中小企業支援研究vol5
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中小企業支援研究 別冊 Vol.516他社にできないプラスチック成形を可能にする技術者集団深絞り技術を更に極めて唯一無二の存在を目指す創業5年も経たずに大転機大塚 皆川社長には、千葉商科大学大学院中小企業診断士コースの企業実習先としても協力を頂いておりますが、本日は改めてこれまでの流れと今後の展開等を伺いたいと思います。まず、御社の歴史を教えて下さい。皆川 私の父が商社からプラスチック関連会社に出向し、その際にプラスチックの将来性に興味を持ったのがきっかけで、昭和37年にプラスチックリサイクル業としてスタートしました。当時はプラスチックリサイクルという概念が確立されていない頃でしたので、父は先見の明があったといえるでしょう。また一部ではプラスチック部材の生産も行い、その頃社会的な現象となった大手玩具メーカーから発売された「抱きつき人形」への部材供給もしていたことから、造れば売れる時代であり、小学生の頃の我が家は比較的裕福だったような気がします。大塚 そうでしたか。それでは創業時は順調な滑り出しといえますね。皆川 ところが、父が創業から5年も経たない昭和40年に急逝してしまったのです。そのため、専業主婦であった母が急遽社長に就任することとなったのです。何もわからないところから母はスタートしたので、最初は苦労の連続でしたが、従業員や取引先の協力の甲斐もあって、数年で父が存命だったのであれば運営していたであろう水準にまで戻すことができたのです。当時の右肩上がりの経済やプラスチック需要の拡大に助けられた面もあるのでしょうね。大塚 会社の運営をいきなり任されたお母さまのご苦労は大変でしたね。その後に皆川社長が引き継いだのは、どのような経緯でいつだったのですか。皆川 母は堅実な経営を心掛けて取り組んできたことから業績も堅調に推移し、私も大学まで行かせてもらいました。そして昭和61年に、当社は環境の変化により移転を余儀なくされ、現在の柏市の工業団地に移転してきました。移転時の頃には、プラスチック成形の仕事が大半を占めていたそうです。そして日本全体の景気が悪くなった平成9年に、今まではあらゆることに明晰だった母に若干の記憶違い等が出始めました。母が70歳の時です。それまで私は、次期社長はプロパーの社員から誰かが選ばれて運営していけばよいのではと軽く考えていましたが、その年の暮れの家族会議の結果、私が引き継ぐことになり、仕事始めの平成10年1月6日に入社したのです。昭和プラスチック株式会社は、代表取締役の実父が昭和37年3月に創業し、昭和41年1月に法人成りした50余年の歴史を誇る会社です。当時はまだ普及していないプラスチックのリサイクルで営業活動を開始し、徐々に食品容器成形にシフトしていきました。現在は『小ロット・短納期・高品質』を掲げ、複雑な形状にも熟練職人の技で対応可能になっています。今回は、製造業では比較的珍しい女性経営者である皆川社長からお話を伺いました。社長プロフィール皆川悦子(みながわ えつこ) 昭和30年東京都江東区生まれ。和洋女子大学卒業後、大手複写機メーカー勤務や専業主婦を経て、平成10年1月に入社し専務取締役に就任。平成17年2月に実母の後を継いで代表取締役に就任。技術の進化を深めつつ、両親の教えである「常に感謝」、「人を大切にする」をモットーに、社員のやる気を引き出す経営に努めている。またハンディを持った人財を採用し戦力化に繋げることや、特別支援学校の職場体験にも協力的で、地元テレビへの出演や内閣府主催のフォーラムにおいてゲストパネラーに選出される等、社会貢献も兼ねた企業運営を行っている女性経営者として注目されている。経営者インタビュー【昭和プラスチック株式会社】インタビューに答える皆川社長本社外観

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