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4546 そこでこのような視点に対し、本プロジェクトでは教育学(教育史)の視座から、“スポーツ”、あるいは、“身体教育”に関しての考察を行いたい。 クーベルタンが近代オリンピックの着想を得たといわれるものの1つに、イギリスの男子パブリック・スクールにおけるスポーツの実践があるといわれることから、この様相を探ってみたい。また、その考察結果をもとに、女子教育を沖塩が研究関心としていることから、女子パブリック・スクールにおけるスポーツの実践の様相を探ることも現時点では考えている。(6)イギリス労働者階級とスポーツ クーベルタンの主導により近代オリンピックが始まった 1896 年は、イギリスにおいてヴィクトリア女王による統治が行われていた時代であった。ヴィクトリア女王の統治は、イギリスが産業革命をほぼ完了したとされる時期に開始する。1700 年代後半に始まったとされるイギリス産業革命は、イギリスの社会を大きく変化させた。資本家が台頭し、工場において綿製品や鉄といった商品が大量に安価で生産されるようになった。工場での生産が普及する以前のイギリス社会では、「ものづくり」の技能を保有することは希少であり、生産に携わる人々は、’artisan’として特権をもつ者としてあがめられていたことが当時の公的な文書(英国議会資料)などから確認される。 この’artisan’は機械化の進展によりその存在を変化させていったとされる。工場での機械を用いた生産では多くの不熟練労働者が雇用された。例えば、イギリス産業革命の中心となる産業の一つであった綿工業において、機械化の進展に伴い、布をつくる職人であった「手織工」が力織機に仕事を奪われ、その労働力としての役割に終わりを迎えたとされてきた。 しかしながら実際には、産業革命が終わりに差し掛かりヴィクトリア女王の統治が始まる頃においても、「手織工」などをはじめとする昔からの伝統的な技能を保有していた熟練職人は存在し続け、機械生産とは異なる種類の商品の生産を行っていたことが当時の一次史料(英国議会資料)からうかがえる。そして、熟練労働者であった「手織工」たちは、読み・書き・算術をはじめとする教育を受けていたことも一部確認された。 つまり、クーベルタンが近代オリンピックを提唱した19世紀終期は、古くから続く技能をもつ熟練労働者と新しく誕生した工場で雇用された不熟練労働者が混在する形で、イギリスの経済が展開されていったといえよう。産業革命が始まる以前の社会とは異なり、「労働者」という存在が社会に出現し、そして彼らは職人たちと一緒に共存するという新しい社会が誕生していったと考えられる。すなわち、社会の構造が18 世紀とは大きく変化していたのであった。 このような社会経済のなかで、クーベルタンはその後 100年以上続く「階層に関係なくさまざまな人々が参加する国際的なスポーツ大会」となる近代オリンピックを提唱したのであった。つまり、富裕層だけでなく、労働者階級も参加する国際大会の萌芽である。 そこで、本プロジェクトでは、このような社会・経済背景の下提唱された近代オリンピックが、結果すべての階層に普及していった経済的・社会的要因を 19 世紀の経済・社会に関する一次史料の分析・考察を通じて明らかにしていきたいと思っている。2.ギリシアでの海外調査について 本プロジェクトでは、啓蒙主義思想と古典古代の受容との関係を主な視点の一つとしてオリンピックについての考察を行っていく。そこで、次の諸点に着眼してギリシアでの調査を行う予定である。1.オリンピック復興に直接的な影響を与えた遺跡オリンピアとデルフィ訪問と、現地博物館での発掘の歴史についての調査(オリンピア・デルフィ)。デルフィのアポロン讃歌の現物を見ることは、19 世紀の上流階級、知識人階層の人びとの共通の知がいかなるものであったかを体感できる。実際、少なくとも18世紀以降1970年代くらいまでは、政治演説ほかの演説において、いかに古典古代の文献の引用を原文(ギリシア語・ラテン語)でできるかが、説得の重要な要素であった。2.啓蒙主義時代にヨーロッパ知識人に理想視されたスパルタの調査(スパルタ)。18,19世紀の文献の理解に重要である。ギリシア人の詩においても、バイロンの詩においても、ルソーにおいても同様である。3.第1回近代オリンピックの開催されたパナシナイコスタジアムの発掘、修復、復元に関する調査(アテネ)。

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