中小企業支援研究vol3
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中小企業支援研究 別冊 Vol.32社員の幸せ第一、まかせる経営で業界日本一に成長人のやらない事業に挑戦前田 本日は株式会社生活の木社長、重永忠様にお話を伺います。重永社長は、祖父である創業者とお父様である先代社長の事業を継承し、創業地で世界的な企業にまで育て上げられた後継創業者です。原宿表参道という、現在では好立地といわれる地にありますが、家族経営からここまで成長するには現社長の並々ならぬご苦心とアイデアがあったと伺っています。本日は、どのように転換期を乗り切ってここまで成長されてきたのか、お話を伺わせていただきたいと思います。 まず、当社が今日に至った歴史を簡単に伺いたいと思います。重永 最初は戦後、祖父が佐賀県から東京に出て、丁稚経験を経て写真の技術を身に付け、夫婦で写真館を開業したことから始まりました。当時、写真館といえば東京でも珍しい、まさにニュービジネスでした。父の代では、写真館を継承しながら、当時は米国人の居留地であったワシントンハイツ(駐留軍人の居住地)に出入りするようになり、彼らの生活を見て、日本にも洋食文化の時代が来ると考え、洋食のための食器を中心として、仕入れ、デザイン、販売を一貫して行う陶器の製造販売会社を始めました。前田 その会社を現在の3代目社長がどのように事業承継されたのでしょうか。重永 海外出張・視察の多かった父が米国の西海岸のヒッピー文化に触れて持ち帰ったハーブの種が起源となっています。私たちは、彼らの平和・自然・自由(Love, Peace & Nature)を唱える文化や哲学に触れて、自身の人生理念である「自然に、健康に、楽しく生きる」を経営理念として、世の中にそういった価値観とライフスタイルを提案しようと思いました。前田 具体的にはどのようなことでしたか。重永 従来の陶器のほかに、ハーブを取り扱うことにし、文化、コト、モノ、心などの視点を取り入れました。前田 3代にわたる共通点はどこにありますか。重永 当時では珍しかった写真館の事業を初代が立ち上げ、父はその写真館の仕事を手伝いながら、中心的な顧客であったアメリカ人の生活を見て陶器のデザイン、製造販売の商いを始めました。現在のSPA(製造小売業)の走りと言ってよいでしょう。私たちは、以前表参道にあった同潤会アパートの一室で、ポプリ・ハーブの販売の企画室を1980年代の初頭に立ち上げました。前田 どういうところに惹かれたのですか。重永 ヒッピーの文化は、愛、平和、自然、健康、自由を唱えていました。これが、私たちの人生観と一致したのです。私も音楽が好きでありましたから、こういったライフスタイルにすぐに同調できました。このライフスタイルを文化、コト、モノ、心、そして場で表現したいと、陶器に加えてハーブの取り扱いを始めました。家族的な経営を維持しながら、日本初のハーブ・アロマテラピーの事業を創業し、成長し続けている株式会社生活の木社長、重永忠氏にお話を伺いました。社長プロフィール重永忠(しげなが ただし)。1961年東京原宿表参道に生まれる。大学卒業後大手流通業を経験。中小企業基盤整備機構中小企業大学校経営後継者コースを経て、㈱生活の木代表取締役に就任。経営者インタビュー【株式会社生活の木】株式会社生活の木 重永忠 代表取締役C.E.O

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