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4647千葉商科大学様におかれましては、創立90周年を迎えられ誠におめでとうございます。普段から何かとご縁をいただいております御校経済研究所の機関誌の90周年記念号に、私のエッセイを寄せさせていただく機会をいただいたことを大変うれしく思っております。家業の建材店から生コン会社を立ち上げて以来55年、また浦安商工会議所の会頭職を拝命してからすでに15年の年月が過ぎ、2017年には御校および一般社団法人千葉県ニュービジネス協議会様と三者包括協定を締結させていただいております。この間、社会的な活動にも、皆様のご期待に応える形で多く関与させていただきました。これらのほとんどは、ご承知のように、女性が関わることが少ない、男性主体の分野でした。そのような経験を踏まえて、ちょうど私もここ数年をかけて、いろいろな方のご協力を得ながら、このような男性主体の社会を応援する女性の組織を作り上げたところです。そこで、そこに至る経緯などをお話しできればと思います。私共の山一興産株式会社も、関東圏でトップクラスの生コンクリート販売会社と言っていただけるようになりました。しかし、女性経営者として建設業界で60年目を迎えるまでには、大変な苦労も経験してまいりました。私の生家は、江戸川区で農作業の傍ら建材店を経営していましたが、5歳の頃に父が戦争から復員し、その後まもなく亡くなりました。そのため、私と兄は、戦後の激動の中に残された祖母と母が懸命に働く姿を間近に見て育ちました。しかし、母が家業を継いで軌道に乗った頃に母もまた若くして他界してしまいました。その後、ちょうど私が18歳の頃でしたが、残された兄と二人三脚で建材店を切り盛りすることになりました。兄の提案で、当時は業界でも珍しかったミキサー車を買って製販一体のニュービジネススタイルをいち早く取り入れました。商売は何度も挫折しかけましたが、兄が弱気になった時も「もう少し頑張ろうよ」と励まし、人員整理や資金繰りなど私がやれることは一生懸命やりました。その間、世の中ではトラックの交通事故多発による生コン材料の積載制限が厳しくなるなどの問題が起きていエッセイ女性が活躍する社会での役割~光り輝く女性の育成を目指して~山一興産株式会社 代表取締役社長浦安商工会議所 会頭柳内 光子YANAI Mitsukoプロフィール1939年東京生まれ。1963年に内山コンクリート工業(現内山アドバンス)、1969年に生コン・建設資材総合商社山一興産㈱を設立する。当時、男性中心の生コン業界における革新的なアイデアと経営手法、営業力を発揮して、業界を刷新するリーダー役として活躍してきた。現在は、少子・高齢化する社会の進行を考慮し、1998年に社会福祉法人豊生会(現江戸川豊生会)を設立し、福祉事業、高齢者の介護・リハビリに貢献する医療法人社会健勝会、子供に寄り添う保育者の育成を目指す学校法人草苑学園の運営など、社会的活動に力を入れている。2004年には、浦安商工会議所会頭に就任し、2007年には藍綬褒章、2012年渋沢栄一賞、2014には春の叙勲で旭日小受章を受賞している。明治大学専門職大学院ガバナンス研究科で公共政策修士(専門職)の学位を取得。最近は、輝く一流の女性を育成する組織(一社)日本女性経営者協会の創設に携わっている。男性中心の業界で生きて

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