中小企業支援研究vol4
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中小企業支援研究 別冊 Vol.412菊地社長 基準書という明文化されたマニュアルがありますので、従業員は皆、それを見ながら作業してくれています。ただ、最終的には、一人ひとりの経験を通じて体得した「知識」と「スキル」が重要です。これらをどのように残していくか…。柴田 「ノウハウ」の継承が課題、とのご認識ですね。菊地社長 はい。経験値も重要な要素です。以前は基準もなかったので、都度都度対応していたものが、基準が整備されて当て込みながら作業ができるようになりました。しかし、そこに「経験値の付替え」の問題があり、その経験値をどのように残すのか、という課題があります。技術者(職人)の方には、昔から「現場で盗んで覚えろ」という姿勢が、まだ若干残っておりますので。設計ソフトにしても、相当進化してきており、ある意味データを残すことに関しては容易になりましたので、ある程度同じものは安定して作れるようにはなりました。菊地会長 しかし、感性というものもあります。ある者はプラモデルが好きだけど、その者に全く違う分野の幼児向けおもちゃに取組ませたら失敗してしまったことがあります。好みの中に感性の適否があり、難しいです。36歳で事業承継の腹を括り覚悟を決めた後継者魚路 「ノウハウや経験値の承継」というお話もございましたが、中小企業にとっては「入口の創業、出口の事業承継」と言われており、事業承継では大変悩まれている経営者が多く、2/3は「後継者はいない」と回答される現状があります。そこで、事業承継時のことを少し振り返っていただきたいのですが。菊地社長 覚悟という覚悟はなかったのですが、「やらなければならない」状況でした。当時、弊社も厳しい経営環境に直面していたため、後継社長を引き受けることによって「一新する」という意味合いもありました。魚路 具体的な準備活動は何かされましたか。菊地社長 様々なセミナーや後継者塾に行きました。が、当時を振り返ると、自分から進んで行っていた訳でもなく、行かされていたというところがあり、理解に関しては乏しかったですね。ただ、今、このような立場に置かれて初めて、受講した内容が「ああ、こういうことだったのか!」と、分かってきたことは多々あります。また、セミナーや後継者塾に限らず、2~3代目が集まるような「会」に参加し、同じ境遇の方と会うことによって、お互い刺激を受け合い、悩みを話し合う、こうして気が合う方との出会いもあり、それは貴重な機会でした。柴田 社長に就任されたのは何歳ですか。菊地社長 2011(平成23)年8月就任ですので36歳です。今、振り返ると、「社長にならざるを得ない環境」に置かれたことで、かえって腹を括れたことはありました。魚路 やはり、相当な覚悟はできていたのでしょうね。また、承継にあたり、在籍されていた従業員との調和・協調の面でのご苦労はありましたか。どうしても「創業者の時の従業員」は、後継社長ではなく創業社長の方を向いてしまう傾向がありますから。菊地社長 あまり考え過ぎないようにしていたのですが、社長を継いでからの1~2年間は、どうしても「形」だけを目指してしまっていたように思います。菊地会長 定年到達や、一身上の都合で退職した従業員もいましたね。菊地社長 業績も含めて、今までの弊社を取り巻く環境の変化もあり、それに対応して社内改革の必要性に迫られる最中に、ついてきてくれる従業員とついてこれない従業員に分かれてしまい、結局辞められた従業員も相当数おりました。その際には「わかりました」ということで、引き留めることなく退職していただきました。私の考え方にある程度賛同してくれる従業員が残ってくれている、と信じておりましたので。魚路 社長自らが従業員の皆さんにメッセージを送り続けていた、ということですね。菊地社長 そうですね。外見を取り繕い良く見せることより、事業を安定軌道に乗せることの方が大事ですから。魚路 こうして伺ってみると、社長交代の際には、会長がしっかりフォローされていた、ということですね。菊地会長 そうですね、「言われたことはする」と(笑)。言われないことは「余計なことはするな」と(笑)。魚路 法人のライフサイクルは30年といわれています。創業→成長→安定→事業承継で30年周期。最初の5年10年は、先代からの引き継ぎ等で「あっ」という間に時間が過ぎてしまい、次の10年で自分のカラーをキクチ株式会社本社全景

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