『都知事-権力と都政』中公新書
  • 公益財団法人特別区協議会『東京23区のおいたち:東京大都市地域の自治史』
  • 浅井建爾『知らなかった!驚いた!日本全国「県境」の謎』実業之日本社

解説者紹介

赤松 直樹[政策情報学部助教]
渕元 哲 FUCHIMOTO, Satoshi
[専攻]
経済社会学、公共政策学