中小企業支援研究vol5
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中小企業支援研究 別冊 Vol.53柳内 1963年には内山コンクリート工業、現在私の夫が会長をしている内山アドバンスの前身となる会社ですが、これを設立しました。まさに、1964年の東京オリンピックのタイミングでしたから、大型設備投資にもかかわらず私たちは大きく成長しました。私も生コンは天職と思っています。大好きです。何より、国造り、物づくりの基本にかかわる仕事ですし、1時間で固まってしまう生製品なためきめ細かな対応が必要なビジネスで、神経を使います。それだけに楽しい仕事です。鮎川 順調な滑り出しでしたね。環境激変期も家族の強い絆で事業継続し、製販一体型企業に発展 柳内 しかし、その後、需要が一巡し、生コンの価格が下落し始めました。1966年頃でした。それにオイルショックから始まった当時の不況も手伝って、大きな打撃を受けてしまいました。鮎川 環境激変期でしたね。どのような対処をされましたか。柳内 廃業も考えるほどでした。社長だった兄は廃業を決意したようでした。親から引き継いできた土地などの売却も考えるようになっていました。鮎川 大蔵省の窓口も締まり、資金繰りに苦しんだ企業も多かった時代をどう乗り切りましたか。柳内 私は気丈でした。300年間も続いた豪農の内山家を自分たち兄妹の代で絶やしたくはない思いでした。兄にも「もう少しだけ頑張ってみようよ」と提案しました。必死でした。資金繰りはもちろんですが、人員の整理もやむなしで、そうしたことは私が一手に引き受けました。やれることはなんでもやりました。鮎川 日本全体が大変な時代でしたね。柳内 みんなが必死な時代でした。しかし、そのうち、業界内でトラック事故が発生する原因として問題となるという出来事があり、その結果、生コン材料のトラック当たりの積載制限が厳格になりました。その結果、生コンの価格が上がってきて、これが好機にもなりました。ちょうどその時期に現内山アドバンス会長の柳内元基が技術部門に入社し、持ち前の技術力を発揮し、品質・コスト管理を厳密化するとともに、建築現場のニーズに応じた供給体制の整備に取り組みました。原価管理、現場管理に優れた人でした。私は彼と結婚しましたので、私たち家族三人の力で何とか苦境を乗り切り、事業を再び軌道に乗せることができました。鮎川 その新しいビジネス基盤をどのように発展させましたか。柳内 いろいろなところで紹介もされた話ですが、1967年に、生コンメーカーとして千葉・花見川工場を建設し、その2年後の1969年には生コン・建築資材総合商社の山一興産㈱を設立したことで、製販一体型の企業になりました。生コンは、品質とともに鮮度管理の重要な製品ですので、現場に近いことが重要で、その結果として、地域密着が重要なビジネスなので、現在の浦安市に進出するとともに、関東圏に18工場を構えて、現場へのクイックレスポンスができるようにしました。鮎川 現在は浦安市の商工会議所会頭としてもご活躍ですね。柳内 地域密着型の企業ですから、地域にも貢献していければと思っています。積極的に地域事業に貢献鮎川 社長は多様な地域活動にも貢献されていますね。柳内 はい、地域活動の延長で1998年には社会福祉法人豊正会(現江戸川豊正会)を設立して、福祉産業にも取り組み、現在では、医療法人社団健勝会、学校法人草苑学園などを運営しております。鮎川 このような異質にも見えるニュービジネスへの取り組みはどんな動機からでしたか。柳内 先ほど述べましたが、私が子供の時、父が36歳の若さで亡くなりました。その後、母が苦労をして私たちを育ててくれているのを目の当たりにしてきましたから、福祉には若い頃から自然に関心を持っておりました。鮎川 少子高齢化時代を迎え重要になるビジネスですね。私ども千葉商科大学も、そのような視点を重視して人間社会学部を創設しました。柳内 今後、日本中が、高齢時代を迎えますので、世のため、人のために、私共なりにお役に立とうと思っています。家族の応援あってのことです。会長である夫は内山アドバンスを発展させ、私を守り続けてくれました。次女は山一興産を手伝ってくれていますが、平成10年から取り組んでいる介護福祉事業は、長女が担当してくれています。鮎川 家族の絆が御社の強さの原点でしたが、福祉など社会貢献への取り組みはどんな動機でしたか。柳内 また私が6歳くらいの時でしたが昭和20年3月10日の東京大空襲を体験しました。人々が重なりあうようにして亡くなっていく様子を目の当たりにしましたので、お金儲けは大事ですが、儲かった金銭の使い方も大事だと思うようになりました。そこで、事業だけでなく、できる限り地域の皆様のお世話をさせていただいているつもりなんです。鮎川 近江商人の「三方良し」の精神も同様な視点ですね。これらの数々の社会貢献活動に対して2007年には藍綬褒章受章、社長は2012年には「渋沢栄一賞」を受賞されましたね。2014年の春の叙勲では、旭日小綬章も受賞されていますね。柳内 渋沢栄一翁は多くの企業設立、育成の一方で福祉、教育などの事業に尽力した経営者です。コンクリー生コンに加工して販売するというニュービジネスを展開

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