中小企業支援研究vol1
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14中小企業支援研究 別冊「徹底したコミュニケーションと前倒し商法で活路を開く」赤ちゃん専門店の草分け前田 尾方社長は長年鎌ヶ谷市の商工会長を務め、地域の商店街の大型店対策にも腐心されてきました。ぜひ、これまで蓄積してこられた尾方清喜社長の技術・ノウハウをお伺いしたいと思います。本日はお忙しい中、ありがとうございます。よろしくお願いいたします。尾方 こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。前田 まず店名ですが、赤ちゃん屋とは珍しい名前ですね。尾方 実は、昭和50年代になって鎌ケ谷市にイトーヨーカドーをはじめ大型店が次々に出店してきました。当時、ニューヨークやデンバーなどアメリカ視察に行きましたら、今後も、大型店の増加する時代が来るだろうと思いました。そこで、その大型店と対抗するには、大きな売り場を確保しなければいけないと思い、当時、紳士服、婦人服の専門店はすでにありましたから、赤ちゃんの商品なら大型店より大きい売り場、日本一の赤ちゃんの売り場を作れるだろうと、赤ちゃん専門店を作ろうと思いついたのです。名前も当時、「こんにちは、あかちゃん(梓みちよの歌)」が大流行していましたから、それを屋号にしました。前田 私たちが言う、業種の発想から業態店への転換だったわけですね。この頃、全国でも、このようなベビーの専門店に業態転換した企業もありましたが、必ずしもうまくいったわけではなく、大手企業に吸収されたりした店もありますね。前倒し商法で活路前田 当社はこれまで、社長の判断力、行動力で元気に事業を続けてこられましたが、その間いろいろな工夫をしてこられたと思います。どのようなことに努力されてきたのですか。尾方 量販店がオープンするとき、よく当店に調査に来ていました。店は見られても中身は分かりません。婦人服のメーカーも子供服を作ったりしましたが、失敗も多かった。当社の工夫は、商品だけでなく、お客様とのコミュニケーションをとても大事にしていることと、前倒し商法だと思います。前田 前倒し商法とはどのようなことをされたのですか?尾方 我々は、物を作ることはできません。そのため、仕入れが非常に大事になってきます。浅草橋や日本橋、名古屋、大阪の専門メーカー、卸問屋、価格が安定している奈良な激動の昭和期を生き抜き、平成期にも話題の店としてマスコミにも取り上げられた「有限会社赤ちゃん屋」の尾方清喜社長にお話を伺います。尾方社長は少子高齢化の中で、独自の経営手法を開発して創業以来約半世紀も事業を継続し、今なお海外研修や大学での研修に参加するなど勉強をし続け、さらに研修講師、大学生のインターンシップの受け入れ、店舗視察の依頼も快く引き受けて、後進の育成にも意欲的に取り組まれています。社長プロフィール尾方清喜(おがたきよき)、1939年熊本県生まれ。東京日本橋横山町、大阪久太郎町の第一次繊維会社、第二繊維会社で修業後、1968年に川口市に第一号店を開業、その後、4店舗を展開。海外視察研修等を通じ、ある程度の規模の重要性を感じ、店舗を集約大型化した。革新的な「赤ちゃん専門店」の新業態を開発し、赤ちゃん専門店のモデルとなる。前倒し商法など、常に独自の商法を開発して、「顧客密着」をテーマに約半世紀にわたり事業を継続している。地域にも貢献し、鎌ヶ谷市の商工会会長を歴任。経営者インタビュー【有限会社赤ちゃん屋】

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