view&vision46
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21特 集変化の時代を生き抜くFinTech活用46当てはめて減算や加算をし、課税標準が算出される。つまり、簿記上の技術と税法上の技術が融合することになる。 ところが、たとえGHQによる指令は出ても、それを実施する国民には何の知識もない。どうして良いのか国民は見当がつかない。そこで、当期利益を計算する専門家が社会的に必要になった訳である。当期利益の計算は普通ならば、複式簿記を駆使してできるものではあるが、当時は実際に複式簿記が解っている国民はほとんど居ないのが実態である。 そのため、大蔵省はNHKのラジオ放送で簿記講座を開講したとの記録が残っている。また、ウルトラCとして概算経費率が活用された。これは、売上高だけを把握して業種別の概算率で経費を算出して利益金額を確定する手法である。他にもさまざまな工夫がなされた。これが、国民がやっとの思いで申告納税制度を受け容れ国民皆納税に慣れようとする過程である。戦後の混乱はここにもあった。 そこで、当期利益を計算するところに、会計事務所のビジネスモデルが発生した。ITによるイノベーション3 戦後と現在の中間点で、ひとつのイノベーションが起こった。それは、IT化の波であった。ENIACからすると隔世の感がある。 ところが、15世紀末にルカ・パチオーリが『スムマ』を著わして以来、簿記は基本的に変化していない。いずれの簿記の教科書にも書いてあるように、簿記の技術を思い出してみよう。取引が発生すると、仕訳伝票を起票する。仕訳伝票には日付、借方、貸方、金額、付加価値税(消費税)があれば課税区分、摘要が記載される。仕訳に基づいてこれらを元帳に転記する。元帳に転記が終了すると、それぞれの勘定科目を集計して試算表を作成する。期末になると、試算表は決算修正仕訳を経て決算書になる。この工程は基本的にはルカ・パチオーリ以来変化していない。 そこに、当時のイノベーターたちは目を付けた。つまり、マンパワーによる決算書作成のプロセスを大幅になくせることに気づいたのである。つまり、起票した伝票をインプットすると、あとは自動的に決算書まで作成される道具を作った。今日考えると当たり前のように見えるかもしれないが、当時は驚異的なイノベーションであった。これが、会計ソフトである。 さて、当時は手書きの帳簿の技術者がいた。彼(彼女)らは簿記の資格を取得し、算盤のスキルを上達させ、決算書の大量生産の担い手であった。しかしながら、ITの登場というイノベーションは手書きの技術者を一斉に淘汰させるほどのパワーを持っていたともいえる。そこで、ITと手書きの技術者との、静かではあるが壮絶なバトルが繰り広げられることになった。これは、社員が一斉に辞表を出すような集団退職にまで発展したケースもあった。困ったのは、当時の会計事務所のオーナーの税理士などである。イノベーションを取るか、集団退職を避けてとりあえず事業の安定を計るか、の選択を迫られたのである。 この手のバトルはいつの時代でも存在する。新旧の技術の差がもたらすもので、よくある話といえばそれで済まされる程度のものかも知れない。しかしながら、当事者にしてみれば相互に存続を掛けたものとなっていた。消費税の登場4 1989年4月1日、消費税法が施行されるとこのバトルは終焉を迎えた、かに見えた。 会計帳簿を作成する過程で消費税は、もうひと手間かかることになった。つまり、コンピュータによる会計帳簿の作成過程では、仕訳の要素である借方と貸方のソートで完結できるものが、消費税の課税区分のソートが必要になった。つまり、2回のソートが必要になった訳である。これまでのように1回ならば手間を掛けても構わないが、これから2回の手間を掛けて分類することには、さすがの手書きの技術者もイノベーションに反対する説得力がないと見えたことだろう。 ところが、ここでの冒頭で「かに見えた」としたのには少し理由がある。あの消費税反対の嵐の中で、簡易課税が大幅に拡大されたのである。簡易課税は課税売上高の計算で済むために、大部分の中小企業は簡易課税の対象者になった。のちに長い時間を掛けて是正されることになったが、簡便な税金の処理と壮大な不公平とが並立することになった。かくして、消費税の

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