第2章 最近の新聞報道における「英語」,「英語教育」
及び「教員研修」等に関わる世論の動向
 
久村 研
 
T はじめに
 最近では,社会問題として教育問題が扱われているというより,教育問題が社会問題となり,さらに政治の重要な争点の1つにもなっている。
 「教育改革」「教育基本法」「ゆとり教育」「学力低下」「学級崩壊」「少人数学級」「教員評価」「総合的な学習の時間」「小学校英語」「英語教育改革」「英語公用語化」等々の活字が新聞紙上をにぎわし,また,「教育改革国民会議」(→国民会議),「21世紀日本の構想懇談会」(→21世紀懇),「中央教育審議会」(→中教審),「大学審議会」(→大学審),「教育職員養成審議会」(→教養審),「教育課程審議会」(→教課審),「英語指導方法等改善の推進に関する懇談会」(→英語懇)など,文部科学省,首相,文部科学大臣などの公的審議会や私的懇談会が花盛りである。新聞の読者は,よほどの関心がない限り,これらの記事をフォローしていくことには困難をおぼえるだろう。つまり,個々の論点を把握してはいても,それぞれの審議会や懇談会が出した中間報告や最終報告が,どのように有機的に関連し,個々の問題が全体のシステムの中で具体的にどのように解決されようとしているのか,それを見極めるには大変複雑な状況にあると言えよう。
 そこで本章では,この研究会を立ち上げた199910月から20011月までの16ヶ月間の新聞記事から,教育関連の記事を収集し,さらに研究会の研究目的に沿った内容を抽出することによって,世論の動向を追跡し,それを整理しながら課題の論点を明らかにしたい。利用した新聞は朝日新聞(→朝日),読売新聞(→読売),毎日新聞(→毎日),日本経済新聞(→日経)の4紙で,収集に当たっては,清泉女子大学石田研究室の大学院生(米本昭代,倉田豊子の両氏)にお願いした。ここで感謝の意を表したい。


U 「教育問題」報道の概要と論議の主要テーマ

1.最近の「教育問題」報道の概要
まず,最近16ヶ月の間に新聞紙上で話題となった主要なテーマを,整理してみよう。

1-2-1 「教育問題」クロニクル
発表・検討機関 主な内容


1999

 

 
10
 
東京都教育庁
中教審
教員の人事考課制度導入に向けた中間報告
大学入試のあり方などに関する中間報告
11 文部省 わが国の文教施策(教育白書)の内容開示。


12



 
教養審
東京都教育庁
英語懇設置
文部省
教課審

 
教員採用・研修のあり方の見直し答申案
教員の人事考課制度導入決定・最終報告
実践英語教育の見直し
大学院での「研修休業」の制度を新設の方針
「学力評価」に関して諮問される

 









2000











 
 


1

 
英語懇初会合
21世紀懇
東京都教育委員会
国立大学協会
 
“百家争鳴”
最終報告(英語を第二公用語とすることを議論)
教員採用試験(一般教養など)を今夏から公開
中教審提言(入試)に対し否定的意見書
 
2 東京都教育庁 人事考課,本人開示見送り
3 国民会議初会合 1年後めどに提言
4 大学審 大学入試改善の中間まとめ


5

 
英語懇
文部省協力者会議
国民会議
学級経営研究会
 
「小1から英語教育を行う」で合意
40人学級の維持。教科別少人数授業
少人数学級実現に積極意見
学級崩壊:家庭,学校全体の組織的な対応で
 
6 東京学芸大学 現職教員対象,1年制大学院開設の方針
7 英語懇 3からの英語教育を提言
8 東京都教育庁 人事考課:自己申告書記入状況報告。

9
 
国民会議
教課審
文部省
中間報告(教師・学校に外部評価,など)
「学校に自己評価制度」の答申
教員養成大学・学部のあり方を検討する懇談会
10
 
教課審
 
小中の学力評価:「相対評価」から「絶対評価」へ
 

11
 
読売新聞
国際協力懇談会
大学審
読売教育緊急提言(英語を小3から,など)
現職教員の青年海外協力隊への参加促進
センター試験2回実施提言
12
 
国民会議
 
最終報告(教員採用・研修,免許更新制など)
 
2001
1

 
文部省
英語懇
東京都
 
小学校への英語導入を認める
小学校の英語教育,将来的に教科にも
「都教職員研修センター」を新設へ
 
 新聞の使命の1つは,その時々で起こった事件や出来事を正確に報じることである。公的機関で発表される報告は,必ず取り上げられ,社会的重要度が高ければ高いほど継続して報道される。場合によっては,シリーズの形をとって問題が検証されていくことになる。教育問題の場合には,上述の各審議会や懇談会などが,中間報告や最終報告を出した時点で,その提言の内容や問題点を報じ,個々の問題に関して継続して紙上論議を展開していく,というのが1つのパターンとなっている。従って,各機関が出した答申,中間・最終報告などの時期と,そこに盛り込まれ,かつ,この研究のテーマの範疇に入る内容を整理すれば,英語教育や教員研修などに関する最近の動向と課題のテーマをつかむことができるだろう。

2.論議を呼んだ主要テーマ

 各種審議会,懇談会,研究会は,諮問されている分野や課題が特定されてはいるものの,今日的な「教育問題」を扱っているわけだから,それぞれの議論の内容が相互密接に絡み合っていることが多い。複数の審議会あるいは懇談会から,ある1つのテーマについて,中間報告などで別々に発表されることがよくあるのもそのためである。従って,審議会などの報告別に問題を論議していくより,テーマ別にした方が議論が明確になる。新聞では,重要問題に関して,個々にシリーズを組んで検証しているものがある。
 この16ヶ月間において,4紙の紙上に単独で報道あるいは論議された回数(延べ)の多かったテーマは次のとおりである。ただし,収集した新聞記事に制約され,さらに本研究に関わる事項を中心に選んだことをことわっておかなくてはならない。また,紙面を大きく割いている記事も小さなコラムも,テーマが1つであれば「1件」に数えた。中教審や国民会議の報告書の報道など,テーマが多岐にわたる場合は,それを含めないものとした。

1-2-2  新聞に単独で報道・論議された主要テーマ(4紙合計数)
項  目 件数 項  目 件数
小学校英語 23 英語第2公用語化 9
教員の採用・評価・研修 17 英語教育論・改革論 8
東京都人事考課制度 15 英語力 7
教師の資質・教師論 10 少人数学級

 以上のほか,「(教課審の)到達度絶対評価」「大学の学生授業評価」「センター入試改革」「国立大学行政法人化」「東京5大学連合」「海外の教育改革」などが話題として注目される。本稿の記述の中にも,これらの話題が登場する可能性があるが,ここでは一応省いておこう。ただし,いずれもやや単発的な報道の扱いではあった。
 さて,上記のテーマは,中教審,教養審,教課審,英語懇,あるいは,21世紀懇,国民会議などの答申や報告書に盛り込まれているものである。本稿は,それらの答申や報告書を土台にして進めなければならないのは当然である。また,上記のテーマは,大別して3つに分類して話を進めることができる。つまり,(a)「英語」に関する論議(小学校英語,英語第2公用語化,英語力)(b)英語教育に関する論議(英語教育論・改革論,少人数学級)(c)教員研修に関する論議(教員の養成・採用・評価・研修,人事考課制度,教師の資質・教師論)である。次項からこの順に世論の動向を見ていくこととする。


V 「英語論議」の動向

1.英語にまつわる現実と傾向

) 日本人の英語の実力
 英語力の国際比較は通例TOEFLの得点で行われる。読売20002月5日の夕刊(→読売―夕刊。2/5/’00,以下同様に記述)は次のように報道している。

 TOEFL平均得点 初の500点台 アジア21か国中1819987月から996月までの1年間の日本の受験者の平均得点が501点で,TOEFLが始まった64年以降初めて500点を上回った。(中略)「日本は受験者層が大衆化し,アジアで最も多い(10453人)ため,選ばれた少数だけが受験する国と比較するのは難しい」(文部省)。ただ,人口に占める受験者の割合は,日本が008%なのに対し,韓国(535点)の方が014%と高かった。英語第2公用語化の道のりは険しそう。(読売―夕刊。2/5/’00
* (注)新聞の縦書きを横書きに改めた関係で,読みやすくするために数字はすべて算用数字で表した。また,改行は基本的に無視し,文脈の関係で加筆(例えば,新聞では「韓国の方が」となっているのを,本稿では「韓国(535点)の方が」とした)したり,要点をまとめたりした。新聞からの引用・抜粋は,以下同様である。

 大学や短大で教鞭をとっている者なら,日本人のTOEFLの受験者が大衆化しているとは思いにくいだろう。確かに,学生全員に受験を「強制」している大学もあるが,それは一部の「一流大学」のことだ。一般的には,教職を取っている学生に,TOEFLの一定の得点を教員免許取得条件として課したり,留学を希望する学生に受験を促したりしている。それらの学生は,一般の学生より,多くの場合,英語力が高いと考えられる。従って,上記の数字は,「英語力が少しはある」と考えられる日本人の平均,と見なした方が現実的だろう。同新聞の世論調査でも,「もっと英語ができたら」と「英語が苦手」と答えた人は,ともに80%を越えたという(読売―朝刊。5/13/’99)。

2)ビジネス界で要求される英語力

 (日経―夕刊。3/23/’00)によると,多くの企業では「英語強者」と「英語弱者」とを生み出す「イングリッシュ・デバイド」が進行しつつあり,それによってオフィスの空気が急変してきていると伝えている。昇進・昇格審査では,TOEICで一定の得点を取得していなければ,審査以前に門前払いを食ってしまう。逆に,一念発起して英語を猛烈に勉強し,昇進・昇格の武器にする社員も現れているという。
(朝日―夕刊。2/22/’00)と(毎日―夕刊。3/30/’00)では,具体的な会社名と昇進・昇格の条件を報道した。両者をまとめて表示すると下のようになる。

1-2-3 企業における昇格・昇進などにおける英語力の条件
社 名 条件内容(点数はすべてTOEICの得点)


日本IBM

 
課長600点,次長730点。/海外短期出張600点,長期出張730点を原則。/新制度開始までに猶予期間1年。/通信教育や語学学校で勉強する場合の費用補助+インターネットを活用した社員向けの英語教育も開始。/大卒新入社員の現在の平均点440点。
 
コマツ(建設機械大手) 管理職以上の昇進500点以上。/主任・係長クラスへの昇進年1回の受験。

花 王
 
主任クラス450点以上,課長部長クラス500点以上。/国際業務,英語圏勤務者650点以上を2002年から昇進の目安。05年には条件とする。/海外事業に関する公用語は英語。
シャープ 海外の仕事に従事する人600点以上を目安。
SMK(電子部品メーカー) 来年4月から第一公用語:「英語で話して」「英語で文書を」と言われた時に,Noと言えないこと」

 昇進昇格の際に英語能力を考慮している企業は31社(日本在外企業協会調べ)(朝日),あるいは,昇進・昇格の際に英語能力を考慮している企業は24%(本年1月,日本在外企業協会調査)(毎日)であるという。こうした傾向に対して(毎日)は次のようなコメントを着けている:「日本の企業はまだ社内で研修して英語能力を向上させればいいと言う考え方だ。しかし今後労働市場が一層流動化してくると,自力で英語力をみがくことが必要になるだろう。」(古賀武陽,日本在外企業協会広報部長)
 伊藤忠では次のように述べている:「今の日本の学校で習う英語は会社では全く通用しない。知恵を使って戦略的に採用しないと21世紀の伊藤忠の発展を支える人材を養成できない。つい最近まで英語力がなくても心配いらない,会社に入ればどうにかなる,と言っていた。でも,これはウソですね。日常生活はともかく,金銭がからむビジネスの複雑な話では,丁々発止と渡り合う英語力が必要なのですから。会社で男/女をあげようと思っているなら,目が見える,耳が聞こえるのと同じ感覚で英語を話す覚悟を持ってほしい。」(富田博人事部長,伊藤忠商事)(毎日―朝刊。1/11/’00
一方,こうした状況の恩恵を受けている業界がある。英会話学校などの,いわゆる「英語産業」である。

 英会話熱,ビジネスも熱く。仕事 趣味 教養・・・市場は3兆円規模:中高年を中心に―「退職後は海外にホームステイしたいとも思っているので,苦痛はありません」(英会話学校に通う40代の化粧品会社社員)―「自分の意見が言えて相手の発言が理解できるようになりたい」(「ジオス」に週2回,2時間の練習。外資系出向中の建築関係技術者,40代男性)/「マイクロソフト」社はCD-ROM英会話のビジネス編を昨春発売し8万本売った。/外国語会話学校や教本など語学産業の市場規模は3兆円と推定され,その90%が英語関連(全国外国語教育振興協会調べ)。(毎日―夕刊。4/22/’00

) センター入試にリスニングテスト導入
 1994年,高校に「オーラル・コミュニケーション」が設置されて以来,センター入試にリスニング試験を導入しようという論議や動きが続いていた。10万人を越える受験者のいるTOEFL,やはり相当数の受験者を抱えるTOEIC,また、北海道を最後にすでに全都道府県で,高校入試にリスニングを導入しているのに,なぜセンター試験で実施できないのか,素人には理解できないところがあったはずだ。この課題が,最近になってようやく実施に向けて動き出した。何をモタモタしているのか,本当にヤル気があるのか,と疑いたくもなるが,いずれにしても,近い将来実現しそうである。その流れを追ってみよう。
 高校教育と大学教育の連携について検討していた文相の諮問機関,中教審(根元二郎会長)中間報告の「第5章 初等中等教育と高等教育との接続を重視した入学者選抜の改善」の中で「外国語のリスニングテストの実施に向けた検討が必要」と報道されたのは,(朝日―朝刊。10/28/’99)のことである。この報告に対し,(毎日―朝刊。10/28/99)は,「(中教審は)外国語のリスニング(聴き取り)テスト(中略)を提案したが,抜本的な制度改変には踏み込まず,主に大学や学生に意識改革を求める理念先行型の内容となった」,また,(読売―朝刊。11/2/’99)の社説は「中間報告は,英語のリスニング試験や教科の枠を越える総合問題の導入など,すでに検討が始まっているものに,現状追認的に言及したに過ぎない。」とコメントしている。
 一方,国立大学協会(国大協)は,「中教審が大学入試センター試験の外国語にリスニングの導入を求めたことについて,『大学が必要に応じて個別に実施するのが望ましい』と必要性を否定」(朝日―夕刊。1/8/’00)した。
このチグハグをどうにかおさめて,中間報告を出したのは大学審であった。大学審のセンター試験見直し案が発表される前に,(毎日)の『教育の森』シリーズで,リスニング試験導入の問題点を紹介している。

 「(リスニング試験で使用する設備や機器類の)故障の懸念に加え,ばく大な費用が予想されるため,二の足を踏んできた経緯」があり,「古い国立大の校舎で,試験用の工事が可能か」という心配がある。そこで文部省では,「(受験生に)携帯用小型録音機の配布」の方向で検討するため「電機メーカーに試作品を依頼中」である。残された課題は「コストダウンの問題」であるという。(毎日―朝刊。3/4/’00

 さて,リスニング試験が「大学審の中間報告に盛り込まれる方向」であることを(朝日―朝刊。3/22/’00)が報じている。その記事によると,「(文部省は)60万人近くが出願するセンター試験で聞き取り試験を課し,勉強の動機付けをすることが有効と判断」し,「早ければ2006年から導入」する方針であるという。現在リスニングがセンター試験に含まれていないことに対し,ある高校教員が「大学入試で重視されていないものを授業で一生懸命やれというのは酷だ」と述懐していることを紹介。また,「英会話を聞いた上で内容の要約として正しい文章を選択肢から選ぶ,と言った問題が出題されること」になる見込みで,「数年内には問題のパターンを作って公表し,高校教員らの意見を聞いて改善に反映」させる。さらに,リスニングテストの「割合は,23割程度が妥当だ」との見解を文部省は持っているという。
 最終的には,大学審の中間まとめで,「外国語のリスニングテストの導入を提言の柱の1つ」(毎日―朝刊。4/29/’00)とすることで落ち着いたようである。

4)世界における英語使用の現状
 (日経―朝刊。1/7/’00)は,欧米やアジアでの英語使用の現状などを伝えている。それによると,「ユーロバンド(汎欧州)語」なる「英,独,仏,伊,スペイン語などをごちゃまぜにした言語」がEUの文書翻訳官ディエゴ・マラーニ氏によって「欧州の新たな共通語」として広められようとしている。EUは「様々な国の出身者が集まる職場」であるから「相手によって話す言葉を変えるのがとてもわずらわしい。英語なら皆話すが,英国人がいない時まで使うのは不自然」である。「それなら英語をベースに,欧州各国をまぜた言語を作ったらどうか」ということになった。その「共通語には定型」がなく「過去にはed,複数にはsをつけるといった英語の文法を基本に,好きな欧州言語から単語を自由に当てはめればよい」。そうすると「使う人によって異なるユーロバンドができるが,言語のルーツや知識を共有するから理解し合える」のだそうだ。「欧州人が最も気持ちを伝えやすいのは英語そのものではなく,英語を改造した言語だと信じている」という。さらに取材記者は,「世界には文化の象徴である自国語を大切にする人は多い。だが,人類の4人に1人が話す英語が世界共通語になりつつある現実も無視できない」から,「英語と,母国語や自分たちの文化とを両立させた方がよい,と考える人たちも増えている」として,シンガポール英語を紹介する。シンガポール式英語「シングリッシュ」は,「文法にこだわらず言葉を並べたり省略したり」して,「ノーニー,ノーニー(必要ないよ)」「キャン,キャン(できるさ)」などの表現を日常的に使う。「一方,銀行で顧客を前にした時は正式な英語」に切り替え,「同居する祖母とは中国語の方言」で話すという。また,「米国でも刻々と新しい英語が生まれている。」例えば,「この子がプロダクト・バージョン・ワン(最初の子供)です」「近所にプラグ・アンド・プレー(即入居可能)の一軒家を見つけたよ」など,「昔の人が聞いたら,僕らの英語は半分も分からないんじゃないか」「ここ(シリコンバレー)の住人は伝統や権威を気にしない。誰もが勝手に新しい言葉遣いを編み出し流通させてしまう」というアメリカ人の発言と,「最近,ディスク・ドライブ,という住所まで登場した」と紹介している。一方,本場のイギリスでも,「オックスフォード大学出版局はいま『変わる英語』への対応に必死」で,「昨年,インターネットを通じた新語募集にも踏み切った」という。辞書編纂主幹ジョン・シンプソン氏は,「取り上げるのは『正式な英語』ではなく『使われている英語』なのです」と述べ,「すべての人が同じ英語を話すことはもうないと認め」ている。「2010年完成予定の『大辞典』新版の語数は大幅に増える見通し」で「現在の75万語100百万か,150万か,その数はシンプソン氏にも読めていない」と締めくくっている。

2.英語第2公用語化論議

1)論議の発端
 21世紀懇の提言が,2000119日に4紙一斉に報道されて以来,数ヵ月に亘って「英語第2公用語化」論議が熱く続いた。当初は,「第2公用語」という表現が飛び交い,その言葉が一人歩きした感がある。それが次第に,それ以前から話題となっていた「小学校英語」と合流し,さらに最近では「英語教育改革」論議に集約されてきているようだ。
 さて,論議の発端は,21世紀懇の提言の骨子Aに「国際対話能力―公的機関の刊行物は和英両語で作成,長期的には英語を第二公用語とすることを議論する」(朝日―朝刊。1/19/’00)とあるところから発している。言い換えると,「大学や一般社会で英語が実用語として活用されることをめざし,将来は英語を日本語に次ぐ第2公用語とすることについても議論を促す」(毎日―朝刊。1/19/’00)ということである。
 時の小渕首相は施政方針演説の中で,「21世紀を担う人々はすべて,文化と伝統の礎である美しい日本語を身につけると同時に,国際共通語である英語で意思疎通ができ,インターネットを通じて国際社会の中に自在に入っていけるようにすることだ」と述べ,英語第2公用語化への方向を強く示唆した。この提言をまとめた委員たちが一様に心配したことは,「このまま日本の発信力が衰えると,世界やアジアの中で日本の存在感が薄まる一方ではないか」ということであり,「日本の指導者たちの英語力の低さを心配するアジアの要人も少なくない。第2公用語という用語が適切かどうかは別として,21世紀の『読み書きそろばん』として,日本語以外に,英語やコンピュータは使いこなせた方がいい,というのが多くの委員に共通した考えだった」ということである。この提言にすぐさま乗った松沢成文代議士(民主党)は,「英語の第2公用語化推進法を成立させ,教育,社会,文化の3分野で英語に日本語に次ぐ地位を与える。例えば,法律などの公文書などを日英語双方で作成,街の案内板は両語併記,テレビ,ラジオに英語専門のチャンネルを設ける。」そして,「10年後をめどに第2公用語化を実現しよう」と呼びかけ,「子どもや孫がみんなバイリンガルになっている社会を夢みる」と積極的である。それに対し,同じ民主党の岩國哲人代議士は,「英語はある地域の方言に過ぎない。それを第2公用語にしようという考えはおかしい」し,「それいけ英語,それいけパソコン。その結果,どのような日本人が出てくるのか」と疑問を投げかけている(以上,朝日―朝刊。2/25/’00)。
 こうして,英語第2公用語化論の火蓋が切られたのである。

2)第2公用語化擁護論
 審議会や懇談会などの報告は,批判にさらされるのが通例である。しかし,いくら批判されても,政府や文部(科学)省という強い後ろ盾があるから,批判を堂々と受け止めることができる。批判の一部を受け入れて,提言を修正することもできる。また,委員たちは,ほとんどの場合,その道の「専門家」であり,「学識経験者」である。従って,提言の中味は,そういう高いレベルの人たちの意見が集約されたものと考えられる。後ろ盾に「受け入れられる」という前提と,「英知が凝縮された」という自負があるから,提言の擁護者たちはあまり声高にはならない。従って,擁護論者は多くを語らないのが通例である。ただ,中には大衆を啓蒙する意味で,提言の趣旨を単行本などに著して出版する委員もいる。英語第2公用語化の場合は,21世紀懇委員の一人である船橋洋一氏が『あえて英語公用語論』(文春新書,2000年)を書いている。
 以上のような理由であるかどうか定かでないが,英語第2公用語化擁護論は,新聞紙上では案外少ない。その代表的な意見を2つ挙げておこう。

@  英語は今や世界の「共通語」である,という見解
 「このままだと日本が置いていかれてしまうという危機感を抱いている。欧米とのつきあいだけでなく,アジアの国際会議の場でも,日本の存在感がどんどん希薄になってきている。英語が,事実上の国際共通語となっていることについて,今や正面から受けとめるべきだ。英語に力を入れることで日本人のアイデンティティーがなくなるという議論がある。しかし,外部に閉ざされていないとアイデンティティーが守れないわけではない。日本の誇る文化を紹介するためにも,英語ができないとしかたがない時代になってきている」。だから,「すべての国民がある程度の英語能力を身につけることが,最低限必要なことになりつつある。第2公用語の定義には幅があるだろうが,問題意識を恐縮した言葉だと言える。」(山本正,日本国際交流センター理事長)(朝日―朝刊。2/25/’00

A  ビジネスに不可欠であり,いずれ実質的に実現する,という見解
「少なくともビジネスでは,英語は必要不可欠になってきました。」例えば,「母国語を大切にするフランスの企業と契約を結ぶ場合でも,言語は英語であることが多い。」たとえ「公式に第2公用語にしてもしなくても,いずれは実質的に英語は第二公用語になるでしょう。東京は,アジアの金融・ビジネスセンターとしての地位をシンガポールや香港に脅かされています。もはや時間的余裕はありません。ショック療法としては,英語を第2公用語にすると宣言することも有効です。早ければ早いほどいい。」しかし,「国民全体をレベルアップさせるというのは現実味がありません。」だから,「その人の立場にあった目標を立てる必要があるでしょう。具体的には,今後5年間で国際機関の幹部要員100人,外資系企業の管理職要員2,000人,小学校英語教員10,000人の育成といった目標設定が,必要だと思っています。」一方,「帰国子女というだけでチヤホヤする風潮もありますが,それも困ったことです。英語90点,日本語80点の人より,英語70点,日本語100点の人の方が役に立ちます。」もっとも,「英語は手段にすぎないとも言えます」が,「日本人は他人との対決,議論を避けたがり,多元的な見方をすることが得意ではありません。」「ごく最近まで,日本の有名大学を出て一流企業や官庁に入り,気配りさえしていれば物事を深く考えなくても出世できた人がおおぜいいました。こういう社会の仕組みが,国際的に存在感がある日本人をわずかしか作れなかった大きな原因の1つでしょう。」(長島安治,弁護士)(朝日―朝刊。4/7/’00

3)第2公用語化批判論
 批判論者たちのキー・ワードは,「日本語」「日本人のアイデンティティー」「英語教育の強制」「公用語概念のあいまいさ」「日本文化の保持」に集約されるようである。若干長くなるが,それぞれの意見を抜粋の形で紹介しておこう。

@ 実用英語教育への疑問
「第一には,実用英語習得に関してだ。そもそも国民全員が実用英語を習得していないために不便を感じているだろうか。一般の人は海外旅行ができて,インターネットが利用できる程度の英語力で十分と感じているはずだ。基礎レベル以上の英語力は個々に習得すればよく,国が半強制的に国民に実用英語教育を実施することには反対だ。第二は,公的刊行物の和英両語化の必要性が明確でなく理解できない。複数の公用語を持つ国は複数語表記をしているが,それによって国民がすべての公用語を習得しているということはない。英語の第2公用語化など,言語政策への取り組みは21世紀の日本を考える上で避けられないと思うが,国語も含め,今後も多面的な議論を展開してゆく必要があるだろう。」(投書:横田直文 大学院生26歳)(読売―朝刊。1/28/’00

A 日本語の鍛錬が先決
 「21世紀にこの国の文化,文明をつくっていくための言葉は日本語しかない。今こそ日本語に対する勉強,鍛錬が必要です。ところが,これをいい加減にしておいて一時の流行で英語に飛びついたりすると,日本語という思考の根拠地がなくなる。根拠地なしではものごとを深く考えることができない。そんな国民に未来はありません。」「全員に英語の勉強を強いるのは,全員にピアノを習わせるようなもので,無慈悲な上に,途方もない暴挙です。英語が必要な人は,必死で英語をやればいい。それだけのことじゃありませんか。」(井上ひさし,作家)(朝日―朝刊。2/25/’00

B日本人のアイデンティティーは日本語にある
 公文書,役所の届出用紙,裁判などの書類を日英両語で表記することによって「生じる混乱と膨大な行政費用の増大は言うに及ばず,英語が出来る者と出来ない者との格差が即,生活面に影響を落とすだろう」「音声重視の実践教育に力を入れるのは良いことだ。しかし,このことと,英語を公用語として日本国民に教育すること,つまり日本という独立国家が国語政策として英語を日本語と同様に扱うとなると話は別である。」「今むしろ,日本に必要なことは,将来増大するであろう外国人労働者に備えて,彼らに簡明で分かりやすい日本語を教えるべく日本語教育の体系を築くことである。そして彼らの母国語を保障する事と,さらに我々日本人も彼らの言語の一端に触れるよう努力することだ。」「日本人のアイデンティティーは日本語にあるといえる。英語の公用語化によって,それが脅かされてはならないと思う。」(論壇:小田利久,元外資系石油会社社員)(朝日―朝刊。3/23/’00


C  公用語の概念があいまい
 「公用語の概念が規定されていないところにもってきて第2とつくから,いよいよあいまいになる。第2は,例によって,何か突っ込まれた時の逃げ口上や言い訳に使うことを考えてつけたのではないか。そんな疑問もわいてくるでしょう」「本式の民主政治をするためには,まず明確な概念規定がなければいけないんですね」「『英語を国民の実用にする』とは,何を考えているのかねえ。しかも,はっきり主張して反対されるのはいやなものだから,責任のがれのために『視野に入れる必要がある』なんて,話をあいまいにしているわけでしょう。こういう役人特有のもののいい方がよくない。呪術的と責任回避と,二つ重なっている」「(ムニャムニャ言う)おまじないをやめることです。平易で意味のはっきりした言葉を,論理的に使うことができるように,訓練することです。繰り返しますとね,言語を呪術的に使うと,たとえば英語第2公用語なんていう意味のはっきりしない言葉ができます。それについて論ずるのは,ストライクゾーンを決めないで野球をするようなものです。それはまったく意味がないから,このインタビューは無理ですといったんだけどねえ」(丸谷才一 作家)(朝日―朝刊。4/5/’00

D “英語単色”では文化を滅ぼす
 「(英語で授業をという要望に応えないのは)日本のオリジナルな学問を英語で教えられるかが,疑問だからです」「(明治の初め,日本固有の邦楽を様式で教えることにした結果,邦楽が廃れたように)芸術や学問の内容と,それを伝える手段には密接な関係がある。伝達手段である英語が思考手段に影響する可能性がある」「英語を伝達手段に限れれば良いが,そうでないと,邦楽のようにいろいろな文化が衰退すると思う。」「『ジュラシック・パーク』を書いたマイケル・クライトンが,1つの文化が世界を覆っていると文化の大絶滅が起こるといっています」「日本固有の文化が情報や資本をひきつけているとすれば,英語第2公用語のようなことにしてしまうと,その力を失う可能性が強くなる。今や文化は経済のけん引力です。」「これまで経済主導で進んできた日本こそ、経済の推進力としての文化を縮小してはいけない。こうしたことを表す適切な言葉は『和魂洋才』でしょう。」「今は,ひとり勝ちの英語だが,将来の『需要予測』を英国政府系機関が調べたところ,案外,磐石とも言えない。『英語の未来』(研究社)という本が紹介している。」「英語第2公用語論は,英語の当面の攻勢に対する緊急避難と言えますね。しかし,その本にある2050年の予測では,1524歳の若い世代の英語使用者数は,中国,ヒンディー・ウルドウー,アラビアに次ぐ四番目です。」「(インターネットは元々米軍がソ連の核攻撃後も生き延びる通信手段として作った)これは私の推測ですが,軍の技術を使わせるようにした背景には,英語の普及という米国の狙いがあったと思う。今、世界の書籍のうち英語は28%を占めているのに対し,インターネットの83%は英語です。書籍よりずっと比率が高いのです。」「その結果,英語を使わざるを得ない状況になっている。」「しかし,重要なのはやはり内容です。」「通訳がいかに流ちょうに話しても,ほめられるのは通訳ではないはずです。」「和魂洋才の才が問題です。今の英語教師の中には,英語を使えない人が多い。だが洋才を修得している人がいないわけではない。海外生活が長かった定年者にボランティアで教えてもらうのも一案です。それと,機械翻訳をもっと活用すればいい。日本の多くのコンピュータに英和,和英のソフトを入れれば,当座の才の部分は間に合います。もっと英語が必要な人は,必死で勉強すればいいでしょう。」(月尾嘉男,東京大学大学院教授)(朝日―朝刊。4/6/’00

4)21世紀懇「座長の意図」
 「21世紀日本の構想」懇談会の座長を務めた河井隼雄氏(元京大教授,国際日本文化研究センター所長)は,英語第2公用語を答申に盛り込んだ理由と,批判に対して,朝日のインタビュー記事で次のように述べている。

 「実は当初『第2公用語』にまで踏み込むつもりはなかった。迷っていた。しかし『生きた英語教育の充実』ではインパクトにかける。」「国際社会の中の日本は,30年後、50年後も日本語だけでうまくやっていけると思えない。分かり合える手段として英語は不可欠になってきた。このままでは情報通信,経済面でのアジアの中心はシンガポールなどになり,日本は確実に取り残されるのではないか。日本は,それなりに順調に見えるものの,曲がり角に来ていると思う」「日本と日本人,日本語,日本文化の良さは分かっています。そんなこと,強調するまでもあらへん。でも,それに満足して埋もれていたら,また,えらいことになりそうだ。このあたりで常識を壊さんとあかん。大局的にみてうまくいっているからこそ,大いに見直し,揺さぶる必要があるんです。ほら,『国民的議論が必要』と報告書にも書いてあるでしょ。」「報告書には『公用語をどう考えるか』という規定はあえて付けなかった。それも議論すればいい,という訳だ。ただ,たとえば日本語による公文書の副文として,国際的に通用するよう英語文を添えることなどが考えられる。翻訳不可能なあいまいなお役所用語は排除され,的確で分かりやすい日本語にもなるだろう,と期待している。」「情報通信の言語としての英語は身につけたい。子どもの方が先に行っている。遠い将来を考える必要がある」「(日本語や日本文化がダメになるという批判に)見当違いやね。何も英語を日本語より優先する,といっているのと違う。日本語は第1公用語として大事にするのは当然です。日本語と日本文化は絶対,大丈夫やで。もしこの程度のことでダメになる日本語、日本文化なら,早ようそうなったらええんや。」(朝日―朝刊。4/4/’00

3.「小学校英語」導入の動向とその論議

 過去16ヶ月の間で,新聞紙上で最も議論が盛んだったのが「小学校英語」であった。「早期英語教育」に対する世論の関心の高さを示すものと言えよう。
公立小学校に初めて英語教育が導入されたのは,1992年のことで,大阪の公立小学校2校が,文部省の研究開発校に指定された。次いで93年に千葉県と鹿児島県に各1校,その後96年までには各都道府県に1校ずつ指定され,97年から99年の12校を合わせ47校で研究が行われてきた(『新時代の英語教員養成―現状と展望―』大学英語教育学会,教育問題研究会編。200011月)。こうした研究校の成果を基にして,新学習指導要領では2002年度から,「総合的な学習の時間」のうち「国際理解」の項目で,外国語会話の授業が可能となった。新学習指導要領の実施が近づくにつれて,導入への準備や,それに対する論議が盛んになるのは当然のことだろう。

1)導入の意図と方針の変遷
 まず,どのような意図で文部省が小学校に英語を導入したのか,ということと,過去16ヶ月間,英語懇の意見と文部省の方針が,どのような変遷を辿ってきているかを見ることによって,この問題の概略をつかむことが先決だろう。

@  英語導入の意図とその反応

 2002年度から実施される新学習指導要領は,「総合的な学習の時間」(総合学習)が目玉の1つである。内容の例として,国際理解,情報,環境,福祉・健康などが挙げられている。このうち,英語教育の根拠になっているのは,国際理解だ。新指導要領では,「外国語会話を行う時は,外国語に触れたり,外国の生活や文化に親しんだりするなど小学校段階にふさわしい体験的な学習を」とし,学校がゲームや歌などを盛んに取り入れることを奨励している。文部省では「中学校で,小学校で英語を学んだ生徒と,始めて学ぶ生徒に差が出ないように,注意しながら進めて欲しい」としている。
この意図に対し,英語教育の専門家から,「英語の学習は早くから始めるほどよく,耳から覚える方法も評価できる。ALTが毎回授業に参加するのが理想だが,より質の高い授業をするには,日本人教師にも十分な英語力が要求される。英語力を養成するシステム作りが必要だ。」(緑川日出子,昭和女子大教授)とか,「中学で差が出ないように教えろというのは,何も教えるなというのと同じだ。小学生は吸収力が大きく,英語教育を早く義務化したほうがいい。さもないと,日本は世界のすう勢から後れを取ってしまう」(小池生夫,明海大教授),あるいは,「中学で差が出ないようにと,英語を学校で習わない小学生が,英語塾に通う可能性が高い。そもそも国語や算数の時間を削って,英語を教えるのは本末転倒。日本語の力を育てることを優先しないと,英語ができても中身を伴わない人間をつくることになる」(正高信男助,京都大学霊長類研究所教授,言語発達学)といった批判的な意見が出ている。
 一方,ほとんどの小学校の教師は,これまで英語教育を体験したことがない。戸惑いや不安もあり,独自に準備する教師も少なくないようだ。JTB(日本交通公社)が,主に中,高校教師を対象に4月から募集した「先生のための語学研修&教師宅ホームステイ」に参加した110人のうち,ほぼ4分の1が小学校の先生たちだった。このホームステイは,14週間,アメリカ,イギリス,オーストラリアなどの教師宅で,英語を学ぶもの。参加した小学校の教師は「今のままでは教える自信がない。英会話の感覚を身につけなくては」と理由を話した,という(以上,読売―朝刊。10/19/99から抜粋)。

A 文部省等の意見・方針の変遷
 文部省は,一見して意外な形で,英会話のモデル事業を20の自治体で始めようとしている。
 「(文部省は)学校外でも児童が英会話に親しむ環境を整えようと,英語に堪能な地域の人材を講師に起用し,学校のない土日に会話教育を委託する事業を来年度予算に盛り込んだ。」これに対し,「英語教育熱をあおる」「受験勉強の前倒しになる」などの批判あり,それに対し,「(a)学習内容が英単語の記憶などに偏らず英語でのコミュニケーションに子供が興味を抱くような指導内容にする(b)講師となる地域の人材をどのように集めるか」などについて検討するとしている。「調査研究チームに5月までに具体策を提言してもらい,来年度は2学期以降,15回程度実施する方針」であるという。「15回分の講師への謝礼金は国費で負担。来年度以降の経費については,(a)ボランティアとして講義をしてもらう。(b)地方財源で充当する(c)受益者負担」とし,「国費負担は継続しない」という方針である。(日経―夕刊。3/14/’00

 一度決定したことを推進していくことが行政の役割であるから,こうした文部(科学)省の姿勢は当然と言えば当然である。しかし,批判を承知で遂行しようというのは,データ不足や方針への確信が定まっていない,実験段階であることを意味しているとも考えられる。その証拠に,諮問機関である英語懇の意見にも紆余曲折がある。
 当初英語懇では,次のような内容で,「英語教育は小学1年生から」という合意で,意見書案を作成した。

 「(英語懇は516日の会議で)小学1年生から英語教育を行なうことが有効だ,とする点で合意した。」「今後,教科外での指導とするかどうかや教育内容,指導方法等について議論を進める。」5回の会議で,主として小学校からの英語教育について討議したが,委員から,「小学生の学習能力は高く,早期教育は有効」「中学校の英語教育のようなものではなく,歌やゲームを通して親しめるものがいい」などの意見が出て,中嶋座長が,『小学校のできるだけ早い段階,1年生から始めるのがいい』と意見を集約し,合意した。」「教科として一律に授業を行なうことには,委員の間でも疑問の声が強く,02年度から始まる『総合的な学習の時間』や特別活動での指導を提案する方向だ。」意見書には,「(1993年に出された文部省の協力者会議の報告にある)開始すれば日本人の外国語能力は著しく向上する,という考え方がある一方,日本語を基礎としたコミュニケーション能力の育成を重視すべきで,学習負担の見地からも慎重な検討が必要,と両論併記された。」(毎日―朝刊。5/17/’00

 ところが,6月末に出された中間報告では,「英語教育小学1年から」が消え,いつのまにか「小学3年から」に変わっている。

 「(英語懇の中間報告では)2002年度から小学校で本格的に始まる『総合的な学習の時間』を利用して,小学校3年生から楽しみながら英語に触れる機会を広げることを提言している。」しかし,「中学校の英語教育の前倒しは避けなければならない。歌,ゲーム,簡単なあいさつなど,音声を使った体験的な活動などが考えられる」とし,「英語の面白さを体験させ,学習意欲を引き出すことが目的と提言している。これを受けて文部省は,学習内容や教材の研究,教員の研修などに取り組み,小学校からの英語教育をできるだけ支援する考え。関連予算を来年度予算の概算要求に盛り込む方針だ。」(朝日。7/1/’00

この報告の経緯と内容への不満を(毎日―朝刊。7/1/’00)では次のように述べている。

 「(座長は)できるだけ早い段階,1年から始めるのがいい」という見解を持っていたが,文部省から「新しい学習指導要領を尊重して欲しい」との横槍が入り,結局は「総合学習の時間」で扱う内容となった。「総合的な学習の時間は,本来,学校が独自の裁量で授業内容を決めるものだ。文相の懇談会が,そこに限定して方針を述べたことで,学校が英会話授業に傾く可能性もある」から,学校の独自性失う恐れがある。まとめでは「小・中・高・大学を通じた一貫性のある英語教育のあり方を早急に確立する必要がある」と述べているが,「専門家を集めた会議ならば,もっとはっきりとして方針を打ち出しても良いのではないか。全体的に中途半端な感じは否めない。」(毎日―朝刊。7/1/’00

 つまり,「総合学習」の一環としての英会話と,教科としての英語教育とが混在していて分かりにくい,ということである。そもそも,「総合学習」設置の趣旨は,教科教育ではなかったはずである。
 ところが,文部省も,教科としての英語教育を無視できなくなったと見えて,その方針が若干変わってきたようである。

 新学習指導要領で文部省が,学力向上に力点をおき,小学校の総合学習に英語導入も認める,という方針を決定した。「既に前倒しに実施されている『総合的な学習の時間』について,遊びや体験学習の時間ではなく,教科教育の一環と明確に位置づけ,『小学校での英語』『教科をまたがる学習』『国際化への対応』などの割くべきだと例示している。」(読売―朝刊。1/5/’01

 続いて,英語懇の報告書がまとめられ,次のような内容で発表された。

 「中学校の学習内容を前倒しするような授業にはクギを刺し,子どもが楽しみながら英語に触れ異文化に対する興味や関心を育てるよう指導方法を工夫すべきだ」と断りながら,「(将来的には)教科としての可能性も含め,積極的に検討を進める必要が」あり,「一貫性のある英語教育システムの確立を求めた。」「英語教育の留意点として,コミュニケーション能力を高めることや文法的な細部にこだわらずに積極的に英語を使うことを求めた。また,教師の指導法も,ビデオやコンピュータなどを利用して工夫することを提言した。これを受けて文部科学省は,来年度から小学校に非常勤講師を配置する予算措置をとるほか600人の教師を2週間程度研修させることを決めた。」今後の英語教育については,「国民全体に求められる英語力と国際的に活躍する人材に求められる英語力に分け,それぞれの教育プランを開発すべきだとした。企業や官庁が国際的な業務に従事する人材を採用する際には,一定の英語力を条件として明示することも提言している。」(日経―朝刊。 1/20/’01

 こうした流れの背景には,後述するさまざまな議論が影響していると考えられる。たとえば,(読売)は独自で『教育改革本社提言』と題して,教育緊急提言を行っているが,その中で小学校英語を次のようにすべきであると主張している。

 「英語を小学3年から必修に」にすべきである。「母国語を身につけた上で外国語を学び始めるのに適した年齢だからだ。既に一部の小学校で行われている総合的な学習の時間での英会話学習は,『国際理解教育』が目的とされ,体系的な英語教育ではないため,中途半端なものに終わる恐れがある。」(読売―朝刊。11/3/’00

 すでに,前倒しで英会話が導入されているわけだから,文部科学省は取り急ぎ『小学校の英語指導用手引書』をまとめ,次のような指導上注意すべき点も挙げている。

「簡単なあいさつ,歌,ゲームなど授業のモデルを示したほか,『発音をカタカナに置き換えない』『誤りは細かく訂正しない』など。」(日経―朝刊。1/27/’01

2)小学校英語の現状
 2002年導入を前にして,総合学習の時間に英会話を導入している小学校が増えつつある。その陰で,さまざまな問題が指摘され,解決しなければならない課題が見えてきたようである。その流れをいくつか追跡してみよう(以下,すべて記事の要点をまとめたものである)。

・英語を通して国際理解教育を提唱し,教材を開発している教師や研究者
の集まり『グローブ・インターナショナル・ティーチャーズ・サークル(GITC)』が2月,東京都八王子市の市立第十小学校で公開授業をした。英語の例文や文法の暗記ではなく,まず世界について興味や想像力を育てることを主眼にした授業だ。外国製の地図や地球儀を渡し,自由に世界地図を描かせ,その時間のカギになる英語の2,3の文例を暗唱させ,先生が質問するだけ。総合学習では,中学の英語を先取り教育しようという学校もある。だが,GITCは「これまでの暗記や文法優先の英語教育がいかに英語嫌いを増やしてきたか。英語が使えるようになるには,まず子どもの興味を広げてやる気を引き出すべきだ」としている。(朝日―夕刊。3/6/’00
・品川区では,今後,全40の小学校に外国人のALTが派遣される。45
の授業はあいさつや自己紹介など簡単な英会話が中心。56年学級だけが対象で,1学級あたり年間5時間程度。竹田勝,錫が森小校長は,「英会話の能力を伸ばすというより,子どもたちが英語に親しみ,異文化への理解を進めることが目的」と述べる。カリキュラムも教科書もない。授業時間数も年間2,3時間から20時間程度まで。ALTの確保も課題で,品川,中央区などは人材派遣会社や学校法人から確保するが,区の広報などで公募する荒川区では担当者が「人数と質の確保は大変だ」と漏らす。(読売―夕刊。6/7/’00
・簡単な英会話を授業に取り入れる小学校が増えてきた。「英会話を通じて,コミュニケーションの楽しさを知ってもらえれば」と関係者は期待する。ただ,新しい試みだけに課題を指摘する声もある。品川区立清水台小学校では,英会話の時間になると「授業大好き」と歓声があがる。男子児童9歳は,「あいさつのゲームはちょっと難しかったけれど,授業は大好き。英語ができるといろいろな人とおしゃべりできて便利。いつか友達と世界一周したい」と言う。「英語教室に通っているけど,学校の方が遊びみたいで楽しい。」4年生女子は,「授業の前の日から楽しみにしている。」広瀬淑識教頭は,「これまでに行なった授業を記録に取ってあり,参考にしている。資料もなく,今回はじめて英語学習に取り組むという学校は大変かもしれない。1年生はまだ日本語もおぼつかないのでなかなか難しいが,高学年ではあいさつもだいぶできる。子供たちは一度忘れても,またやれば思い出すようで,繰り返しやることで身に着く。」そして,「分からない言葉があっても,何とか相手の言っていることを分かろうとする。英語に限らず,人とのコミュニケーション能力を高めることにつながれば」と希望する。「相手に思いが通じた時の喜びは大きく,子どもたちの意欲が伸びる」(教育センター)と,英会話導入の意義を語るが,小学校には英語専門の教師はおらず,ALTの数も,中高合わせ8千人と少ない。教科書もなく,どう取り組むかは学校や教師の裁量にゆだねられている。「学校選択も広がる中,『うちは国際理解はやりません』で親の納得を得られるかどうか」と,ある教師がつぶやく。文部省は秋をめどに,諸学校の教師と指導助手を対象にした手引きを発行する。「小学校の英会話は,積極的にコミュニケーションをとる態度や自己表現力,外国への理解を身につけることが狙い。英語そのものを目的にすると,かえって英語嫌いを作りかねない。ボランティアの協力を得たり,教材を活用すれば外国人の指導助手がいなくても授業は可能。子どものことを一番よく知っている担任を中心に,英語英語とならない授業のあり方を考えて欲しい」と渡辺寛治外国語教育研究室長は述べている。(日経―夕刊。6/30/’00と毎日―朝刊。7/1/’00の合作)
・英語教育,小学校に浸透。「総合学習の時間」に導入。東京23区の公立の半数超える(東京都教育庁の調査):都教育庁は「英語教育への保護者の高い期待に,学校側が積極的にこたえている」と分析。福岡県でも今年度,91%の公立小が国際理解を取り入れている。文部省小学課は,「全国の詳しい状況は分からないが,国際理解教育を積極的に取り入れる傾向は,全国的なものになりつつある」と言う。「英語教育のノウハウが整っていない中で,東京23区内の半数以上が実施するのはまずまずの滑り出し。将来はほとんどの小学校で英語教育が復旧するだろう」と伊藤嘉一氏(東京学芸大学教授,小学校英語教育学会会長)は述べている。(読売―夕刊。8/9/’00
 教材,指導者,指導法という,いわば教育の3本の柱がおぼつかない。理念が先行し,現在は「見切り発車」の状態と言えよう。しかし,事を成すには,まず実践あり,という考え方もある。課題は,進行中に解決していくのだ。それにしても,課題は多い。次に,小学校英語論議から,英語第2公用語化を含めた英語教育改革論議に発展していく様を追ってみよう。

3)小学校英語論議の展開
@  小学校英語教育賛成論
小学校英語のモデルの有力な1校は,静岡県沼津市にある加藤学園である。加藤学園ではイマージョンと呼ばれる教育プログラムを運営し,小学校課程を卒業する子供の3分の2は,英検準2級に合格し,数学や国語の成績は変わらないという。理念の基本は,8歳から14歳の間に正しい発音を覚えることのできる限界年齢があると見ていることである。そこで教えるボズウィック氏は,「授業科目として英語を学ぶのではなく,日常生活のコミュニケーションの手段として吸収するのでストレスにならない」と指摘し,「中学校でThis is a pen。から始めると,内容が簡単すぎてつまらない。幼稚園から始めるとちょうどよく,子供は自然に英語を覚えていきます。」母国語を忘れるという危険性については,「いくら英語で授業をしてもここは日本です。日本語は忘れるわけがない。そうなる可能性があるのは帰国生徒ですね。帰国生徒と日本でイマージョン教育を受けている子供と比べるのは,リンゴとミカンを比較するくらい違いがあります」と述べている。(毎日―朝刊。1/11/’00
この加藤学園の理念と実践が,小学校英語導入への1つの契機となっているのかもしれない。このこと踏まえ,小学校英語導入賛成論の代表的な意見を並べておこう。
・お遊びでもいい,楽しければ何でもいい。日本の英語教育の最大の欠点は間違えることに対して恐怖心を植えつけたこと。それをしなければいい。子供たちはパイロトプロジェクトのモルモットなんだね。だけど楽しめればいいいじゃない。もう1つの言語が入ったら,日本文化はまた豊かになりますよ。日本文化をたくましくしようじゃないですか。(船橋洋一,朝日新聞編集委員)(毎日―朝刊。1/11/’00
・いいかげん不毛な英語論争や国際化論はやめよう。英語が必要なのは火を見るより明らかだ。世界のビジネスは英語,決済は米ドル。伊藤忠新入社員内定者の約半数が留学経験者・帰国生。トヨタはTOEIC600点以上ないと原則として係長になれない。それに,世界の情報の大半は英語で発信されている。次世代の日本人には外国語ぐらい普通にならなければいけない。「真の国際化」だとか,「英語を話すことは欧米文化への降伏だ」などと声高に言う前に,目の前にいる外国人とうまくやっていくことを考えなくてはならない。それには,国際語である英語か,現地の言葉を覚えるしかない。中学からABCを習い始める日本人は,ザルに水を入れるような学習をしている。(小学校からの英語教育は必要だが,)英語を教えたことにない小学校教師や,各学校に1人にも満たない外国人講師に頼った授業では心もとない。従って,小学1年から中学3年までの義務教育期間中の好きな時期に,希望者は誰でも国費で1年間留学できることにしたらどうだろう。行先は英語圏でなくてもよい。中国語圏,イスラム圏など好きな国を選ばせホームステイさせる。基本的には一人で生活させる。滞在費は一番高い国で200万円ぐらいだろう。今の小学生人口は各学年120万人。仮に全員が留学を希望しても計24千億円。足腰の弱った金融機関につぎ込んだ額を思えば安いものだ。1年後には子供たちはそれぞれ違った文化や知恵,言語を吸収して帰ってくる。大人になるまでに言葉は忘れたとしても,少なくともその国への興味は持ち続けるだろうし,異文化への対応能力も身に着くだろう。彼や彼女らが大人になった時,外国語を話すことはごく普通のことになっていると思う。(國枝すみれ,外信部)(毎日―朝刊。1/14/’00
・親が協力してあげることが大切だ。うちの息子には小さい時から,親2人で英語も日本語も教えてきたから,完ぺきなバイリンガルになった。自分で興味があると,子供はどんどん覚える。(ダニエル・カール,タレント)(毎日―朝刊。7/1/’00
・小学校の段階で英語を教えることは賛成だ。あまりに技術的なことに走
らないようにしたい。ゲームをしてもいいし,遊んでもいい。母国語以外にも言葉があるということを幼いときに認識させるのが,早期に教える最大の目的だ。英語であいさつができるようになったとか,数が数えられるということを追求しすぎると,教育ではなく訓練になってしまう恐れがある。(東後勝明,早稲田大学教授)(毎日―朝刊。7/1/’00
・文部省の研究開発校として4年前から英語を教科として導入してきた。英語の授業では,音声言語を重視し,いっさい文字としての英語は用いないようにしている。1年生から英語教育を受けた今の4年生は,耳から英語に親しんできたせいか,(カタカナなどで)文字化しようとする発想はないようだ。音声言語能力と文字言語能力の発展的な融合こそ英語教育に不可欠であり,それは小学校低学年から実施することによって初めて可能になる。総合学習の時間を利用して英語教育を実施するのではなく,(a)小学校における英語は教科として独立させ,1年生より始めること(b)その内容は音声言語を重視し,遊びの要素を多く取り入れた生活科のようなものであることが重要であると考える。(森山理恵,長崎市立西坂小学校教諭)(論壇:朝日―朝刊。7/21/’00

 賛成論の論点は,「楽しい」「吸収力がある」「文化の多様性を知る」「音声言語が定着する」「英語は世界の常識」などに集約されるようだ。

A  小学校英語導入反対論
ここでも,反対論は賛成論の数を勝っている。反対論の特徴は,公用語化反対の意見に通じるように思える。
・小学校の英語教育は時期尚早,英語を話せるようになる教育をまず中学で確立させるのが先決。小学校には十分英語を教えられるスタッフがいないし,外国人の教師も十分いないので,壮大な無駄になる恐れがある。子供はテープなんてまじめに聞きませんから。早くから学び始めれば話せるようになるとか留学すれば話せるようになると言うのはすべて幻想だ。使える英語を習得するためには,基本文型を頭にたたき込んだうえで,次に耳から単語や熟語などの表現を覚え,最後に覚えた表現を引き出す回路を作るために,口を使って話す。最小限これだけの練習をしなくては,英語を話せるようにならい。(井上一馬,「話すための英語」の著者)
・ALTの授業は,生徒が40人もいれば一人一言で終わってしまう。そん
な英会話授業を小学校に拡大しても効果は上がらないのではないか。毎日英語を使う必要に迫られる,友達と仲良くするためにどうしても英語を話したいといった状況に置かれないと英語は覚えない。だから英語の早期教育は幼いうちから英語嫌いを増やすだけではないですか。小学生なら日本語の本を読ませて,まずきちんとした言語能力を育てたほうが,将来英語を学ぶためにも効果的です。言語のセンスは同じで,国語のできる子は英語もできます。(松井力也,三重県桑名高校英語教師,『英文法を疑う』の著者)
・ばらまき福祉と同じで国費の無駄だ。野球,ピアノ,バレエをしたい人がいくら増えても義務教育の対象にはならない。野球をしたい人の中から才能のある人材を選抜して,特訓する。できない人はやめてもらう。そうしなければ一流選手は生まれない。しかし英語に関してはみんなに平等に教えるという。おかしな考えですよ。小学校の義務教育は,すべての国民がこれだけは知っていないと日本人として困るという基本的な知識に絞るべきで,日本では英語を知らなくても一般の日常生活に支障はないし,ちゃんとした高等教育も受けられる。日本文化を説明し,情報を発信し,交渉するなど戦略的な英語を話す人は1000人中に一人もいればいい。血が出るほど努力する意欲,そして才能と覚悟のある者に絞って重点的な英語教育をすべきです。(鈴木孝夫,慶応大学名誉教授)(以上,毎日―朝刊。1/11/’00
・英語は大切だが,最も大事だと思うのは,どういう21世紀型の学力,小学生像をつくっていくかだ。日本語を正しくできることが基本であり,国語力がない段階で英語を始めるのはどうかと思う。(尾木直樹,臨床研究所「虹」所長)(毎日―朝刊。7/1/’00
・早期教育の利点(a)羞恥心や違和感なく素直に英語に入っていけること発音をネイティブスピーカーに近づけることができること,の2つしかない。第1は認めるとしても,第2の利点は重要とは思わない。アジアや欧米の七カ国の人々と会う機会に恵まれたが,ネイティブ以外の人は皆,それぞれの母語の特徴をひきずった英語を話す。最終的にものを言うのは,人間性と仕事の能力であって,いかに英語を流暢に話せるかどうかではない。また,日本人が英語を使うのは,会話よりむしろ読み書きの方が多く,従って発音はさしたる問題ではない。私には,英語以前に力を注ぐべきことが山積していると思われてならない。第1に,日本語や算数はかなり問題だ。もっと,国語や算数教育の重視を望む。第2に,自国のことを知らなさすぎる。自国の文化や歴史について語れる知識が必要だ。話す中身が大切だ。第3に,学級崩壊などは,道徳や生活習慣といった子供の根幹が揺らいでいる。この問題に取り組むのが急務だ。(伊藤ゆかり,主婦)(論壇:朝日―朝刊。8/8/’00

 ここまでさまざまな意見が出ているが,次の指摘は本研究にも関わる重大な現実問題である。

神奈川県の公立小学校教師は,実際に英語教育を実施できる学校は少ないだろうと予測する。この教師の勤める地区では,全部の中学校にALTを導入するのに3年もかかった。「生徒の前でうまく会話ができないと恥ずかしい」との理由で,英語教師らが抵抗したからだという。どうやら子供より先生の意識改革が必要らしい。(毎日―朝刊。1/11/’00

B 小学校英語論議への批判と提言

小学校英語論議の締めくくりとして,社説や学者の提言を見てみよう。賛成,反対の議論を超えて,ここには英語教育及び英語教員養成・研修の今後の研究に欠かせない視点が示されている。
・小学校に英語教育を導入するかどうか,について(英語懇に)踏み込んだ議論を求める。総合学習の時間で,小学校でも英語指導ができるとしているが,これはなし崩しと言うべきだろう。総合学習の時間は本来,教科横断的に,自ら学び,主体的に判断する力を養うために設けられた。国際理解教育の名の下に,実際には英会話を指導するようなことは,その趣旨から大きくはずれる。英語の早期教育をするなら,その必要性をまずきちんと示す。その上で,教科としての位置づけ,教師の養成や教材の開発など手順を踏んで進めていくべきだ。もちろん,中学以降の指導を改善すればこと足りるという結論もあり得る。英語をどう獲得するかは,待ったなしで,その答えを求められている。(社説:読売―朝刊。2/6/’00
・本格的なスタートの前にいくつかの点を確認する。第1は,小学英語が日本の英語教育の救世主であるかのような受け取り方がされているが,果たして,そうだろうか。123千ある中学校で専科の教師やALTを配置しながら行なっている英語教育の成果が仮に十分でないとして,その解決を25千ほどある小学校に期待するということは,常識的に見て不自然ではないだろうか。教える人の確保,その人たちに対する研修や適切な教材の開発など,いろいろな意味でのコストが中学校以上に必要だと考えるのが妥当だろう。/普通,外国語の早期教育のメリットは「耳」と「慣れ」であるとされている。しかし,このことがすぐに小学英語の強みになるとはかぎらない。週12回でも耳はできるのか。ネイティブスピーカーでもなくてもよいのか。この点について確たる証拠はどうやらなさそうである。確証がなくて,大規模に小学英語を展開するのは,大きなかけになるということを覚悟すべきである。慣れに力点をおいて,授業ではなく,年に12回の学校行事として小学英語を取り入れるのである。この方が安全で効果もあるのではないだろうか。この形式だと,教師養成,中学英語との関係,教材,評価などの難しい問題から自由になりうるからである。/日本人にとっての英語ニーズの特徴は,(a)本格的なニーズが発生するのが多くの場合,社会人になってからであること(b)その場合,必要とされる英語のレベルはかなり高いレベルであること,の2つである。小学英語はこの2つの特徴にこたえることができるのか。/助走距離を短くして,大学以降に一気に集中的に学習するといった可能性との比較検討もされるべきではないだろうか。大切なのは,メリハリのある英語教育全体のプランを作成することである。英語教育に使えるリソース(人材,時間,予算など)は有限である。その有限のリソースを小学校から大学まで薄く引き延ばすのではあまり効果は期待できまい。どこかにリソースを集中しなければならない。そうしたことに関する全体像は今のところない。早急に全体プランの作成が必要である。(金谷憲,東京学芸大学教授)(日経―朝刊。5/27/’00
・英語懇の経過報告は,中途半端な印象が否めず,物足りない。とりわけ分かりにくいのは,小学校から英語を教えることの是非についてである。小学校から英語を,と解釈できるが,必ずしも明確ではない。さらに問題は,新学習指導要領により3年生以上に週3時間新設される「総合的な学習の時間」を当てていることだ。「いっせいに英語を」との要請は,総合学習の趣旨にそぐわないだけでなく,その意義が損なう恐れがある。英語教育の面からみても好ましいことではない。小学校から実施するなら,相当の人,カネ,時間が必要になる。きちんとして戦略なしに,あいまいな状態のまま,なし崩し的にはじめても混乱するのではないか。これまでの日本の英語教育に問題があることは,明らかだろう。英語教育の抜本改革は,必然であり,緊急の課題だ。まず,中学,高校,大学の各段階で,どういう方法,内容のものにするのか,原点に戻って見直さなければならない。高校や大学の入試改革との連動も欠かせない。英語教育の全体像をしっかり見据えることが大切だ。それによって,どのくらいの年齢から始めるのがいいのか,小学校からやるとしたら,どんな時間にしたらいいのかも決まってくる。説得力のある議論の積み重ねが期待されるのだが,それが感じ取れない。小学校から導入と言うのなら,あいまいな言い方ではなく,大方の納得する論理で,道筋を示すべきだ。(毎日―朝刊。7/1/’00

 以上の指摘はほぼ「英語教育の全体像を示せ」に集約される。公用語化論議と小学校英語論議という支流が,本流の英語教育改革論議へと流れ込んできた。文部省や英語懇の意見や方針は,こうした論議が背景にあってハンドルをきっているものと推察する。


W 「英語教育に関する論議」及び「少人数学級」の動向
 本項で,「英語教育」と「少人数学級」をまとめたのは,英語指導,特にコミュニケーションを主体とした英語指導とクラスサイズとの関係が議論の的になることがよくあるからである。40人もいるクラスでは,コミュニケーション英語指導は不可能だ,とか,効果は上がらない,などの指摘がよくなされる。
 そこで,この点を前提にして,上記2つの課題について別個にその動向を探ってみる。

1.英語教育に関する論議
 英語教育論議には,小学校英語,英語公用語化,英語の指導法,英語教員の資質・能力・養成・採用・研修,英語入試,国際交流といったさまざまな問題が包括される。つまり,英語教育の全体像がそこで語られることになる。21世紀懇の提言が出された直後に発足した英語懇が,この課題に対して文部(科学)省から諮問された。

1)英語懇の動向
(朝日―朝刊。 12/30/’99)によると,「実践教育への見直し」を諮るために,中曽根文相の私的懇談会として,有識者らで構成する「英語指導方法等改善推進会議」(仮称)が設置された。懇談会は,大学を卒業すれば英語でコミュニケーションをとることができる社会を確立することを目指し,中学,高校,大学での英語教育の指導方法を抜本的に見直すことを方針にするという。内容は,英語を話す機会を増やすため,授業はグループディスカッションや討論を中心としたり,会話中心の高校・大学入試に改めるなどが議論される見込みで,一年程度かけて提言をまとめるそうだ。基本的には,日本人が英語でコミュニケーションをとることができないのは,指導方法や授業の進め方に問題があるとの考え方があり,(2002年中学,2003年高校の)新学習指導要領の実践的なコミュニケーション能力を育成するための具体策を検討する,としている。テーマは,(a)英語教員の採用方法の改善(b)各学校段階での具体的な授業の進め方(c)高校・大学入試の改善(d)国際交流機会の拡充方法,などで,英語教員採用の際には,TOEFLの得点などを重視し,実践的なコミュニケーション能力のある人物を採用する方向で検討されるという。
翌年126日に英語懇は初会合を開いた。「指導方法を検討し,近い将来,すべての国民が社会人になるまでに英語を身につけられることを願っている」(中曽根文相)という挨拶で始まったこの会合で交わされた「激論」をかいつまんで紹介しよう。

・英語で必要なのはコミュニケーション能力よりも,伝える内容。いくら英会話ができても内容が伴わなくては意味がない。(谷口賢一郎,秋田県立本荘高校長)
・ 話す技術よりも内容だ,という日本人は多いが,これは英語ができないことの言い訳だ。(グレゴリ―・クラーク多摩大学長)
・細かい文法,語法にこだわらず,日本式の英語をどんどん使えばいい。他のアジア諸国のように第2の公用語になる。(アントン・ウィッキー奥羽大学教授)
・入試制度を改めないと解決しない。入試で話す力を見る大学がどれだけ
あるのか。(荒井正道,岩手県教委主任指導主事)
・日本人は英語が苦手なため,国際舞台でしばしば知能が低く見られる,という声も上がった。
・小学校での英語を支持する声が多い一方で,「語学の習得に必要なのは明確な目的。それがなくては何年間勉強したところで効果はないのではないか」との疑問も出された。(以上,毎日―朝刊。1/27/’00
・授業ではまず聴く能力を育てなければならない。
・教師の一方的な授業ではなく,グループで議論したり,発表したりする機会を増やすべきだ。
・日本語で他人に分かるように自分の考えを発表できるようにならなければ,英語でのコミュニケーションも難しい
・英語の入試問題では,自由記述や会話,リスニングを8割程度に増やし文法などを2割にとどめるなどの改革も必要。(文部省 高等学校課)(以上,読売―夕刊。1/26/’00

 英語懇へのコメントととして,(日経―夕刊。1/26/’00)は次のインタビュー記事を掲載した。

「コミュニケーション重視の教育は反対ではないが,それだけでは英会話学校と同じ。英語という教科を通した人格形成まで見据えた教育でなければならい。英会話術の習得だけなら英会話学校の方が効率が高く,それだけに偏った英語教育を実施すれば,学校教育が機能していないと言う評価が生まれる恐れもある。会話はそれを使う人の生き方,本質にかかわるもので,まずその視点に立つことが大切だ。」(東後勝明,早稲田大学教授)

 さて,この後の英語懇の提言については前項「小学校英語論議への批判と提言」で取り上げた。つまり,今のところ,昨年6月末に早期英語教育に関するまとめを発表した段階でとどまっているようである。肝心の「英語教員の研修」については,まだ具体的な提言は出ていない。近いうちに,その枠組みだけでも示されることを願うが,どうも最近鳴りをひそめている感があるが,どうしたのだろう。

2)英語懇への期待と要望
 英語懇の議論の成り行きに対し,4紙はそれぞれ社説で期待や注文を出している。特に目に付くのが,前述した早期英語教育に関する話題だが,その中でも(日経,3/20/’00)の社説は,英語教育の全体像に言及した代表的な議論と考えられる。その要点をまとめると次のようになる。

 「英語能力がアジアとのコミュニケーションに必須であり,小学校,幼稚園からの英語教育が必要」と結論付けたのは,昨秋,アジア七カ国を訪れたアジア経済再生コミッション(団長奥田日経連会長)の報告書においてである。その後に,21世紀懇の「英語第2公用語化も議論する」という提言が出た。それに対し,「公用語なんてとんでもない」「全国民に本当に英語が必要なのか」「日本語の能力が落ちているのに英語どころではない」「英語だけできても仕方がない」という疑問や反論が沸騰したが,そうした意見も無視しがたい。さらに,小学校での英語教育をはじめ,いろいろな人が様々な英語教育論を思いつきのように提案しており,状況は混乱を深めている。これでは効果的な英語教育は結局行なわれず,不満と無力感が続く恐れがある。大切なのは,「誰にとっての英語なのか」という問いに対し国民的コンセンサスを作り出すことである。「本当に英語ができる人が十人に1人いればよい」(平泉渉元参議院議員)という指摘もある。普通の人が,普通の場面で英語を必要とする可能性が増えていることに対応しなければならないと言う考え方も強い。「第2公用語論」はこの代表だろう。大多数の日本人にとって本格的な英語は,「いつ必要になるかわからないが,必要になるに違いない」という観念的なものにとどまっている。一方,英語学習とは関係のない「日本人はしゃべりたがらないから英語が身につかない」「国語がダメなのに英語どころではない」「日本人に話す内容がないから英語を話せない」などというのは,敗北主義で不毛な議論である。日本の英語教育の大問題は教員の能力不足,ひいては大学での英語教職課程の不備にある(下線部筆者,以下同様)が,英語をめぐる環境の激変が問題をますます露呈させつつある。根本的な欠陥は英語教育に関する全体像がないことだ。文部省や教育界にこの作成を任せて置けないことはこれまでの経緯で明らかである。英語懇は,全体像と優先順位を明確にするよほどの発想の転換と強い決意がない限り,繰り返し出されてきた提言と大同小異のものになるだろう。教わる側,使う側からの強いイニシャティブが重要である。日本英語交流連盟のような団体活動,英語教育協議会による英語教育に関する提言の動きに注目したい。(日経―朝刊。3/20/’00
3)専門家チームからの提案
 上記社説の最後で言及している「英語教育協議会(ELEC)」は,金谷憲東京学芸大学教授を座長に,国際交流,英語教育の専門家を集めてチームを作り,次のような提案をまとめた。内容は,これまでの議論を整理し,「中学で集中授業を行え」とか「大学の必修科目は英語で」など,かなり具体的なものとなっている。この提案が,前に述べた英語懇や文部省の方針のブレに,多少影響を与えているかもしれない。次はその要点である。

 「英語教育に関する問題の所在を明らかにした上で,最優先課題の解決策に焦点を絞って提言をまとめた。まず,これまでの英語教育で最大の問題は,(a)どんな人がどの程度の英語力を身につけるようにしたらよいのかが明確にされていない(b)限られた教育用のリソース(授業時間,教師,機器など)を集中して教育に当たっていない(c)英語が日本人にとって外国語であり,日常的に社会で通用している第2言語(公用語)ではないという点に十分に配慮した教育施策がなされていない,という点である。この3点に絞って検討した結果,2つの目標が設定できる。1つは,国民一般レベルでは,高校卒業までに最低限中学3年間で習う範囲の英語(英検3級程度)の定着を目指す。もう1つは,仕事上,英語を必要とする人達にはこの基礎力を踏まえ,より高度な運用力(例えば,英検1級,TOEIC900点,TOEFL600点以上の英語力)を身につけるような教育を実現することを目標とする。従って,小学校からの早急な英語教育導入は問題である。さらに,最優先策のプロジェクトとして,(a)国民一般の基礎英語力定着のためには中学校段階で特定学年に授業を集中して基礎定着の効率を上げる(b)英語の高度な運用力を目指すレベルについては,国際的に活躍しうる人材を育成することを目標とする大学,学部,学科,専攻分野では必修科目の一定の割合を英語で行なうことを義務づける(あるいは奨励する)(c)国家公務員の一種の全員,地方公務員上級の10%程度に入省(入庁)時から十年以内に一定の高度な英語力(例えば,英検1級,TOEIC900点,TOEFL600点以上)に達することを義務づける。(a)については,長期間にわたって間欠的に授業を行っても基礎英語の定着は図れない。この意味では公立小学校への中途半端な英語教育の導入は問題である。」この提言に対し,執筆記者のコメント:「学習指導要領の改訂で教科内容を削減しようとすると,各教科の権益争いが激しく,どの教科も“平等”に一律削減という結果になると,しばしば指摘されている。こうした一律削減主義が是正されない以上,特定学年で集中的に学習を行うというのは面白いアイディアといえる。英語だけに限らず,他の教科でも導入は可能かもしれない」(日経―朝刊。9/30/’00

4)英文法教育擁護論
 この項の最後に,日本の英語教育界で根強い英文法への信頼,言い換えると,英文法をしっかり勉強してこなかったから,現在大学生の英語力が低下したのではないか,という代表的な議論を紹介する。この議論が,正しいとか間違っているとかということとは別である。現在英語で生計を立てている学者,専門家,教師の多くは,多かれ少なかれ,文法訳読式の指導法を受けて英語をモノにしてきた,という側面があることも見逃せない,という意味である。

 「日本全国の中学英語教師に受け入れられつつある第2言語習得の方法(インプット理論)を成功させるためには,週3回,40人学級などでは不可能だし,教師の側にもかなりの英語使用能力が求められる。かつ,12歳というのはこの方法を用いるには遅すぎるのではないか。決定的な問題点は,この理論が,ほんらい米国などへ移住した外国人のための第2言語の習得法であって,日本のように,日常英語に接することのない生徒のためのものではないということだ。文法を教えないという理念を普通の中学・高校に持ち込むことは,自然修得も中途半端なら,文法も辞書の引き方も発音記号も知らないという『虻蜂取らず』になる恐れが大きい。その結果が,すでに大学の惨状として現れているとしたら?私自身,英文科入学以来16年間学生として教師として英語に関わってきて,まったく文法も語彙も異なる言語を母語とする日本人は,10代半ばで留学するのでもない限り,文法と語彙を地道に固めていくしかないと考えるに至った。角を矯めて牛を殺すの類ではないだろうか。関係者にこの点の調査・再考を促したい。(小谷野 敦,明治大学講師,比較文学)(毎日―朝刊。10/16/’00

2.少人数学級の流れ

1)文部省協力者会議の報告書
 文部省の調査研究協力者会議は,2000519日,公立小,中学校で一律に「1学級40人」を標準としている現在の学級サイズを見直し,各都道府県教育委員会の判断で自由に定められるようにすることなどを求める報告書をまとめた。少人数学級を編成し,教員が細やかに対応できるようにすることを目指している。ただし,「1学級40人」という枠組みをもとに全国で必要な教員数をはじき出し,その人件費の半額を補助するという算定方式は今後も変えない。また,学級は社会性を学ぶ「生活集団」と位置づけ,教科の授業については学級の枠を外して自由に編成できるようにすることを求めた。文部省は当面,小学校では「国語・算数・理科」,中学校では「英語・数学・理科」の3教科について,20人程度の学習集団に分けて授業を進めることを奨励するという。正規採用の教員枠を非常勤講師で代替し,人件費を国が補助する方針も示された(朝日―朝刊。5/20/’00)。一方,(日経―朝刊。5/20/’00)は次のように報じている。

 横浜市の小学校長は,報告書のプラス面を期待し,「教師は自分の授業を見られるのを嫌い,他人の授業にも関心を示さない傾向がある。子どもが教科指導を通じて複数の教師と触れ合えば,その子の才能を引き出してあげることもできる」と述べた。文部省内では,「授業はすべての子どもが手をあげて発言したいわけではない。一人ひとりに目が行き届くのが教育の理想だが,息苦しさを感じさせてはいけない」との指摘があり,その立場は,「40人を下回る学級編成も自治体の裁量で認めるが,実際は,一律少人数化はお薦めしない」というものである。また,勤務時間が40時間の常勤教員が退職した場合,自治体は,週10時間勤務の非常勤講師を4人任用することができるよう制度を改めるという。企業経営にたとえれば,正社員をリストラし,アウトソーシングに切り替えるということだろう。これに対し民主党は,「責任を持って教育にあたるのは非常勤でなくフルタイムの教員が望ましい」と反発している。(日経―朝刊。5/20/’00

2)国民会議などからの批判
 この文部省の方針に対し,国民会議は意見を異にしている。(読売)は概略次のように報じている。

 国民会議委員の一人,今井佐知子山口県PTA連合会長が「少人数学級を実現して授業についていけない子どもたちをなくしてほしい」との意見を出すと,グレゴリ―・クラーク多摩大学長,木村孟大学評価・学位授与機構長も同調した。江崎玲於奈座長の持論は,「トップランナーを養成するための教育は,30人以上の学級では実現できない」で,町村信孝元文相も「小学校低学年では20人程度に減らすことも考えなければいけない」と述べた。公明党には基本政策のなかに「2025人学級」というのがあり,民主党にも「小,中,高校の学級規模の適正推進法案(30人学級法案)」があるが,これは野党のため廃案確実であるという。文部省は,財政負担が増大することなどから「(40人学級は)現実味がない」(幹部)との立場で,「習熟度別」を主張している。995月現在1学級の児童生徒数の平均は,小学校272人,中学校32.4人,高校370人で,一律30人を上限とした場合,新たに約17万人の教員を採用しなければならず,人件費が14千億円増える。習熟度別授業とは,ホームルームの学級単位は40人のままとし,算数など能力差が表れやすい教科に限って学級を分割し,増えた分の授業は,人件費の低い非常勤講師が担当する,というものである。「次代を担う人材も育てられるし,勉強ができない子を救うことにもなる」(河村建夫文部総括政務次官)というのが文部省の見解。それに対し江崎玲於奈座長は,「習熟度別授業も大切だが,まず少人数学級。例えば24人程度のクラスで授業を行なうべきだ。少子化で教員数は余る傾向にあるのだから不可能ではないはずだ」と述べている。(読売―朝刊。5/11/’00

 (毎日)の社説ではこの報告書を批判し,次のような議論を展開している。

 文部省協力者会議は現行の40人学級を維持しながら,教科別の少人数授業を打ち出している。しかし,報告の根拠は薄弱で,説得力に欠ける。この点に関し国民会議の積極的な取り組みを期待する。報告書によると,「1学級40人だが,都道府県の判断で,例えば県内一律に30人とするのも,低学年のみ少人数とするのも可能」「生活集団としての機能を主とし,学習集団としての機能は柔軟に解釈し,学級単位にとらわれないグループ別の授業の設定を推奨。」「向こう5年間の教員定数計画では,少子化による教員の自然減(約2万数千人)を維持し,非常勤の配置や県レベルの努力で,国語,算数・数学,英語などは,20人程度の学習集団による授業が可能」としている。だが,この実現には都道府県の相当の覚悟が必要であり,市町村の財政負担は軽くはならない。先行きは不透明だ。文部省は,40人とした意味づけを,「子どもの社会性を育成し互いに切磋琢磨する場として,学級は一定の規模が必要」「学級規模と学習効果の相関関係には定説的見解がない」としているが,なぜ40人なら社会性は育成され,30人ではダメなのか。少人数の方が,学習効果が上がるという研究もある(加藤幸次上智大学教授の研究―毎日―朝刊5/20/’00)。結局は,財政問題なのだろう。全国一律に30人学級を実現するには,12万人の教員が必要で,年間1兆円かかるという。厳しい数字だが,例えば低学年から先行させ,負担の軽減を図るなど工夫の余地はある。欧米では30人以下がほとんど。米国は18人にする計画であるし,欧州も減らす方向にある。それぞれの国が,国家戦略として,次代を担う人材育成に予算配分を優先する選択をしているのである。(毎日―朝刊。5/24/’00

3)少人数教育への動き
 こうした議論が進行中であるにもかかわらず,すでに独自で非常勤講師を採用し,少人数教育を先取りしている自治体がある。

 独自採用の先鞭は長野県小海町。町費で23人を採用して町立小学校に配置した。この動きに刺激され,浦和市では「少人数教育推進教員」と名付けて60人,平均25歳の非常勤を,全小中学校に24人配置した。宇都宮市でも45人採用。品川区は,指導助手を30人雇い,中学含む20校に派遣している。柏市では,「フレッシュ教員」と命名した。柏市教委は,「子どもたちからは一緒に活動できて楽しいと好評。職員室にも活気が出てきた」としている。(朝日―夕刊。5/20/’00

 この他,群馬県では,1年生が5学級以上ある中学校10校に,数学や英語などの非常勤講師を配置する「わかばプラン」をスタートさせた。群馬では,財政苦しいができるだけ充実させたい,としている。「30人学級」を主張していた日教組は,報告に対し「遺憾の意」を表明。「5年間で自然減となる分を維持し,少人数学級や少人数指導をすることは教育関係者が求めているところだ」と,定数改善には評価したが,「国の標準を40人に据え置いたのは極めて遺憾。せめて小学校低学年については20人程度の編成にするよう求めたい」(書記長談話)という方針であるという。(毎日―朝刊。5/27/’00

 文部省は,実質的に特定教科の「20人学級」が実現できるよう,予算措置を取ることで動き出した。(朝日)と(日経)がほぼ同じ内容を伝えている。

 文相と蔵相との来年度予算事前折衝で,小中学校の教職員の定数を,来年度から5年間で26,900人増やし,現状を維持することになった。児童生徒数が減っても今の教員数を維持することで,教員ひとり当たりの児童生徒数を欧米並みに改善するとともに,小学校の国語,算数,理科,中学校の英語,数学,理科の基本3教科で,20人程度の少人数授業が可能になるとしている。(朝日。12/19/’00)(日経。12/19/’00


X 教員養成・採用・評価・研修等に関わる動向

1.東京都人事考課制度

1)人事考課の内容と導入の流れ
 東京都教育庁は19991014日,教員の勤務評価を給与や異動に反映させる人事考課制度導入に向けた中間報告をまとめた。これは,教員の評価システムを抜本的に変える内容になっている。(朝日―朝刊。10/15/’99)によると,この評価システムは,まず年度当初に教員自身が校長に「自己申告書」を提出する。そこには、「学習指導」「生活指導」などについて,1年間の目標と目標達成のための具体的な方法を記入する。各学校の管理職はこの申告書をもとに,年度末に「学習指導」「生活指導・進路指導」「学校運営」「特別活動・その他」について,「能力」「情意(意欲など)」「実績」をそれぞれ5段階で絶対評価する。さらに「総合評価」を5段階でつける。各教委はこれらをもとに,所管する全教員を相対評価に整理し直し,給与や異動などに直接に活用していく,というものである。文部省によると、全都道府県で勤務評定は実施されているが,東京都のように昇給などには反映させていないケースがほとんどで,東京都の人事考課制度導入は,他の道府県へも影響を与えそうであるという。
 12月はじめに提出された最終報告は,中間報告をほぼ踏襲したものとなり(朝日―12/3/’99),12月中旬には都教委が導入を決定した。都教委は「教員の資質向上のために必要」としている(朝日―夕刊。12/16/’99)。決定を決めた定例教育委員会は公開で審議され,教育委員から積極的な意見が相次いで出され,否定的な意見は一切なかった。例えば,「反対意見の多くは教育界だけで通じるもので,甘えを感じさせる」「熱心に取り組んでいる先生と漫然と日々を過ごしている先生を,同じ給与にしておくのは納得を得られない」であった。制度導入に反対する意見書や要望書は105件,署名は10万人に達していたという(毎日―朝刊。12/17/’99)。しかし,これで,2000年度から実施されることが本決まりとなり,年明けからは,評価結果の本人への開示や評価の活用方法,評価する管理職の研修内容などを検討することになった。
 導入決定に伴い,20001月に,都は校長らを対象に初の研修会を開催し,「自己申告書を提出しない対応に出れば,マイナスになることを分かってもらうことが必要だ」「職務命令ではなく,納得させて提出させるように」「それでも出さない場合は不利益があってもやむを得ないことを伝えなければならない」などと指示した。さらに,「提出しないことで評価をワンランク下げることではない」が,評価の中で「学校運営」の「情意」の項目の判断要素になる,と説明した。また,「校長らが,反対する教員の誤解を解くことも必要だ」「人間性や私生活まで評価しない」「教員とのコミュニケーションを十分に図る」などの評価の姿勢についても言及したという。この研修会は,公立の小中高の校長,教頭5300人が対象で,8月までに実際の評価法などについてあと2回開催されるという(朝日―朝刊。1/20/’00)。
 同月,都教育庁は研修システムの方針にも触れ,評価が上位の教員には大学院や海外派遣などのメニューを用意し,評価が下位の教員には個別研修を行うこと。また,指導力などで問題が大きい教員には,特別に「指導力ステップアップ研修」(仮称)を設定(13年個別の課題に応じた長期研修。夏期休暇中10日程度の短期コース)するとした(朝日―朝刊。1/27/’00)。これまでは,年齢や勤続年数に応じて実施する研修以外は,主に,希望研修であったが,今後は人事考課の結果で研修内容が変わることになった。
2月,人事考課の本人開示見送りの方針が都教育庁から打ち出され,3月にその報告書が発表された。報告書では,同制度と連動した教職員の能力開発プログラムを構築し,今後,23年のうちに,制度に対する理解度を高めるための取り組みを精力的に行い,その後,できるだけ早い時期に開示していく,とした。また,指導力不足の教員には,程度に応じた再教育,「指導力ステップアップ研修」(仮称)を新設し,既存の一般研修は,「キャリアアップ研修」として評価結果に応じて受講でできるようにする研修体制の整備を盛り込む(毎日―朝刊。3/30/’00)とした。将来,開示した場合には,校長が行なう5段階絶対評価を希望者には口頭で伝える方針で,各教委の相対評価は開示の対象とはしない。また,評価に対する苦情については,各教委に相談機関を設ける(朝日。2/24/’00)。これに対し,教職員組合は「開示がなければ評価がブラックボックスになってしまう」と反発した。
 こうして人事考課制度の道筋がつけられ,20011月の都新年度予算案知事査定で,指導力に欠けて教壇に立てない教員たちの研修などのために「都教職員研修センター」が新設されることとなった(朝日―朝刊。1/12/’01

2)人事考課制度導入への反応
@渦巻く不安と反対
「勤務評定」が形骸化し,「教員評価」が聖域としてほとんど手付かずの状態であったために,人事考課の導入は,教育関係者に不安と動揺を与えたのは当然といえば当然である。教職員組合,PTA,個々の教員はもちろん校長,教頭も含め,不安や反対の声があがった。(朝日―朝刊。10/15/99)(毎日―朝刊。 11/12/’99)(朝日―朝刊。12/16/’99)(毎日―朝刊。12/17/’99)からその声を採録してみよう。

<組合>
・評価する側がつくった案で,評価される側の意見がまったく反映されていない。人材育成を掲げるならば、職場の理解を得て進めるべきだ(都教組浦登書記長)。
・憲法・教育基本法に基づく教育を根本から崩していくもの。
・教育の効果は短期間で現れるものでなく,一律の尺度で測れるものではない。教員の多様性も否定することになる。
・小中学校の教員に対するアンケートの回答の約85%が導入に反対。あまりに拙速で,教育の条理にも反する。
PTA
・子供たちのためというよりも,学校長教頭の方ばかり向く教師になってしまう恐れがある。保護者の意見を言える機会を。
・子供たちを置き去りにした検討。
・余りに早急すぎる。
・社会的に求められる背景があり,実施は重要・不可欠と考える。
・(稲城市の父母中心の「考える会」)子供たちにとって良い先生が正しく評価されるのでしょうか。今すべきことは風通しのよい開いた学校にし,先生と保護者,市民,そして子供たちが正面から取り組むことではないか。

<教員>
・(中学)頑張ったことに対し評価されるのは励みになるが,職場のスクラムにゆがみを生む。様々な立場で働いている教師が正当に評価されるのかどうかも疑問。評価をえるために教師になったのではないし,あくまで子供たちの方を向いていきたい。
・(小学校)管理するための評価であって,教員の資質向上にはつながらない。そもそも評価する側の資質が問題だ。子供達が抱える内面の問題にかかわっていける教師が求められている。それには評価よりゆとりが必要だ。
<校長・教頭>
・(教頭会会報)客観性と公正さを保持した認定が可能か。具体的な効果にも疑問が残る。
導入された人事考課の結果,「オールA」となる教師が本当に子供たちにとって「良い先生」なのか。残された検討課題は多い,と(毎日―朝刊。 11/12/99)では締めくくっている。
 都教組は導入が決定される前に,この制度に関して,アンケート調査を実施している。この調査は,学校と幼稚園,給食センターに勤務する教職員役43,000人が対象で,約31,000人から回答を得,さらに4300人いる校長と教頭からは郵送で回収したが,回答者は109人であった。その結果は,次の通り。

・教職員:「教員の資質向上には役立たない」79%,「校長や教頭との関係は溝が深まる」84%。
・校長と教頭:「客観的な評価ができない」36%,「できる」35%/結果を給与などに反映させる点に賛成56%,反対28%/導入に賛成49%,反対30%/教職員と「協議すべき」51%,「必要ない」37%(以上,(朝日―朝刊。12/16/’99)。

A  人事考課の実施状況
 (毎日―朝刊。6/8/’00)では,自己申告書提出状況を報じている。それによると,小,中で9割,高校で7割の教員が制度に基づく自己申告を行なったという。この結果を都教委は,「予想以上の数字で,スムーズに導入されたと受けとめている。しかし,自己申告がゼロという学校もあり,今後も高校や市町村教育委員会に努力を要請する。また,「都立高校のうち13校で申告がゼロだった。申告しないからペナルティーを課すということはないが,申告には異動の希望も含まれており,都教委に一任されたものと認識している」と語ったそうである。
 一方,(読売―朝刊。8/23/’00)は,都立高申告書の記載状況を次のように報じた。
都教育庁では今回,都立高の教員の96%が提出した自己申告書の内容について調査,A−Cの三段階の評価を試みた。その結果,本人の年間目標などが詳細に書き込まれ,校長の学校経営方針も理解している「A評価」は調査全体の274%,それに準ずる「B評価」は570%で,計84%超の教員か申告書に前向きに記載。一方,申告書は提出はしたが「具体的な記載がない」「記載された内容が教職員団体などが作成した見本と同じだったり,類似している」など問題がある「C評価」の申告書は156%となった。また,申告書の半数以上が「C評価」の学校が全日制で12校となり,こうした傾向は特定の学校に集中していた。同庁では,こうした学校については,各校長に事情の説明を求めるなど,改善指導を行なっていく方針。

3)人事考課実施への注文
 (読売―朝刊。1/25/’00)は社説:「学校活性化に人事考課生かせ」で,「能力・業績主義は時代の求めと言っていい。社会が激しく変化する時代には,一人ひとりの力を見極めて,それにふさわしい処遇をすることで,組織の活力を生み出す必要があるからだ。学校も例外ではあり得ない。ぬるま湯的な人事や学校運営が行なわれていては時代に取り残される。何より,そうなった時に第一に被害を受けるのは子どもたちであることを思わなければならない」と,まず人事考課制導入を前向きに捉えている。そして,この制度のポイントを,「年度当初に全教師に一年間の目標などを書いた自己申告書の提出と,その際管理職による面接を受けることを義務付けている」点にあるとし,「管理職と一線の教員が毎年1回,自己申告を介して,様々な問題をきたんなく話し合う。そんな場が実現すれば反対論の多くも沈黙せざるを得ないだろう。この過程にこそ新制度の意義があると言える」と指摘。そのためには,「評価が学校に権威主義や管理主義をもたらすことは避けたい。求めがあるなら,評価を本人に知らせるという風通しのよさがあってもいい」と評価開示の意義を示した。最後に,「要は,人事考課を通じて学校を生き生きとよみがえらせる。新制度の審の狙いはそこのあることを,関係者全員がよく理解して取り組んでほしい」と結んでいる。

2.「教員採用・評価・研修」等に関する動向
 この項目は,個々で話題になることもあるが,審議会等の報告ではほぼセットで盛り込まれる。従って,まず全体の流れをつかむために,審議会等の提言を確認し,次に個々のテーマについて追跡していくこととする。

1)教養審の提言
@  経過と内容
 1999119日に,教養審は教員の採用や研修のあり方を抜本的に見直すよう求める答申案をまとめた。この案では,「必ずしも適正がある人を採用できる制度になっていない」という批判に答え,筆記試験を重視してきた採用方式を改め,一定の学力や教養を確認した後は人物本位で採用すること,筆記試験を「一定の水準に達しているかどうかを評価するために活用する」ことを求めている。この背景には,同年7月の東京都の一次筆記試験通過の倍率が,高校5倍,中学54倍,幼稚園41.9倍という異常な難関になっていることがある(朝日―朝刊。11/22/’99)。また,同時に,教員の質が論議になっている状況を鑑み,採用試験を多角的に行うために,社会人起用へ別枠試験,社会経験を重視した多面的な採用方式の導入や初任者研修の充実,能力・適正なしと判断した場合は早期に免職,英語教員採用ではTOEICTOEFLなどの実用英語技能検定を考慮,などを提唱している(毎日―朝刊11/10/’99)。
 この答申案は,1210日に正式な答申として文部大臣に提出された。この時点で各紙は,「教員に企業研修を,適性欠けば免職も」((朝日―夕刊。12/10/’99),「教師は企業で研修を,不適格なら免職も」(毎日―朝刊。12/10/’99),「教員採用,学力より人物重視で/不適格者は分限免職も」(読売―夕刊。12/10/’99),「教員採用,基準公開を/社会人に別枠も」(日経―夕刊。12/10/’99)という見出しで報道した。

A  答申内容に対する反応
 (毎日)の社説(12/11/’99)は,「これだけでは心もとない」と題して,この教養審の答申内容についてコメントしている。「答申はもっともな点が多い」としながらも,これだけでは「新たな時代に対応できるかどうかというと簡単ではない」とし,例として社会体験研修を挙げている。この種の研修は「形だけ整えても効果は期待できず,その内実が重要」なのに「答申からはその点は見えてこない」し,財政面での相当な負担についても,「その覚悟があまりうかがえない」と指摘している。また,「教育委員会や学校現場の閉鎖性」について言及し,今日的な課題に対応するには,「先生個人の努力だけで」は難しいので,「先生相互の連携,協力はもちろん,父母,地域社会,大学などの専門家が力を合わせることが重要」で,「教育行政も,先生も,社会の風に当たることを当然とする意識改革が必要だ」としている。採用試験の公表に教委が消極的な点について,「いい先生を採用したいなら,質の高い問題作りに人と時間をかけ,公表すべきだ」と主張している。さらに,「教員採用が狭き門になっている現状の打開が不可欠」で,「少子化に伴い,自動的に採用数を減らしていたのでは,若い先生がいなくなる」と警告し,「国や県レベルでも,他の事業との比較で教育に予算を振り向ける選択は,十分にありうる」はずだ,と結んでいる。
 一方,(読売―朝刊。12/11/’99)の『解説と提言』では,「文部省幹部も,教員の資質向上は半永久的な課題,と認めるように,もっと幅広い視点で検討を続ける必要がある。全教員に民間企業で研修させるなど,閉ざされた世界を外に開いていこうという今答申の流れも,拡大していくべきだ。忘れてはならないのは,まず,子どものことを考える,視点だろう」としている。

2)国民会議等からの提言
@  国民会議報告経過と内容
2000715日に,国民会議の3分科会がまとめた報告書案の内容が明らかになり,その骨子の1つである「教員免許状の更新制の導入」を(日経―朝刊。7/16/’00)が報道した。続いて,(朝日―朝刊。 7/18/’00)が,17日に「意欲や情熱のある先生を大切にする一方,適正のない先生を教育現場から異動させるため,教育免許に更新制度を盛り込むことなどを提言する分科会報告の大枠をまとめた」ことを伝え,その意図は,「教師としての熱意や適正に欠ける人への研修制度を充実させたり,生徒指導以外の仕事に移る道を用意したりする。場合によっては教員免許を失効させるべきだという考えだ」との解説を加えている。
 中間報告は922日に出された。各紙一斉にそのことを報じたが,ここでは本稿の関連事項のみを(日経―朝刊。9/23/’00)から抜粋する。
・効果的な授業や学級運営ができないという評価が繰り返しあっても改善されないと判断された教師については,他職種への配置換えを命ずることを可能にする道を広げ,最終的には免職などの措置を講じる。
・教師の免許更新制の可能性を検討する。
・外部評価を含む学校の評価制度を導入し,評価結果は親や地域に公開する。
・情報技術(IT)教育と英語教育は「本物・実物」に触れさせながら促進する。・地域が運営に参画する新しいタイプの公立学校(コミュニティースクール)を市町村が設置することの可能性を検討する。
 
 このうちの「外部評価」について,1週間もしないうちに,学習評価の在り方を検討している教課審から異論が出た。(日経―朝刊。9/27/’00)によると,教課審の総会で,「一元的な基準による外部評価は学校の序列化を招く」との声が強く出たため,中間報告書には,「自己点検,自己評価」にとどめる。さらに,評価結果は,学校の教育目標・計画などについて校長に意見を述べる「学校評議員」を通じて「保護者や地域の人々に説明することが重要」としている,という。
 最終報告は1222日で,翌23日各紙は朝刊1面のトップで扱った。もちろん「教育基本法」の見直し提言がその本旨であったが,報告4の「新しい時代に新しい学校づくりを」の中の提言(3):専門知識を獲得する研修や企業などでの長期社会体験研修の機会を充実させる,という項目が目を引いた。
 以上見てきた通り,国民会議の提言は,今までの各種審議会や懇談会の答申内容や,文部省の方針をまとめたようなものとなった。これまで,行政が段取りを整えてきたわけであるから,当然かもしれない。
最終報告に盛り込まれた「教員評価」について,北城挌太郎(日本IBM会長)は,「学校を変えるには,校長や学長,学部長といったトップに人事権や評価の権限を持たせる具体策が不可欠。先生や学校には評価されることへの抵抗感があるが,評価は動機づけになる。きちんと評価される先生については,安心して仕事に打ち込めるように処遇することが必要だ」(日経―朝刊。12/23/’00)と述べている。

A  読売新聞社からの緊急提言
 読売新聞社は(読売―朝刊。11/3/’00)で教育提言を行った。提言は6本の大きな柱を立て,それぞれに3−4つの具体的な提言項目を置いている。大きな柱の最後が「優れた教員を育てよ」で,その中に次の3項目がある。
・「なんとなく教師に」を排せ:懲戒処分を受けた教職員の数は89年度の
532人から,98年度には794人まで増えている。死闘に適格性を欠く教師を,教壇から下ろすことをためらうべきではない。
・教員の評価に親,地域の声も:優れた教員を育てるためには,採用,養
成,評価など多角的な視点から検討する必要がある。現在,教員の平均年齢は小中高とも40歳を超え,年齢構成の偏りが現場の硬直化,部活動の指導不足などを呼んでいる。自治体は長期的視野に立った採用計画を立てるべきだ。大卒者の採用にあたり,知識力だけでなく,人間性や行動力を重視することは当然だ。学校を活性化させるため,企業で働く社会人などの積極登用も推進したい。さらに,地域や保護者代表による学校評議会の設置を義務づけ,教員の評価に参加させることも必要だ。ただし,親のエゴで教員を批判し,教育活動を萎縮させるようなことがあってはならない。教科や部活動の指導などに優れた実績を上げた教員は,給与面などで優遇する制度をつくるべきだ。
・実践重視の教員養成大学院を作れ:(実践的な能力育成のため)専門大学
院を創設する必要がある。すでにある教員養成大学・大学院の一部を「実践重視型」に転換させてもいい。そこで学生に臨床的な知識,指導力を身につけさせ,一方で,いじめや学級崩壊などの対処法を研究・開発し,現場に反映させたい。指導教官には,学校現場から熟練教師も登用する。大学で教職課程を履修しなかった学生も受け入れるほか,教員の再教育の場としても活用する。

3)教員養成と採用
@ 教員採用の実態
 1999年度と2000年度の教員採用状況が明らかになっている。年々教員への就職率が最低記録を更新し続けている現実が浮かび上がる。
1999年度:国立大48校が設置している教員養成大学・学部の今春の卒業者(15,831)のうち教員就職率は前年より2.8ポイント減の32%となり,過去最低となった(正規採用は14%)。ピークの79年の78%以来低下傾向にある。競争率は小中高とも10倍超。(日経―朝刊。12/17/’99)(毎日―朝刊。12/18/’99
2000年度:今年3月に卒業した教員養成大学・学部の学生は15,041人で,このうち教員として就職した学生は5070(33.7)。都道府県の教員採用試験に合格した正規採用は1803人で,昨年に比べ2ポイント減の12%と過去最低になった。期限付きの臨時採用(3267人,21.7%)を含めた教員全体でも約3割となっており,先生になりにくい状況が改めて浮き彫りになった。鳥取大では正規就職0名であった。
 この傾向に対し文部省教育大学室はこう述べている。「少子化で需要が少ないため,教員採用は厳しい状況が続いているのは事実。しかし,教員養成のための大学・学部としての役割を果たすよう努力してほしい」(毎日。12/20/’00
ちなみに,臨時教員の現在数は,延べ8万人,全体の1割近くにも及ぶ。競争率は年々上昇の一途を辿り,勤務状況も厳しくなってきている。途中の正規採用も増えてきたが,年齢制限が壁となっているという。(毎日―朝刊。2/19/’00
 また,これまでほとんどの都道府県が非公開としていた採用試験問題が,公表される動きが出てきた。都教委では,「一般教養」「教職教養」「論文」について出題内容を明らかにする。しかし,「専門教養」については,出題範囲が狭いことなどから現段階では非公開にすることにしたという。これまで愛知県を除き公開されていなかったが,都が公開に踏み切ることで,他自治体の公開の動きが広がるとみられる(毎日―朝刊。1/30/’00)。

A  教員養成と採用との溝
 (毎日)は「記者の目」のコラムで,『(シリーズ)「先生」第2部を終えて,「養成」と「採用」溝深く,不信ぬぐい連携を』,と題して新木洋光記者(教育取材班)がまとめている。それによると,典型的な現場の相互不信は,「優秀な学生がなかなか採用されない。一体,どういう基準で採用しているのか」(教員養成大学の国立大教授)と,「教育実習でも,大学の先生方は学校に任せっぱなし。現場を見ようともしない」(小学校長)という言に現れているという。これは,「大学と教育委員会・学校の間には深い溝がある。平均倍率12.3倍。加熱する受験競争に加え,この溝に多くの教員志望者がはまり込み『優秀な先生を学校に』という採用の理念をゆがめている」からだと指摘する。
大学側では,「『講義に出ず通信教育ばかり受けている学生が合格し,私たちが教師に向いていると思う学生が採用されない』『採用試験は実力が分かるようになっていない』『議員に金を渡して頼んだといううわさがたえない。試験は公正なのか』等」の不満や不信感を持っているのに対し,「各教育委員会は試験問題,選考方法をほとんど公開していない。『最善を尽くしている』,『公正にやっている』,と答えても,裏付けのない主張はむなしい。『公開すると批判を受け,作成作業に支障が出る』」という立場を堅持しているという。しかし,大学側にも非があると指摘する。大学はこれまで「採用される努力をしてきたか。私立大の中には教員試験対策の充実を図り,多くの教員を輩出している。一方,国立の教員養成大・学部48校の中には立ち遅れているところが目立つ。昨春の卒業生の採用率はわずか14%。全採用者に占める出身者の割合も41.5%にすぎない。ニーズをつかみ,それに合うカリキュラムを組むことが必要だ。職業人養成の任も負う」ことを十分認識する必要がある,とする。小・中の不満は「教育実習はいつも苦情がいっぱい。こちらが大変なのに,大学教授はちょっと挨拶に来るくらい」(新潟市の小学校長)に現れているという。
 教員採用試験対策予備校では,「授業法など大学ではあまり教えないのに,採用試験では細かく聞かれる分野がある。『大学の教育と各教育委員会の考えとの間にはかなりギャップがある。それが埋まらない限り,私どもが提供できる部分はあり続けるでしょう』(加川純一講師,東京リーガルマインド)」との立場であるという。
 結論として,「養成と採用の連携,パートナーシップをさらに真剣に考え」るよう求め,養成と採用のはざまにある臨時教員問題に関し「現実には教員採用試験で落ち続けながら,臨時教員として教壇に立ち続け,次の保証がないまま5年,10年,20年という先生たちがいる」が,これは「採用試験で不合格の人を,継続的に臨時に雇う矛盾」であり,「採用前に現場で試用するようなインターン制導入などの採用改革を急ぐ」必要があるとしている。さらに,「子どもの教育をあずかる教師の使命は,人の命をあずかる医師と比べ,勝るとも劣らない」と指摘している。(毎日―朝刊。2/9/’00

B  「教員養成系大学・学部のあり方を検討する文部省懇談会」への注文
 (読売―夕刊。9/5/’00)では,文部省懇談会に対して教員養成大学と学校現場との緊密な連携探るよう求めている。まず大学の教員構成に言及し,「48大学の教員の60%では,教科専門教員で占められている。どう教えるかを教える教科教育法の教員は14%に過ぎない。現場に即した実践的な指導は,実際に学校の教壇に立ったことのある教員によるのが最も自然で効率もいい。ところが,現場経験のある教員養成大学の教員はわずかに22%しかいないのである」と指摘。さらに,大学入学定員いついて,「教員は位置に最終責任を持つ文部省が,管轄下にある国立の教員養成系大学で大量の就職浪人を送り出している現実は,どう考えてもおかしい。入学定員を不断に見直していく姿勢が必要だ」とし,「現場教員の研修や相談を受け入れ,人事交流も積極的に図る」とか,「教育支援センターとして生まれ変わるなら,(養成大学の再編の)反対意見にも一定の説得力が生まれる。懇談会には,大学の改革とセットで大いに議論してほしい」と注文をつけている。

C  民間人面接官と民間人教員の採用
 教員採用試験の面接官に,「企業の人事担当者など民間人を面接官に加えているのは47都道府県12政令指定都市のうち36自治体」である。彼らは「企業の人事担当やスクールカウンセラーで,教員,行政職員と一緒にグループで面接」を行うという。茨城県教委では,「民間の面接官は,元気で明るい人物を高く評価している傾向があり,これまでの面接ではまじめなタイプに採用が偏っていた感もあるので人材の幅が広がった印象がある」と言う。一方,民間人教員採用の実績を持つ奈良県では,「特別選考」として「2年前から教員免許を持たなくても専門分野がある社会人を採用し,これまでに看護と商業で採った。銀行員,商社マン,為替ディーラー,百貨店社員,看護婦など計50人の受験で4人採用」したそうで,「体験に基づく授業の話が面白い,と生徒にも好評だ」という。(毎日―朝刊。12/18/’99
 一方,都立高では全国ではじめて2人の民間人校長誕生が誕生し,“経営”手腕が期待されているという。(毎日―朝刊。8/26/’00

4)教員研修と再教育
@  企業研修の先取り
 国民会議の最終報告にも盛られた「教員の企業研修」は,すでに各地で先行的な取り組みが行われている。
 文部省の調査によると,「1998年度に長期社会体験研修(1ヶ月―1年)を実施した都道府県・政令指定都市は43.教員数は公立学校全体で723人。99年度は46自治体,808人になった。このうち民間企業研修は571人」であるという。東京都では「97年度から,在職5年,10年の区切りに実施し,10年目以降は『学校経営に関わる資質を看につける』をテーマに民間企業でも研修」させる。この動きに対し,森毅京大名誉教授(数学者)は,「これでうまくいくかどうか疑問だ。得意分野を待つ個性豊かな先生がいるのを認める校長を養成するほうがさきではないか」と「上」のほうの“改造”が先決と提言しているという。(毎日―夕刊。12/10/’99
 2000年に入り,「財団法人・経済広報センター(今井敬会長)は夏休み中の724日―825日の日程で,小中高校や養護学校の教員を対象に民間企業研修を実施した。全国の61社の受け入れ企業に,32の自治体から568人の先生が参加。デパートでの売り場実習や,ガスレンジの解体体験など慣れない仕事に挑戦し,先生に与えられた夏休みの宿題に汗を流した」という。「参加した教員の15%が管理職」で,一番多かったのは「小学校教師の47%,年齢層では中堅層の40歳代が323人」であった。「研修を受けた教員の感想はさまざま」で,「本当に厳しい現場を経験するわけではないが,これまで学校現場には縁遠かった社員の業績評価システムや,顧客の満足度を第一に考える企業経営の在り方などに関心を持つ頃が多いという。」全日本教職員組合幹部はこうした研修について,「個人的な考えで自発的に参加することを否定はしないが,研修が『教師は世間知らずで自分勝手なふるまいばかりしている』という極めて一面的な見方に基づいているように思える。いじめや不登校の課題を抱える教育現場では教師の資質の向上が求められているが,企業での研修がどのようにそれに役立つのだろうか」と疑問を呈していると言う。(毎日―朝刊。9/2/’00
A  教員の海外派遣
 文部省国際協力懇談会は,「青年海外協力隊やシニア海外協力隊への現職教員の参加を促す制度を設けるよう提言」するという。それによると,「都道府県の教育委員会が援助する相手国を決めて継続的にかかわる『一県一国制度』を求め」,「協力隊などの経験を人事上で積極的に評価するよう都道府県教委に求める」方針であると言う。(朝日―朝刊。11/30/’00

B  再教育制度への動き
 まず,199912月に,文部省は,「本人の希望前提とした大学院での教員再教育制度を2001年にもスタートさせる」との方針を発表し,各界の調整を図ることにした。
現在の制度では,「都道府県教育委員会の職務命令に基づき,入学先もほぼ教員養成大学の大学院で,期間は1−2年。この間,給与は保障される。しかし,職務命令以外は退職」しなければならない。今後,「中教審と教養審答申の『可能な限り多くの現職教員に修士課程での研修機会を提供すべき』にそって,本人が入学先を選び,教育委員会の許可を得て大学院で再教育を受けられる」という。その内容は,「期間は12年,外国の場合は3年」とし,「身分は教員で,復職できるが無給」である。現在,「年間1,000人」を有給研修で認めているが,無給であっても「新制度で倍になるだろう」という。「無給なのでその間にカバーする臨時教員の確保は比較的に楽になる」と見込まれている。(毎日。12/6/’99
 2000年の3月初め,文部省はこの方針を固め,「来年春から実施できるようにする」ことで確認。この制度に対し,「現場の教員には『新しい理論や教育法を,もう一度体系的に学びたい』という要望が強く」,また,「例えば,子ども向けのカウンセリングについて学ぶことが期待されている」としている。文部省は,「専修免許状を取得することを求める考え」でもあるという。(朝日。3/10/’00
一方,6月になって,「東京学芸大学では来年度から,小中高校の現職教員などを対象に,1年制の大学院修士課程を開設する方針を固めた。1年制大学院は国立大学では初めてで,在学期間内に取得できる単位には限りがあるため,入学前に聴講生などとしてあらかじめ単位を取得すること(プレ・プログラム)などを求めているのが特徴」である。岡本靖正学長は,「実践的な教育研究のニーズは高い。現場の先生方にとって,より学びやすい体制にするよう工夫したい。(付属高校などでの)サテライトキャンパスは,本部キャンパスの夜間大学院に現在在学している人を先行させ,早ければ今年後期にも試行することを目指したい」と述べている。(朝日―朝刊6/7/’00
 指導力不足の教員に対する研修制度は,200012月までに,すでに4都県が導入し,5府県が導入を検討しているという。研修形態は,講義や授業視察,論文提出などであるが,人選の基準があいまいで,今後の課題として残っているという。八百板修奈良教育大学教授は,「指導力不足の基準を明確にし,実際の判定には教育委員会以外の学識者や医師もかかわり,客観性を保つ必要がある」と述べている。(朝日―夕刊。12/27/’00


3.「教員の資質能力」に関する論議の動向

1)教員の実態
 これまでさまざまな項目で,「教員の資質能力」について言及されてきた。ずばり,「日本の英語教育の大問題は教員の能力不足」(社説:日経―朝刊。3/20/’00)と断じられてもいる。こうした教員の「負の実態」を表わす批判をランダムに拾ってみよう。
まず教研集会の記事:“集中砲火”戸惑う先生,「世間知らず」「指導力不足」が(毎日―朝刊。1/21/’00)の見出し。(朝日―朝刊。2/7/’00)では,「学校の先生はよく,『このぐらいできなくちゃ』という。いわれる方は,やっぱり精神的に苦痛だ。予備校の先生は『頑張ればできるよ。あきらめずにやっていこう』といってくれるから救われる」(教研集会に招かれた高校生)と「生徒の本当の思いを聞こうとするのではなく,子どもをテストするような先生の教室語,教室言葉は,人間の言葉ではない。コミュニケーションではない」(暉峻淑子,埼玉大名誉教授)を紹介し,「学校と教師に染みついた権威主義が,厳しく問われ始めた」と結んでいる。
 (日経―朝刊。10/29/’00)は「『教育を問う』第1部日本が沈む よどむ教員室」で,生徒指導や授業改革などの提案に年長の教員は,「前例のないことはやりたくない」(公立中学),地域の関係者に授業を公開して意見を聞く仕組みに,「負担が増える。すでに信頼を得ている」と拒否。当初は10人足らずの教員しか公開に応じなかった(都立羽村高),「教師が授業のやり方で議論をすることもない」(30代都立高英語教員)という風景が日常的であるという事例を引いてその原因を次のように述べる。つまり,「評価制度がほとんどなく,給与は年功序列でほぼ横並び。意欲のない教員のしわ寄せはほかの先生に及ぶ。部活動や授業を熱心にやっても報われない。切磋琢磨の仕組みがない。」さらに,「一因は教員の年齢構成にある」あるとし,「都の公立小学校,51歳を頂点に急勾配,9,000人いる50歳代の教員は20歳代の約5倍を占める」「全国の公立学校の教員の新人採用数は10年前のほぼ3分の1に減っている」という統計をあげ,「人事がよどんだ社会からは変革に向けたエネルギーは生まれない。努力しない教員を排除して,新しい人材を登用する仕組みが必要。」(下村哲早大教授)というコメントを紹介している。さらに,M教師(英語の授業でテープを流すだけで質問を受け付けないといった「問題教師」の略)が多く,「大阪府教育委員会の調べでは,授業を満足にできないなどの指導力不足教員は4%にのぼる」という。最後に,「活力を取り戻す第一歩は学校を社会に開き,外部の評価に身をさらすことだろう。」「日本のような能力評価もなく,いったん教員になれば定年まで安泰という仕組みを放置していいものか。このままでは熱意や能力のある教員まで沈没の道連れになってしまう」と警告している。
 (日経)は同じシリーズの「第2部教えの衰退,錆びつく授業,密室に切磋琢磨なく」)(日経―朝刊。12/14/’00)で概略次のような記事を載せている。

 (文部省調べでは)高校生で「授業がわかる」のはわずか3人に1人。正解だけを教える旧態依然とした授業が,勉強嫌いの生徒を生み出す。授業を参観したいと言う若い教師に,年長の教師は,「教室は聖域,のぞいてもらっちゃ困る」という。若手は,「参考にしたかっただけなのに。批判されると思ったのだろうか」と首をかしげる。また,都心の公立中では抜き打ちで授業見学した校長が職員から吊るし上げを食らった,という話もある。教室という名の「密室」。外部からの評価の目がないため,惰性で流しても批判されない。優れた授業を教師同士が見学し合い,技術を共有する仕組みもない。「学ばない先生」は安穏と地位を守り,「学びたい先生」が学ぶシステムもほとんどない。授業が錆びつく最大の原因である。
 教師の授業内容を生徒に評価させ,結果を地域にも公開する制度を6月に導入した足立区立第12中学校。保護者や地域住民は,参観日以外にも授業を見学できる。先生の「聖域」を外部の視線にさらすことで,授業内容は飛躍的に改善した。学校を公開し,先生も学ぶ。それが学校教育の荒廃を打開する第1歩となる。
不登校が生徒の5%強に達し,学力も低迷していた新潟県長岡市立南中学校。それがわずか3年足らずで地域の学力トップ校に変わった。きっかけはやはり授業公開。98年4月から,生徒の親や地域住民すべての授業を公開し,一緒に学ぶようにした。ただ改革を全学校に広げるのは簡単ではない。先生は授業以外にも,部活の指導や不登校の生徒の家庭訪問といった仕事がある。早朝から深夜まで働く南中学校の教師たちの目は,慢性的な寝不足で真っ赤だ。熱心になっても給与は変わらず,自ら学ぼうにも時間がない。
文部省は素行不良の問題教師を排除する評価制度を導入する方針だが,それだけでは教えの衰退に歯止めはかからない。優秀で熱意がある教員はきちんと評価し,能力が低く無気力な教員は厳しく評価する。今の学校にはそんなごくあたりまえのシステムがない。

 (日経)の世論調査では,現在の「懸念している教育問題」として,最高は「若者の規範意識・しつけの低下」(63.7%)であるのに対し,「教員の質の低下」(555%)が第2位になったと報じている。「質の低下」をあげた層を年齢別に見ると,30663%,4061.1%となっている。(日経―朝刊。 2/3/’01

2)求められる教師像
@ 教養審の「望ましい教師像」
(読売―朝刊。12/14/’99)の『解説と提言』は,教員養成課程の変更にスポットをあてた。まず冒頭,「先生が好きで楽しいと思っていることを教える,それが一番いい。好きであれば深い知識も持っている。そんな先生に教わると,その教科が好きになる。楽しみが子供に乗り移る」(石井威望,東大名誉教授)という引用で記事を始めた。
次に,養成課程の変更は,「一般学部の学生には教科科目の単位が減ったといっても負担の軽減にはならず,逆に教職科目の増えた分だけ負担が増すことになる。教育実習の期間延長は,授業への出席にも響いてくる。『介護等体験法』(仮称)によって,小中学校の教員を目指す学生には介護施設などで7日間の体験学習も義務付けられた」とし,「学生がゆとりを持って豊かに過ごすことを困難にし,視野の狭い教師を養成する恐れがある」「自ら主体的に学びたいと考える優秀な学生はますます教職をとろうとはしなくなる」(私大教授)という声を紹介している。
 教養審答申の中にある,教員に求められる資質能力とは,「使命感,教育的愛情,専門知識,広い豊かな教養,豊かな人間性,地球・国家・人間への適切な理解,課題解決能力,対人関係能力,基礎的なコンピュータ活用能力,教科指導や生徒指導の知識や技能」であり,「教員一人一人がこれらについて必要な知識,技能を備えることが不可欠」であるとともに,「得意分野を持つ個性豊かな教員」としている。しかし,このように「好ましい教師像を並べていくとスーパーマンになっていく」「理想の教師像の研究はない」と言う教育学者もいるし,「教育者の感化というものは即効薬の効き目のようなものではない」,とか「卒業後の何年かたって初めてそのよさがわかる先生は貴重だと言った明治時代の教育者がいた」などの意見を紹介している。

A 「さんま大先生」から学ぶ
 「授業づくりネットワーク」(東京,約400人)が行った研究会の記事を(朝日―朝刊。1/17/’00)が取材している。小学校から大学までの教員が「やっぱりさんま大先生」のビデオを見て分析しているという。子どもたちから笑いがたえないのはなぜか?その技は,(a)子どもの話をひと言ひと言「うん」「うん」と肯定しながら聞く(b)集中して話を聞き,細かいところも聞き逃さない(c)速くて大きなリアクション(d)子どもの答えが質問からずれたり,要領を得なかったりしても,最後まできちんと話を聞く。決して否定しない,ということで,さんまさん自身が面白いことを言うというより,子どもたちから起きる笑いをうまく拾って広げている。先生たちがチェックしたのは,意外なほど基本的なことだった,という。
 月間機関紙「授業づくりネットワーク」編集代表上條晴夫は,「授業はまず中身,というのは当然のこと。それでも,笑いのない授業があっていいのか,と思うようになりました」として,「講義型」から「体験型」の授業を考えるようになったという。「先生が,面白いことを言う,つまりぼけ役になる必要はないんです。子どもの方から生まれた笑いに答えるツッコミ役,あるいは,子どもがずれたことを言ったときにうまくフォローしてあげる役になれれば」と彼は願っている。また,ビデオ学習会に参加した富谷利光千葉県立大宮高校教諭は,「我々の目的は笑いではなく授業だから難しい。でも笑いがあった方が楽しいですよね。教師が一方的に情報を与えるのでなく,みんで情報交換するような授業を考えたい」と述べている。

B イキのよい教師
 小林昭彦成城学園初等学校教諭は,子供の目線の高さに合わせた「イキのよい教師」になるための資質10項目をまとめた。(a)まずは,体が健康である(b)心も健康である(c)子供が好きである(d)感性をもっている(ここで感性とは価値あるものに気付く感性。従って,ひとりひとりの個性に鋭く気付き,それを生かせるように教育的配慮ができる)(e)遊び心を持っていいる(f)いつも,心を開いてどんな異質な人とも話せ,会話を楽しめる(g)どんな社会的地位の高い人でも,遠慮なく,対等な立場で自分の考えをはっきりと述べられる(h)子供から教えられ,自己成長できる(i)常に謙虚さをもち,自分を見つめなおすことができる(j)夢をもち,プラス思考ができる。この他,研究心がおう盛である,自然に親しめ,大いなるものに感謝して生きることも追加できる。(毎日―朝刊。1/17/’00
一方,教研集会に参加した女性小学校教師の,「子どもを肯定的に見ることが何よりも大切だ,と確信する」を紹介しながら,(朝日―朝刊。2/7/’00)は,「肯定的とは,子どもたちと同じ目線に立って,彼らの良さを伸ばしていくことだろう。理念としては言い古されてきた。それを実践できるかどうかが問われている。上からの教え込みだけではなく,子どもの内発的な学ぶ意欲を伸ばす工夫が,教師たちに求められている」と結んでいる。

C 教師が力を振るえる環境づくり
 最後に(毎日―朝刊。8/27/’00)の社説の抜粋を紹介して報告を閉じる。いわく,「時代が進んでも,学校教育は先生によるところが大きい。教育改革は先生が変わらなければ始まらない。」「将来的には,子供が先生を選べるシステムを検討してはどうだろうか。」「先生が力を発揮できる条件をできる限り整えることが重要だ。今,先生は,部活動や生活指導のほか,さまざまな会議や報告書づくりに追われて忙しくしている。基本である授業研究にかける時間が,なかなか取れない。」「先生個人で対応するには限界があり,父母や地域社会,大学などの専門家が力を合わせて取り組む態勢を整えることが大切だ。」「少子化のあおりで新規採用が激減し,若い先生がいなくなっていることも見逃せない。」「少人数学級にして若い力も導入し,力を合わせてきめ細かく指導に取り組めば,相当変わってくるはずだ。」

Y むすび
 現職教員の教育研修を研究する場合,「教科内だけの研修」という視点だけでは十分ではないことが,以上見てきた「世論の動向」からもはっきりした。政府は政府で,行政は行政で,それぞれ教育の大きな枠組みを変革しようとしているし,また,しつつある。「教科教員研修」はその大枠の中で重要な部分を占めるが,あくまで一部である。従って,単独の教科・教員研修の研究であっても,全体の教育システムを視座に入れて追求されなければならない。
 現職教員を取り巻く状況は極めて厳しい。教員の資質能力・指導力・授業力の不足が前提となって語られ,世間からの信頼は失墜してしまった。小学校英語や英語第2公用語化などの論議では,ALTは登場しても現職英語教員の役割について,ほとんど言及されていないのはその表れか。
 教師は変わらなければならない。自己改革が迫られている。本来なら,こうした状況になる前に,そこに気がついていなければならなかった。現状では,制度の改変が先行し,教師の自己改革が立ち遅れている。原因は,外にも内にもある。しかし,今はその原因を探っている余裕はないだろう。「チーズ」は,あるはずのところから消えたのだ。自らチーズを探さなければならない。
 大きな枠組みが構築されつつあるが,その中にある個々の枠組みのコンテンツをつくるのが,専門家であり,我々研究者の仕事だろう。もちろん,コンテンツをつくる段階で,枠組みさえも変える発想が生まれることもある。コンテンツこそ実効性のあるものだから,それをよしとすれば,枠組みが変わるのは当然だ。新しいワインは,新しい袋に入れなければならない。忘れてはいけないのは,新しいワインを作り出すためには,全体像を把握していなければならない,ということだ。



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