view&vision46
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3646トピックス21世紀の社会は、情報科学の世界で、複雑なことのデザインをきちんとやらなければいけないというのです。我々は世の中をつくることができるので、そのとき何が起こるかというのは、物理科学の原理だけではどうしても理解できません。第1原理が存在しないところで複雑な物を扱うのが、我々の社会問題に対するアプローチです。そうするとどうすればいいか、というと、シミュレーションが登場します。うまくモデルを作ってシミュレーションしなければいけないということになります。3.共通言語の必要性 しかし、その一方で、さきほどの神話の世界ではありませんが、世の中を単純にしてみたいのが人間の感性です。これをうまくまとめたのが、ノーベル経済学賞を受賞したカーネマンの『ファスト&スロー』という本です3。これを見ますと人は思いもよらないことは考えられないと、人は考えることをサボり続けるということが繰り返し述べられています。そうすると、要は我々の研究を進めていく中でも、どうしてもサボるほうが成果が出るようになります。そうすると、タコツボの中にいるほうが楽になってくるわけです。学問の世界で専門家になるためには、タコツボが必要なことは認めます。しかし、これはあまりよくないことだろうなというふうに、私は考えます。 タコツボの中にこもらないようにするためには、まず共通の言語を持ってくることが必要です。もし、共通の言語がなければ、それを作らなければいけません。この例として挙げられるのは、ちょっと不思議ですが、東洋医学で使う人体のツボの概念です。ツボはもともと人体に備わっていると考えられがちなのですが、実はツボは発明された概念です。なぜならば、流儀によってツボの位置も名称も少しずつ違うのです(図3)。 東洋医学は流儀によって、治療法が少し異なってはきますが、このツボの用語を使うことで、簡単に、知識が伝承できてしまうわけです。つまり、ツボに名前を付けるということ自体が、それによって診療方法を説明できるようになったというわけです。診療方法が説明できると、それによって、伝達が容易になるし、このツボの押し方は間違っているというような情報も伝えることができます。 ですから、複雑な問題をみんなで考えるためには、どこかで共通言語を持たなければいけないというふうに思います。それが、信じることなのですが、現在のように学問の進歩が早い領域では、これがなかなかできないわけです。意識的に共通言語を作る努力をしなければならないというふうに考えています。 共通言語の必要性について、こんな話があります。Complexity Science Hubはウィーンに最近できた研究所ですけれども、20年くらい前に複雑適応系で一世を風靡したサンタフェ研究所が最近元気がないので、それの代わりをウィーンにつくりましょうという意気込みでいます。研究所の本では、43人の科学者が、「複雑系」(complexity)について、それぞれ語っています4。その前書きの面白いところを意訳してみます。「複雑系の学問を進展させるためには、個々の研究者は、社会・人文科学も自然科学も問わず、それぞれの分野の専門知識を持つと同時に、ふたつの共通言語を持つ必要があります。それは、数学に関する基本的な知識とコンピュータモデリングができる知識です。専門知識と共通言語を持つことによって、はじめて学問の境界や社会問題の境界を破ることが可能となります。」私はこの内容に全面的に賛成するものであります。 そういうわけで、社会問題全般に対応するためには、横断型のアプローチがどうしても重要になります。例として、統計物理学のやり方に、非常に強力な平均場近似という手法があります。これを使うと、いろいろなモデルの解析に利用できて、近似的な計算ができるようになります。しかし、このためには、単純化するための仮定が重要です。その一方で、エージェント・ベース・モデリングでは、エージェントの挙動図3 共通言語の重要性•「ツボ」は発明されたもの•「ツボ」を使った診療方法の説明ができることが重要!

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