中小企業支援研究vol3
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中小企業支援研究 別冊 Vol.315澤田 母の後ろ姿を見て育ちましたから、お店を継ぐつもりで高校生時代から配達などの手伝いをしていました。高校卒業後は横浜中華街の料理店で修行の後、万屋に戻り姉たちとともに店の経営に携わるようになりました。 私が50歳の時に転機が訪れました。八千代商工会議所主催の地域の担い手養成講座「やちよやる気塾」の塾生になり、3年間経営の勉強をさせていただきました。ある時、葉山の日影茶屋の角田庄右衛門さんのお話を聞く機会がありました。テーマは街づくりでしたが、講演中の言葉で鳥肌が立つ言葉がありました。『その一軒で街が変わる』です。当時はバブル崩壊後の失われた20年のただ中で、八千代市一帯も沈滞ムードが漂っていました。そんな中この一言に出会い、このままではいけない、八千代の人に感動してもらえることをやりたい、という気持ちになり、俄然やる気が出てきました。そこで思いついた事業が、先ほど話した旧東久邇宮邸の活用です。この建物を使って八千代を元気にしよう、人がたくさん集まる蕎麦屋を作ろうと決断しました。この時、万屋もちょうど創業50年にあたり、「50」という数字は私にとって人生の節目となる数字です。メニューを充実して目的飲食のお客様をターゲットに大柳 さわ田茶家の店作りのコンセプトとターゲットとする客層について教えてください。澤田 建物が昭和初期を代表する有名建築ですし、その雰囲気を生かすお店にするため、相当の費用をかけて改装しました。また、蕎麦職人は一茶庵片倉康雄先生の愛弟子を迎い入れ、本格的な手打ち蕎麦屋を目指しました。そうこうするうちにメニューを増やすため懐石料理も始めました。日本料理人がいなかったので「なだ万」の元板長を迎えて、建物の雰囲気に見合った食事を提供できるようになりました。この辺りは人口構成的に高齢者が多く、葬儀・法要後の利用客が増えています。法要の席にはここのような落ち着いた雰囲気を求めるお客様が多くなっています。近くに有名な霊園があり、そこから紹介のお客様も多く、リピーターになっていただいています。土日はそういう法要の会席やお見合いの席のお客様で繁盛させていただいています。このようにしてリピーターを通して「さわ田茶家に行ってあの雰囲気の中で食事をしたい」という目的飲食のお客様をターゲットにしていきたいと思っています。地域振興活動「やちよ蕎麦の会」大柳 澤田社長は地域振興にかかわる活動をたくさんされていますが、その中の一つ「やちよ蕎麦の会」についてお聞かせください。澤田 この会は、蕎麦をテーマに自分たちで出来る範囲で地域貢献に協力しようという会で、八千代市内の蕎麦屋全てに声をかけ、平成14年に発足し、現在9店舗で活動しています。活動内容は、①八千代産そばの栽培、②オリジナルそばメニュー開発、③各種イベントへの参加、などです。八千代も北海道に負けないくらいの良い蕎麦ができます。また、イベントの中で有名なものは「そばの花を見てそばを食する会」で、市民1,000人を集め八千代産そば粉の蕎麦を食していただき、大いに盛り上がりました。一時はスポンサー付きのイベントも出来るようなこともありました。昔はドラマーだった大柳 お店の内装や展示物を見てもわかるように、澤田社長は文化・芸術にとても理解があるそうですね。そのあたりの取り組み方についてお聞かせください。澤田 この店を立ち上げる時、いわゆる名店と呼ばれる蕎麦屋にはしたくなかった。文化・情報の発信地にしたいと考えていました。実は私、今でこそ蕎麦屋のオヤジですが、若い頃はドラマーをやっていて、将来はデザイナーかミュージシャンになりたかったのです。そのまま続けていたら、今頃ガード下で似顔絵を描いていたかも知れません。元々芸術が好きだったのです。そのこだわりが店作りに表れています。また、お店を使ったイベント開催のきっかけは、お客様に歴史の先生がおりまして、史跡を巡るツアーを主催している先生で、このお店の雰囲気が気に入り、ここで懐石料理を食べながら歴史を語るという形の文化講座をやらせてほしいというリクエストに応えて、合計28回(¥5,000/回)の連続講座をやったのが始まりです。新規顧客との出会いにつながり、店の雰囲気を気に入っていただければイベントだけでなく、店のリピーターにもなってもらえると考えましさわ田茶家 内装

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