cuc_V&V_第52号
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152巣鴨商業学校設立趣意書における「武士的精神」の意味プロフィール1999年慶應義塾大学大学院文学研究科史学専攻博士課程修了。2002年博士(史学)取得。2004年政策情報学部助教授就任。2014年に教授を経て、2021年より政策情報学部・学部長。専門は、歴史考古学・民俗学・地域文化政策。千葉商科大学政策情報学部 学部長 教授朽木 量KUTSUKI Ryo「今日商業道徳ノ頽廃ハ頗ル寒心スヘキモノアリ。外国貿易ノ不振モ畢竟此処ヨリ来ル。故ニ実業家トナルヘキ者ニ商業道徳ヲ吹キ込ミ殊ニ武士的精神ヲ注入スルハ最モ急務ナリト謂ハサルヘカラス」。この文章は遠藤隆吉先生が巣鴨商業学校の設立趣意書で述べた文である。本稿で問題としたいのは、この「武士的精神」とはどういうものかということである。「武士的精神」を「武士道」と混同して短絡的に結びつける言説は、千葉商科大学のホームページをはじめとして散見されるが、「武士的精神」と「武士道」は本当に同じものであろうか。その答えに辿りつくには、先に引用した設立趣意書中の文の続きを読む必要がある。先の文の直後には、「設立者ハ深ク之ニ留意シ東洋主義ヲ以テ生徒ヲ訓陶シ其ノ上商業行為ヲ運用セシメントス」という文が続く。したがって、「武士的精神」とは「東洋主義」を指しているのである。武士道というと、一般には、新渡戸稲造の『武士道』や山本常朝の『葉隠』、山鹿素行の『士道』などが思い当たるが、遠藤隆吉先生はそうした日本の思想だけでなく、東洋思想に重きを置いておられたようである。東洋主義については、遠藤先生の著書『巣鴨精神』の中で、「今日の常識の如きは西洋的のものであるが、十分之を備へなければならぬ。余は西洋の智識を得る点に於ては最も熱心である。殊に最新智識といふことに不断着目して居る。であるから東洋主義といふても何でも東洋が宜いといふのではない。道徳は東洋に長所があり、特色があるから之を保持し、発揚しなければならぬ。其の外のことに付いても東洋の美点は飽く迄も之を保持せよ、一概に之を捨ててはならぬといふのである」と述べて、道徳・倫理の方面で東洋の長所を強調しておられる。さらに、千葉商科大学本館6-2会議室に掲出されている『家学の書』では「中学諸生読む処の漢文読本は自らにして難く、日本外史より始め十八史略を経て、唐宋八家に入り四書に及ばざるなり。たとえ之を読むも、又唯、抄本にて其の全約を得ざるなり(読み下し・句読点は筆者、以下同じ)」と指摘し、「四書を先にして漢唐を後とす。本より末、学ぶ者、共にその知る可きを知る。知らずして以って学を論ずる無きなり」と述べて、学問の原典たる四書五経を大事にする立場を明確に示しておられるのである。8歳にして『大学』『中庸』を諳んじていた遠藤先生のお考えは、この『家学の書』に見られるように直接原典にあたって孔子・孟子の真意を汲もうとするものである。その考えは伊藤仁斎らの古学派のそれに他ならない。『巣園自伝』にて遠藤先生の師匠の名は知れるが、その師匠が儒学のどの系譜を引くものであるのか寡聞にて知らないため、遠藤先生が古学派の流れを汲むかは分らない。しかし、遠藤先生はその膨大な著作の中で、たびたび伊藤仁斎を引用しておられるので、『家学の書』を著すにあたり、古学派の影響は少なからずあったと思われる。話を戻すと、『家学の書』にあるように、頼山陽の『日本外史』を読むよりもまず『論語』『大学』『中庸』『孟子』の四書を読むべきとする遠藤先生が強調する「武士的精神」と「東洋主義」とは、日本国内のみの思想として大成された「武士道」のように狭いものではなく、武士が素養として身に付けていた東洋思想そのものをさすのではないだろうか。そう考えると、遠藤先生の膨大な著作の中に、新渡戸稲造や『葉隠』といった「武士道」関連の著作への言及がほとんどないことにも合点がいく。巻頭言というエッセイだからこそ実証主義的でなく、憶測を含んだ書き方をしてきた。しかし、現状の私ではここまでの考察が限界である。第2期中期経営計画に盛り込まれた「遠藤隆吉研究所(仮称)」が実現し、遠藤先生の師匠の漢学者の学問的系譜が明らかとなるとともに、遠藤先生の思想が多くの研究者の手で詳しく研究されることが望まれる。巻頭言

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