rss-val2-通し
23/64

INTERVIEW化)していましたが、造ったものから全部が売れてしまうため、値切られることもなくなりました。取引先の比率は1社20%以上にしない村山 今まで様々な困難を克服されてこられましたが、それぞれの時期において、どのように取組まれたのでしょうか?及川社長 先代社長の時期でしたが、昭和35年頃から家庭での料理が薪からガスの使用に転換し、当社はガス釜用バーナーの製造を受注しました。これを契機に従業員を70人から120人に増員して対応し、月間1000万円の売上を上げるなど好業績が48年頃まで続きました。ところが、ガスが全国に普及したころから受注が激減して、当然ながら危機的状況が、1年ほど続き従業員も削減しました。 その後、自動車のウォーターポンプ(ラジエター内の水をかき回す部品:厚みのある部分と薄い部分が混在するため壊れやすく、品質維持には高度な技術が必要)を受注できたことから一息つくことができました。この経験から、取引は1社に偏らないようにしています。無理な受注はしない村山 リーマンショックや震災の影響に対して、どのように対応されたのですか?及川常務 リーマンショックの際には、当然売り上げが減少し苦しい状況に陥りました。しかし、安易に低価格で受注することは避けました。“動かない”つまり、あたふたと目先の売上に囚われて無理な受注で損失を出さないことに徹しました。もちろん、従業員を抱えており経費支出は続きます。そのため、休日を増やし,雇用調整助成金を活用して凌ぎました。同時に、仕事が少なかったことを契機に、老朽化してきた設備の更新準備とそのために工場内の整理を進めました。震災時にも基本姿勢を変えなかったのですが、経営環境は若干異なっていました。新規設備購入を検討していた時期で、震災後に設備を更新しました。また、タイミングも良かったのですが、ロボット用部品を受注することができました。導入した設備は、従前の設備と比較して1.5倍の製造能力を持つもので生産性が向上し、労働時間を減らすこともできました。設備は現在でも国内に当社を含めて2機しかないものです。メーカー側も当時販売に苦労しており、割安に購入することができました。現在の従業員数は、事務職を含めて47人(役員3名を除く)ですが、リーマンショック前には現在の人員体制になっており、今後もこの体制を維持し、大幅な設備の増設や従業員の増員も抑えるつもりです。大学との連携で技術と品質向上を実現村山 大学との連携も積極的に行われていますが、そのキッカケを教えてください。また、市や県からはどのような支援がありますか?及川常務 大学との連携は、10年前に10社程度が参加した鋳造研究会の立ち上げがキッカケで、岩手大学の堀江教授を中心に現在も指導を受けています。当初は、お客様がバッティングするライバルであることや各社の製造プロセスが異なることもあって、お互いに警戒感や疑問を持ちながら参加していました。しかし、研究会では、工程改善や材料開発を研究テーマに、年2回発表会を開催しており、発表に伴う研究者との交流が、研究成果の定着、改善方法の採用、各社の技術基盤向上に結びつき、回を重ねるごとに参加メンバーに協力する場であるという意識がうまれ、現在では、良い関係ができています。また、2005年に開設されて間もない社会人向け大学院(鋳造学)に入学することができ、一対一の特別授業を通して、大学教員とのネットワークができました。さらに、先輩と後輩という履修者間の繋がりもでき、それが大きな財産となっています。大学との関係ができたことで、当社も従業員教育の充実や技術基盤の向上、そして大卒従業員の採用を実現することができました。市は支援に積極的です。県に設置された「地域連携推進センター」に職員を派遣し、その後「奥州市鋳物21中小企業支援研究 Vol.2

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です