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事例報告ラブルを公にすれば上場が遅延するのを嫌った可能性が疑われる。また、代替の火薬原料や生産の全面見直しが必要になる為、大手の自動車メーカーにお伺いをたてるのを躊躇した可能性が高い。 生産停止時期の2つ目として、2008年(平20)にホンダ社がエアバッグのリコールをした際である。ホンダ社は日本車初の量産車へのシートベルト、エアバッグを導入したが、共に製品はタカタ社製であったことから、両社の関係は蜜月であった。過去の両社の関係を踏まえ、リコールの際にホンダ社の意向にタカタ社が全面的に依存して、硝酸アンモニウムを使用したエアバッグの生産を停止できなかったのか残念でならない。 生産停止時期の3つ目として、2009年(平21)の異常破裂による初の死亡事故があった際である。タカタ社の経営トップは、毎年交通事故のエアバッグ作動で何千人、何万人の命を救っている、といった驕りがあったのではないか。例えそうだとしても、自動車に乗っていた全く落ち度のない(無過失)搭乗者が、ひとりでもエアバッグの異常破裂で命を失うことがあってはならないのではないか。タカタ社の3代目である高田重久社長は、エアバッグの異常破裂による死亡事故が相次いだ後も、「(エアバッグの)リコールの是非は、完成車メーカー(自動車メーカー)が判断する」と発言していたのだから、経営者の資質を疑うレベルだ。 最終的には、2015年(平27)にNHTSA(米国運輸省高速道路交通安全局)から、硝酸アンモニウムを使用したエアバッグ製造停止を命じられるまで生産を続けていたのである。トラブルが発覚してから10年もタカタ社が自主的に対応しなかったことから、破綻は当然の帰結といえる。(2)主力のホンダ社をはじめとした取引自動車メーカーの資本参加も含めた支援体制 前記のホンダ社が、エアバッグのリコールを行った2008年(平20)に、タカタ社が当事者意識と今後のリコール拡大を懸念して、主力取引先であるホンダ社に様々な支援を求めていれば、他の自動車メーカーも支援等に追随して破綻は避けられたのではないかと思料される。タカタ社破綻前のホンダ社社長のタカタ社への支援可能性等へのコメントはそっけないものであり、実際に追加支援もなかったが、前記の高田重久社長による「リコールの是非は、完成車メーカーが判断する」との無責任な発言が、深い影響を及ぼしたものと考えられる。メーカー筆頭のホンダ社が支援しないなか、トヨタ社やGM社(米国)が積極的に関与することはできなかったであろう。結果的に資本参加(追加出資)のみならず、硝酸アンモニウムを使用したエアバッグの早期生産停止等にも繋がらなかったのである。(3)経営トップの行動 タカタ社2代目の高田重一郎氏(3代目高田重久社長の実父)は37歳で社長に就任したが、中興の祖と呼ばれるほど多くの偉大な功績(シートベルト・エアバッグの普及)を残した。一方、3代目の高田重久氏は41歳で社長に就任するが、破綻した最後まで当事者意識に欠けた経営トップであった。前記のホンダ社が支援しなかったことや、問題が判明しながらも硝酸アンモニウムを使用したエアバッグを10年も生産し続け破綻に導いたのも、全て経営トップのマネジメントに起因している。更に、米国で無過失の搭乗者がエアバッグの異常破裂による死亡事故が多発し社会問題化してからも、高田重久社長は公の場に出なかった。特に、2014年(平26)11月と12月、2015年(平27)6月に米議会で3回の公聴会が開催されたが、トップの高田重久社長が自ら出ることなく部下任せにしたことも、米国政府や米国世論を敵にまわしたといえよう。 なお、2009年(平21)から2010年(平22)にトヨタ社でも米国内でリコール騒動(異常加速で死傷者が発生したが、結果はフロアマットの設置ミスというプリミティブな内容で、トヨタ社の過失は問われなかった)の際、同じように米議会の公聴会に呼ばれたが、その際は豊田章男社長が自ら米国に出向き謝罪会見を行い、公聴会にも出席。公聴会での議員からの詰問にも豊田社長は真摯に回答したことから、それまで激しかったトヨタバッシングがピタリと止んでいる。 創業家出身の企業でも、経営トップの器の差を大46中小企業支援研究

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