中小企業支援研究vol3
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中小企業支援研究 別冊 Vol.314八千代市役所近くに、昭和初期の名建築を移築・改装して手打ちそば・地酒・懐石料理を提供する、地域で人気の日本料理店「さわ田茶家」を経営する有限会社万屋商事の代表取締役澤田政道さんにお話を伺いました。社長プロフィール澤田政道(さわだ まさみち)。1949年5人兄弟の末子長男として千葉県八千代市に生まれる。高校卒業後、横浜中華街にて料理人の修業を経て、京成大和田駅前で母親が経営する食堂を手伝う。母親の引退後、代表取締役を継ぎ現在に至る。人を感動させることが、街おこしにつながる!安藤 今日は八千代市で日本料理店「さわ田茶家」を経営する澤田政道社長にインタビューさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。母の後ろ姿を見て育つ大柳 早速ですが、外食産業の衰退が続いている中、飲食店の経営は相当なご苦労があったと思いますが、昭和24年の創業から今日まで、御社の事業の推移を聞かせてください。澤田 創業は私の母が67年前、京成大和田駅前に開いた食堂が始まりです。母は大変な苦労人で、父と離婚の後、食堂を切り盛りしながら5人の子供を育て上げました。私は母の必死で働く後ろ姿を見ながら育ちました。 当時は大和田駅が八千代一帯の交通の窓口で大変にぎわっていました。東京方面への行商人も多く、彼らの食事やお土産等への需要があり、食堂は大変繁盛しました。彼らの欲しがるものを何でもそろえる万屋(よろずや)として、食堂の他、お菓子屋、中華料理店、雀荘などいろいろな分野に多角化していきました。お菓子屋といえば、ペコちゃんで有名な「不二家」さんの、当時まだ珍しかったフランチャイズ店を始め、優良店として表彰もされました。また、雀荘といえば店の近くに有名なゴルフ場「鷹之台カンツリー倶楽部」があり、当時の著名人にゴルフ帰りに寄っていただき、楽しく親交させていただきました。 昭和39年にこの店「さわ田茶家」の原形となる戦後初代総理大臣東久邇宮邸を譲り受けることになり、市川市真間からこの地に移築しました。そして、17年前に開業しました。当初母親が住宅として使っていたものを改築して、八千代の観光資源にもなりうる日本的風情のある蕎麦屋を作ろうと思いました。 その後、大和田駅前店は東葉高速鉄道が開通して交通事情も変わり、4年前に区画整理のため現在の3階建ビルに建て替えて今日に至っています。その一軒で街が変わる大柳 続いて澤田社長ご自身の経歴について聞かせてください。有限会社万屋商事代表取締役経営者インタビュー【有限会社万屋商事】さわ田茶家(旧東久邇宮邸)外観

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