中小企業支援研究vol1
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2中小企業支援研究 別冊「しあわせ色のストーリーを撮り続ける」三畳の事務所から起業前田 今回は、本誌の特集号ということで、苦戦が続いた各業界中で、ご苦労の上に新たなビジネスモデルを構築されてこられた経営者の皆様にご登場願おうと思っています。世の中には、魅力的な中小企業が多く存在しますが、時が経つといつの間にかそのノウハウが消えてしまうことが少なくありません。これは日本の産業界においても大きな損失です。そこで、本誌は、日本の財産といえる貴重な経営ノウハウをアーカイブとして残したい、そのお役にたてればと考えています。先輩たちの作り上げたビジネスモデルを日本の未来を支える若い起業家や経営者の皆様に大いに参考にしていただけたらと思っております。町田市には、全国でも話題の有力な企業がたくさん誕生しました。本日は、その中でも大きな変革を迫られたカメラ業界で、画期的な革新と成長を実現されました株式会社薬師スタジオの創始者の松崎護会長に、起業時代からのお話を伺いたいと思います。よろしくお願いいたします。松崎 この薬師スタジオを作ったのは48歳の頃ですから、30年くらいになります。最初はDPEの集配ラボから始めました。集配ラボというのは、スーパーや今でいうコンビニエンスストアのような店、書店、クリーニング店、薬局などに撮影済みの写真フィルムの取次店をお願いして、その取次店で集荷したものを現像所に渡すシステムです。それまではデザイン関係の仕事などをしていたのですが、両親が亡くなったのでいったん熊本に帰らざるを得なくなって、再び東京にでてきたときにはオイルショックでした。デザインの仕事はほとんどない状況でしたので、いろいろ仕事をする中で集配ラボを始めたのです。前田 まさに、写真にかかわって30年以上、老舗になりましたね。松崎 最初は1人でスタートしました。アパートの三畳の部屋が僕の事務所でした。当時はホンダの中古のクルマが1台でしたが、5年後に30台くらいで走り回るような規模になりました。未経験から感動写真館の起業前田 すごい成長でした。さらにそこからの成長もすごかったと伺っていますが。松崎 その仕事の最中、街の写真館に飾られている写真を見て、もっと喜んでもらえる写真があるのではないかと思い、「感動写真館」として薬師スタジオを創りました。前田 まさに新規事業展開でしたね。写真館の経験はあったのですか?松崎 写真館に弟子入りしたなどの経験はなかったのですが、以前にコマーシャルのディレクターの経験があったので、たくさん撮った写真の中から気に入ったものを買ってもらう仕組みを導入しました。今はモニターといって、その仕組みが主流になっていて、画面上に写真がきれいに映って確認できますが、当時は、自分で画面も開発しなければならなくて、雨のようにザーッとした画面で確認していました。今となっては私が先駆けだったのかもしれません。前田 常に新しいことにチャレンジされたのですね。日本人はどうしても成功例をそのまま模倣する人が多いように思うのですが。どのような工夫をされたのですか。経営者インタビュー【株式会社薬師スタジオ】カメラ・写真業界は、使い捨てカメラの出現やデジタル化が進行し、軒並み業績が低下し、苦戦を強いられてきました。その中で、集配ラボ、写真館から出発して、写真結婚式、前撮り、撮影のできる中規模結婚式場事業へと事業拡大するという業界初の試みに取り組みながら、顧客との関係性を重視し、魅力的な写真撮影、魅力的な店舗づくりで競争力、集客力を発揮し、顧客のしあわせ色のストーリーをつくり続け、高収益を維持し続けている㈱薬師スタジオグループの松崎護会長に、起業時代から今日までの経営革新と成長のノウハウを伺います。会長プロフィール松崎護(まつざきまもる)、1943年熊本県八代市生まれ。大手広告代理店勤務後、町田市でDPE専門集配ラボを起業、その後、感動写真館、㈱薬師スタジオを設立し日本初の写真結婚式を開発。その後、写真の撮れるゲストハウス、中規模結婚式場を町田市木曽東に設立。地域産業発展のために産業人と連携した「パトモクラブ」を設立し、共同宣伝、勉強会などを行っている。2013年より薬師スタジオは、長男太郎氏(34歳)が社長に就任(2015年には、パトリック・キソ・ガーデンを長女彩氏(38歳)就任予定)。グループの会長職に就き今日に至る。

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