中小企業支援研究vol1
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10中小企業支援研究 別冊「価格破壊を打破して高収益企業に」価格破壊に対抗し焼酎ブームを引き起こす前田 最近は、講演や大学院の研修講師などでお忙しいなか、まことにありがとうございます。本日は、新設された事務所で伺います。よろしくお願いいたします。園部 こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。前田 価格破壊の進んだ酒販業界で、年商が1億円ずつ上がっていくとは、大変なご苦労があったと思います。本日は初期の頃からのお話を伺えればと思います。最初は普通の酒屋さんでしたが、転換期は大手量販店が安売り、いわゆる価格破壊を始めた頃でしたね。園部 はい。ここは昭和42年12月に建設された団地住人のための商店街です。団地内のお客様が中心でした。この団地は5階建てでエレベーターがありません。最初は普通の酒屋、一般的な品揃え、配達中心の酒販店でした。また、そのころ酒販店は免許制度に守られていました。前田 そうでした。その免許制度が徐々に緩和され、今では酒のディスカウントストアだけでなく酒販店以外のスーパーマーケットなどでも売られるようになりました。園部 でも、当時、酒屋が免許で守られ続けていくことはありえないのではないか、と思っていましたので異業種の勉強もしました。ビールが定価販売されていた頃に、お客様に店舗に来ていただくためにイベントを開くなど、集客の工夫はしていました。前田 サービスにも力を入れられましたね。園部 ケースでビールを頼まれると2本だけ冷やしてお届けしましたら喜ばれました。「私の似顔絵のついた、冷えてますシール」を作って貼ったら、子供が当時のプリクラとして集めるようになりました。それが話題になりサントリーさんのリカーショップ大賞をいただきました。前田 常に他店の考えないアイデアを出し続けてきましたね。園部 一番の成長の転機は、問屋さんから仕入するのが一般的な時に、地方の日本酒や焼酎に目を向けたことです。特に焼酎は他より早かったと思います。焼酎を関東の市場に認知してもらったのは大きかったですね。前田 関東での焼酎の認知度はまだ低かったころですね。しかも、当時は、私の記憶でも焼酎は今日のようにあまり良いイメージではありませんでしたね。どのような工夫をされたのですか。園部 ビールは品揃え、配達の機動力で商売できますが、焼酎などの知られていないものを扱うので、お客さんと会話をし、蔵元さんの人柄、こだわりなどの話をしながら売りました。前田 仕入先は、足で探したのですか。経営者インタビュー【有限会社酒舗まさるや】規制緩和と価格破壊が進行した酒販業界、高齢化が進行する旧団地内という立地環境の変化など、外的な圧力のなかで、高収益型店舗を作り上げた㈲酒舗まさるやの園部松男社長に経営革新と成長のプロセスを伺います。当社は地域に密着しながらも、新商品を開拓し、競争力を高め、日本でも話題の顧客と蔵元の出会いの会、「酒人好の会」を開催し、売り手、買い手、造り手の関係性を強化し、広域集客力を高めてきました。また、内にあっても家族の結束力、スタッフとの関係性を強くして販売力を高め、小さくても強い魅力を発揮し、業界初の革新的な経営を展開しています。社長プロフィール園部松男(そのべまつお)、1948年秋田県生まれ。青果店を経験し、結婚後、礼子夫人と酒販店を継承。価格破壊の続く酒販業界で焼酎を開拓し、関東に初めて導入、焼酎ブームの先駆けとなった。夫人・専務将氏とともに家族経営の結束力と蔵元、顧客の関係性を大切にして日本の酒販業界初の革新的ビジネスモデルを構築。

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