中小企業支援研究vol4
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中小企業支援研究 別冊 Vol.410多くの受賞歴に裏打ちされた開発ノウハウを活かし、玩具会社として『夢のカタチ創り』を追求する 創業の原点「お客様に喜びと感動を与えること」と創業期より事業を支えた「キューピー人形」魚路 千葉商科大学経済研究所では、中小企業の経営者の皆さまがこれまで事業展開されてきた経緯、その中で経験して得られた様々な知見をお伺いし学ばせていただき、今後の中小企業の継続・発展に資するべく情報発信していこうとの趣旨から「経営者インタビュー」をお願いしております。まず、御社の創業の経緯を教えてください。菊地会長 1971(昭和46)年、近隣地(流山市東深井)の自宅兼作業場を「キクチ製作所」として個人で創業、有限会社化したのが1975(昭和50)年です。1988(昭和63)年に「キクチ株式会社」に社名変更し、1991(平成3)年に現在地(流山市西深井)の新社屋に移転しました。魚路 そもそも、玩具業界で事業を始められた理由は。菊地会長 出身地の秋田県雄勝町から15歳の時に先輩を頼り上京し、夜間高校に通いながら1960(昭和35)年から、主にセルロイド製のおもちゃを取扱った玩具メーカーに勤務していました。魚路 何か“ビビッ”と直感するものがあったのですか。菊地会長 「面白い!」と、お客様に喜んでいただけるおもちゃを自ら手掛け、汗を流して努力した成果が商品として店頭で販売され、感動してくれる光景を目にすることが原動力になりましたね。柴田 当時はどのような商品がヒットしていましたか。菊地会長 「キューピー人形」ですね。独立してからも手掛けていましたから。累積生産数量は、小さいものも含めると数億個以上になります。しかし、現在では他に数社しか製造しておりません。製造方法は「たこ焼き」と類似しておりますが、生地厚の安定性や温度管理等の熟練した職人技が必要となります。かなり暑熱で過酷な労働環境での作業を強いられることから、コスト面も考慮して、現在では国内生産は行っておりません。企画・開発(設計)業務への「選択と集中」と「完成品」製造志向によるノウハウの習得・蓄積魚路 御社の「業務の流れ」を教えてください。菊地社長 社員は15名程おりますが、営業の担当者がメーカー側の担当者と企画・開発の打合せを経て契約を経営者インタビュー【キクチ株式会社】昭和の時代、数多の子どもたちを夢中にさせた人形やプラモデルといったおもちゃの数々…。しかし、時代の変遷とともに、文化や娯楽・趣味の多様化やIT等の技術革新も相まって、いわゆる「古き良き」おもちゃの存在感は、相対的な低下を否めません。かように、今日のおもちゃを取り巻く環境の変化は、玩具会社にも事業の本質的な使命である「存続・成長・発展」を求むべく、迅速で適切な対応を迫っているものと推察されます。そこで、今回は流山市にある玩具の企画・開発・製造会社である「キクチ株式会社」を36歳の若さで社長を後継し、リーダーシップを発揮して同社を率いる菊地潤社長と、「陰に陽に」と後継社長のサポートに徹する菊地憲悦会長にお話を伺いました。社長プロフィール会長プロフィール菊地潤(きくちじゅん)。1974年千葉県生まれ。43歳。学校卒業後キクチ株式会社に入社。2011年社長就任。経営ポリシーは「おもちゃで世の中を幸せにする」。菊地憲悦(きくちけんえつ)。1942年秋田県生まれ。75歳。1971年個人で創業。2011年会長就任。経営ポリシーは「夢・発見・創造」。(左)菊地潤社長と(右)菊地憲悦会長による打合せ

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