中小企業支援研究vol2
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中小企業支援研究 別冊 Vol.210 昭和34年の創業以来、一貫してスプリングの製造を手掛け、その時代の産業のニーズに対応した新製品開発をし続け、家族的経営を大事にしながら現在では中国に事業所を持つまでに成長した話題企業、㈱多摩スプリングをお訪ねしました。社長の渡辺イシ子様、創業者のお一人である渡辺吉明会長、副工場長の新堀雄也様にお話を伺いました。また、当社を長年にわたり支援されてきた町田商工会議所の企業支援部部長、井之上正司様にもご同席いただきました。社長プロフィール代表取締役社長 渡辺 イシ子(わたなべいしこ)。昭和23年(1948年)5月生まれ。昭和42年に高等学校卒業後、厚木市の厚木ナイロンに就職。昭和46年に結婚後は、当社で経理、財務、人事を担当し、その後、現渡辺吉明会長の後継として社長に就任。ばね一筋、高い研究開発力と技術力に裏付けられた成長の軌跡を聞く家族経営から出発してメーカーを目指す前田 本日は、お忙しい中、お時間を頂きありがとうございます。私共、千葉商科大学経済研究所では、優れた企業のノウハウを経営者様から伺い、全国の中小企業の皆様にお役に立つ支援ができればと考えております。本日は、どうぞよろしくお願いいたします。渡辺会長・社長 こちらこそよろしくお願いいたします。前田 まず、御社の創業の経緯などをお聞かせください。渡辺会長 当社の創業は、日本発条株式会社に勤務経験のある私の父、吉一と一緒に昭和34年にスタートいたしました。私が主に営業を担当いたしました。前田 すると御社は最初からばね関連の事業でしたか。渡辺会長 いいえ、当時はプレス関係の仕事が結構あったのでプレス加工からスタートしました。前田 では、ばね事業に転換する何らかのきっかけがあったのですか。渡辺会長 当時は、プレスの仕事で指を切断するなどの怪我をする人が多く、若い人の人生を変えてしまう、人生が狂ってしまってはと大変苦慮しまして、安全性の高いばねの事業に転換をいたしました。自動でできる巻きばねに転換です。前田 従業員の皆様への思いが事業転換のきっかけになったのですね。当時の業界はどんな状況でしたか。渡辺会長 当時は、ばね屋さんと呼ばれ、自宅の土間で作業している一人か二人の職人を抱えた年商10百万円程度の小規模な工場がたくさんありました。前田 すると下請け同士の競争が多かったのでしょうね。渡辺会長 価格面でも、納期面でも激しい競争でした。前田 そのような中から今日のように成長されました。どこに転機がありましたか。渡辺会長 父が日発にいましたので下請けでなく、研究開発力を活かして、直接受注できるメーカーを目指しました。当時、H社、Mi社、F社など10社ほどの大手メーカーがありましたが、技術力と営業力で頑張り続けました。技術力とアイデアで世界へ進出前田 最初はどのような工夫がありましたか。渡辺会長 父もアイデアマンだったので多くのパテントをとりました。大手メーカーにもアイデアを提案し、パテントをとってもらい制作を一任されたりなどもしました。前田 アイデアの事例をいくつかご紹介くださいますか。渡辺会長 家庭や学校にあるバラや朝顔のアーチなどを左から会長の渡辺会長・社長・前田・新堀副工場長経営者インタビュー【株式会社多摩スプリング】

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