中小企業支援研究vol6
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中小企業支援研究 別冊 Vol.62シャーリング業からコイルセンターを目指す大塚 本日は、お忙しい中、インタビューに応じていただきありがとうございます。まずは、御社の創業とこれまでの事業の経緯をお聞かせください。下河原 父が創業したのが52年前、その当時、父は22歳で大学卒業後すぐのことでした。名前の由来となっている「シャーリング」という機械一台から始め、最初は委託・加工のみでスタートしました。父と母で始め、その後、仕事量が増えて従業員を雇えるようになりました。創業地は船堀でしたが、浦安の北栄という場所に移ってきてシャーリング三台で営業を続け、昭和52年に今の土地(浦安第一鉄鋼団地)に移りました。「京江」という名前の由来は東京と江戸川区(船堀)から来ています。最初は工場の敷地が狭く、現在の工場の敷地の3分の1しかなかったため、レベラーという機械で操業しました。広い用地を求めてバブルの頃(平成元年)に坪250万円という高値で3分の1を購入し、その後、私が社長になってから、平成20年に残りの3分の1を坪60万円で購入することになりました。用地問題は一段落したのですが、高値で買った用地もあったため返済が重荷になった時期もありました。理想的な時期の事業継承早瀬 工場用地の確保などご苦労があったようですが、先代から引き継がれた経緯と何かエピソードがあればお聞かせください。下河原 入社したのは18歳の時です。18歳で現場に入り、22歳で営業に移りました。その当時は兄も一緒に営業していました。スチールハウスという物を作りた人を大切にする積極経営により、シャーリング業からコイルセンターへ躍進する江戸川区船堀で創業し、浦安鉄鋼団地に移転後はJFE協力会社の中でもコイルセンターとしての確固たる地位を築いた株式会社京江シャーリング。その2代目社長であり、昨年からアジアの鉄鋼市場に向けて挑戦を開始した、下河原英道氏にお話を伺いました。社長プロフィール下河原英道(しもかわら ひでみち)。1973年4月東京生まれ。学校卒業後すぐに家業である株式会社京江シャーリングに入社し製造現場に勤務、その後22歳で営業職に移り、32歳で社長に就任した。従業員へ大幅に利益を還元し、多くの決定事項を社員に権限移譲するという、画期的な人事政策により、社員全体のモチベーションを大幅に向上させる。そして、社員が活躍できる環境を与えてくれたことに感謝する気持ちで働くという組織を構築し、その後、昨季の年商が38億円に達する高収益企業に成長させた。まさに現在の働き方改革の先鞭といえる。また、兄の下河原忠道氏は「株式会社シルバーウッド」を設立し介護業界を牽引、弟の下河原征道氏は「株式会社朋コーポレーション」でスポーツジム向けの自販機での大きなシェアを獲得するなど、産業界での3兄弟の活躍が注目されている。社屋全景経営者インタビュー【株式会社京江シャーリング】株式会社京江シャーリング 下河原英道 社長

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