なぜ経済対策を批判するのか?

2016年10月3日

道理に合わない財政運営

政府は8月24日に2016年度の第2次補正予算案を閣議決定しました。補正予算というのは、3月に国会で成立した当初予算の内容を修正するものですが、この第2次補正予算は、8月2日に決定した「未来への投資を実現する経済対策」の一部を実行に移すための措置です。この経済対策に関して安倍総理は8月3日の記者会見で「あらゆる政策を総動員して、世界経済のリスクに立ち向かい、デフレからの脱出速度を最大限まで引き上げてまいります」と力強く語っています1

これに対して、東京大学の岩本康志教授は『日本経済新聞』の「経済教室」という欄で、今回の経済対策を「道理に合わない財政運営」と厳しく批判しました2。せっかく総理大臣が先頭に立って頑張ろうとしているのに、岩本教授はなぜこのような批判をするのでしょうか。今回は、このギモンについて考えていきましょう。

批判の根拠

岩本教授は「現在は景気拡張期にあり、財政出動を必要とするほど深刻な状況ではない」と述べています。ここでいう財政出動とは、政府が新たな借金をしたり、貯蓄を取り崩したりするなどしてお金を使うことを指しています。実際、以下の表に示すように3、今回の補正予算は一般会計だけで歳入・歳出総額が約3.3兆円となっていますが、歳入の約8割は公債金、すなわち新たな借金で賄われています。また、前年度剰余金受入というのは前年度に使わずに残ったお金であり、歳出の欄にある既定経費の減額というのは、今年度、使わずに残すことが可能であったお金ですので、この補正予算がなければ新たに貯蓄をしたり、これまでの借金の返済に充てたりすることができていたものを使ってしまうことになります。

表1 第2次補正予算のフレーム(単位:億円)
表1 第2次補正予算のフレーム(単位:億円)

つまり、岩本教授の批判の根拠は、深刻な景気後退期であれば政府が借金をしてお金を使うこともやむを得ないが、現在はそのような時ではない、という認識にあります。それではなぜ、「現在は景気拡張期」であるといえるのでしょうか。

失業率の現状

その根拠として、岩本教授はいくつかのデータをあげていますが、その1つが失業率の低さです4。景気の動向を表す指標はいくつもありますが、失業率は特に重要視されているものの1つです。仕事を失うことはその人やその家族の生活にとっても大きな痛手ですが、経済全体ではそれによって消費が減り、企業の収入が減り、更に失業が拡大する、という悪循環につながりかねません。その失業率が7月は3.0%でした。

表2 失業率の動向
表2 失業率の動向

表2は2005年度以降の失業率を並べたものです5。景気は良くなったり悪くなったりするものですので、それにともなって失業率も下がったり上がったりします。内閣府の「景気基準日付」によると2002年1月から2008年2月まで、日本は戦後最長の景気拡張期間を記録しました。このときの好景気は「いざなみ景気」と名付けられていますが、そのピークである2007年度の平均失業率は3.8%でした。

その後、アメリカの住宅バブルが崩壊するなどして景気が少しずつ悪くなりはじめ、2008年9月のリーマン・ショックで世界の景気は急速に悪化します。その不況を反映し、2009年度の平均失業率は5.2%まで上がりました。その後、失業率は徐々に下がりはじめ、2015年度は平均3.3%に、2016年7月は3.0%まで下がっているのです。

政府の景気判断

それでは、政府は景気に対してどのように判断しているのでしょうか。内閣府が毎月公表する「月例経済報告」という文書を見ると、今年の3月から直近の9月まで、7ヶ月連続で「景気は、このところ弱さもみられるが、緩やかな回復基調が続いている」と表現しています6。緩やかではあっても「回復基調が続いている」ということは、現在は景気拡張期にある、と考えているのです。また、先述した「景気基準日付」においても、現在は2012年11月を谷とする景気拡張期として位置付けられています。

ただし、「月例経済報告」では、「海外経済で弱さがみられており…我が国の景気が下押しされるリスクがある」とも付け加えています。他方、岩本教授は「世界経済のどこにも不安がない状態というのはまれであり、不透明要因があったとしても、いちいち財政出動してはとても財源が足りない」と述べています。

景気対策の根拠

そもそも、なぜ深刻な景気後退期であれば借金に頼ってまで財政出動することが許されるのでしょうか。一般に、景気後退あるいは不況とは、モノが売れなくなる状態を指します。これは人々がお金を使わなくなる状態でもあります。モノが売れなくなると、企業は収入が減るため従業員の給与を支払えなくなったり、借金を返済できなくなったりします。借金を返済できないと企業は倒産してしまいますので、設備投資を控えたり、給与をカットしたり、リストラ(≒従業員の解雇)をしたりします。そうなると、家庭でも収入が減り、お金を使いたくても使えない状況になったり、あるいは将来もっと悪くなるかもしれないと考え、あえてお金を使わないようになったりします。その結果、企業の収入は更に減少し、持ちこたえきれずに倒産する企業が出てきてしまいます。

そのような状況を少しでも改善するために、政府が財政出動を行うのです。これには、需要不足を補う、という側面があります。企業の生産能力(供給)に対して消費者の支出意欲(需要)が足りないときに、それを補うために政府がお金を使うのです。それによって企業の収入が増え、うまくいけばリストラや倒産の件数が減り、景気の悪化に歯止めがかかるかもしれません。しかし、少しでも景気が悪くなったら財政出動すべき、と考えるか、深刻な不況のときにのみ財政出動すべき、と考えるかは、人によって意見が分かれるところです。不況は政府が何もしなくても回復に向かうこともありますが、状況によっては徐々に悪化する可能性もありますので、そのような芽は早めに摘んでおくべき、という考えにも一理あります。

しかし、景気が悪いときに借金をして財政出動したからには、景気が良いときに借金を返済する必要があります。ところが、景気が良いときでも増税や歳出削減には反対する人が多いため、簡単には実行できません。にもかかわらず、少し景気が悪くなるたびに財政出動をしていると、いつまでも財政赤字が続き、いずれ返済しきれないほどに借金が膨らんでしまう可能性がありますので、この点を重視する場合には、原則として政府は借金に依存してはならない、借金をするとしてもよほど深刻な不況期に限定すべき、と考えるのです。

景気対策の副作用

岩本教授は後者の立場に立っているようにも見えますが、それ以上に重要なのは、やはり「現在は景気拡張期にある」という認識です。景気後退期には需要不足が発生するため、財政出動にはそれを補うという意義がありますが、景気拡張期には逆に供給不足が発生する可能性があり、財政出動はそれを悪化させてしまいます。特にいまの日本は、少子高齢化から人口減少局面に突入していることもあり、人手不足が深刻化しています。人手不足は生産能力の低下に直結しますので、そのような状況で財政出動をすると、供給不足に拍車がかかるという事態になりかねません。

岩本教授はこの点について、「財政支出される市場での価格がまず上昇することになり」、「費用が上昇して便益に見合わずに中止した方がよい事業が出てしまう」と指摘しています。このような副作用に関する懸念も、今回の経済対策を批判する根拠の1つとなっています。つまり、いまは景気の良いときなので、財政出動は不要であるだけでなく、供給不足を悪化させてしまうから実施すべきではない、というのが岩本教授の主張と解釈することができます。

ただし、すべての経済学者が今回の経済対策を批判しているわけではありません。他にどのような主張が、どのような根拠に基づいて行われているのでしょうか。また、今回紹介したのは岩本教授の「経済教室」の前半部分です。後半部分では、このような財政運営が行われている理由について議論が展開されていきます。これらの問題をもっと深く理解したいという方は、他の文献や新聞記事などを是非読んでみてください。

【注】

  1. http://www.kantei.go.jp(首相官邸ホームページより)
  2. 『日本経済新聞』2016年9月8日朝刊
  3. http://www.mof.go.jp(財務省ホームページより)
  4. もう1つ、需給ギャップという指標が紹介されていますが、これについては説明が長くなってしまいますので、省略します。
  5. 総務省統計局「労働力調査」(平成28年7月分は8月30日公表)より
  6. 内閣府「月例経済報告」(平成28年9月分は9月16日公表)より

解説者紹介

小林 航[政策情報学部准教授]
小林 航 KOBAYASHI,Wataru
[専攻]
公共経済学