中小企業支援研究vol6
16/30

中小企業支援研究 別冊 Vol.614切断技術の探究による「モノづくり」企業の歴史沼口 変化する経営環境に柔軟に対応され、事業の持続可能な発展に努めていらっしゃいます荻野社長に、御社の歴史と事業の推移について伺います。荻野社長 当社は、1960年10月に、創業者であり先代の父正一が、埼玉県川口市で創業したのが始まりです。1963年に顧客のニーズに対応した未加硫ゴム自動切断機を開発し、製造販売を開始しました。1967年10月には、埼玉県蕨市に新工場、事務所、倉庫を新築移転し、1970年4月に、株式会社に組織変更し、父正一が代表取締役に就任しました。1974年7月に第2工場が完成し、生産能力が拡大しました。また、1989年1月には、敷地を拡大、新社屋を建設し、1997年10月に第1工場を建て替え、2001年6月に私が代表取締役に就任し、現在に至ります。沼口 社長に就任されてから、最初に取り組んだことは何ですか。荻野社長 当社は、「モノづくり」企業ですから、切断技術の探究に努めました。2003年1月に、押切切断機を開発し、2006年にはテーブル送り機「NS1-0600」の販売を開始しました。いまでは、切断の精度・速度に加えて、ゴム専用切断機から焼成前セラミックや炭素繊維複合材などのあらゆる最先端材料の切断が可能で、切断面の細かい形状まで、オーダーメイド対応により、多くの取引先から、支持をいただいております。現在では、自動車業界、化学・繊維業界、食品業界など日本国内の他、海外からもご注文をいただいております。沼口 御社の海外展開について、教えてください。荻野社長 2010年1月に中国江蘇省常州市に荻野精機機械有限公司を設立しました。刃物の販売から、自動切断機の販売まで行っています。現地では、「刃物の荻野」として、知られるようになりました。荻野副社長 当社では、英語表記の製品カタログを整備し、海外対応にも力を入れています。切断できる素材は幅広いため、当社の自動切断機は、海外でも注目されています。従業員が働きやすい職場環境を目指した2代目から3代目に引き継がれるモノづくり企業の精神今回は、2019年10月に、創立60周年を迎えるスーパーカッターの名称で知られる自動切断機メーカーの株式会社荻野精機製作所の荻野正秀社長と荻野真也副社長にお話を伺いました。社長プロフィール副社長プロフィール荻野正秀(おぎの まさひで)。超高速切断機の発明家。材料の最適な切断方法を瞬時に見抜き、4,000社以上に機械を製造販売。荻野真也(おぎの しんや)。薬学修士。機械工学士首席。原価企画により業績V字回復を果たす。生産技術・調達・製造のプロ資格保有。経営者インタビュー【株式会社荻野精機製作所】荻野正秀社長(左)、荻野真也副社長(右)初号モデル3号機(中央)本社工場

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

page 16

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です