中小企業支援研究vol4
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中小企業支援研究 別冊 Vol.46株式会社房洋堂 高橋弘之社長千葉県の豊富な農産物を生かし、千葉の豊かな恵みと人に思いをつたえる贈答菓子づくり和菓子中心から和洋菓子の店へ 大塚 高橋社長とは、長年、館山の街づくりでご一緒させていただいておりますが、本日は、本業である「花菜っ娘」で名高いお菓子の房洋堂について、お話を伺いたいと思います。館山という立地の中で家族経営から脱皮し、ここまで業態を拡大させたことは、高橋社長の尽力とアイディアにあると伺っております。そこで、業歴が長い御社において、これまでどのように経営されてきたか、御社の歴史と事業の推移をお聞かせください。高橋 当社は、千葉県館山市で大正12年に創業しました。創業者は、私の祖父である高橋高司です。創業地は、館山市北条で当時の館山市の中心部にあたります。創業当初の商品構成は、和菓子を中心に販売しておりました。その後は、昭和36年に洋菓子も導入し、和洋菓子の店として経営をしてまいりました。私は、昭和14年に生まれ、大学卒業後、都内の洋菓子メーカーの「不二家」の本社で2年程働き、昭和39年に当社に入社しました。私が入社した当時は白浜店、館山サカモト店、館山下町店、木更津東口店等、主として飲食付きの路面店の出店が多かったです。商品については当社の看板商品「花菜っ娘」の販売が昭和50年でした。菜の花をイメージして「花菜っ娘」を開発する木原 ヒット商品である「花菜っ娘」は、どのような経緯とアイディアで生まれたのでしょうか。高橋 「花菜っ娘」のアイディアは、この菓子をつくる前に、鴨川の植物園から菜の花にちなんだお菓子の製造を依頼されたことで思いつきました。早春の南房総は、海辺の畑に菜の花が咲きます。黄色いじゅうたんが見事に敷き詰められたような景色です。当初は、蒸し饅頭の上から菜の花を押した「花菜っ子まんじゅう」という商品を作っていました。少し後に、白浜のバナナ園からも別の話が来て、地場の卵黄と牛乳を加えた「フローラバナナ」というバナナ形の乳菓を作り収めました。その後、このレシピを参考にしホイル焼きにすることで日持経営者インタビュー【株式会社房洋堂】株式会社房洋堂は、千葉県館山市にある創業大正12年の老舗贈答菓子のメーカーです。ヒット商品である「花菜っ娘」は、第26回全国菓子大博覧会農林水産大臣賞を受賞しており、千葉県のお土産品として、高い知名度を有しています。代表取締役である高橋弘之氏は、昭和39年に入社してから、常に当社の最前線でお菓子づくりをしてきました。今回は高橋社長より、これまでのご経験の中から、経営のヒントを伺いました。社長プロフィール高橋弘之(たかはしひろゆき)。昭和14年2月、館山市生まれ。昭和37年に早稲田大学教育学部を卒業。株式会社不二家に入社し、2年後の昭和39年に館山に戻り株式会社房洋堂の取締役に就任。昭和42年、母の下で専務取締役に就任。昭和52年代表取締役に就任。歯に衣着せぬ論客だが、誠実でやさしい一面を持つ。館山商工会議所会頭、千葉県観光物産協会会長、千葉県菓子工業組合理事長等の要職を歴任し、平成28年4月旭日小綬章受章。

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