cuc_V&V_第52号
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36倫理への学:温故知新と実学の可能性―CUCの倫理教育の前提要件とはなにか―千葉商科大学基盤教育機構 専任講師枡岡 大輔MASUOKA Daisukeプロフィール明治学院大学大学院国際学修士、早稲田大学大学院学術修士、博士課程修了。東京工芸大学、帝京平成看護短期大学、千葉商科大学非常勤講師を経て千葉商科大学専任講師。共著『知識ゼロからの哲学入門』(幻冬舎)他。そもそも論Ⅰ:CUCの建学精神と教育理念について共通認識を持っていない件1 千葉商科大学を構成する5つの学部と基盤教育機構において、各学部と機構が設置する科目の単位授与方針は、千葉商科大学の建学の精神と教育理念に基づくものとされている。つまり、そうでない教育は「千葉商科大学」の教育ではない、ということになる。それだけ、建学精神と教育理念とは、学生のみならず、私たち教職員すべての千葉商科大学における教育(学修)に関する活動の共通基盤であり、実行方針であり、判断の大前提である。けれども、その肝心の建学精神や教育理念について、どれくらい私たちが共通の了解をもって共有できているかと問うと途端に心もとなくなる。実際、建学精神と教育理念は大学公式ホームページに掲載されている説明や、あるいは、各所における様々な説明に頼るばかりとなっている感がある。勿論、学則や各種報告書、あるいは遠藤隆吉先生の著書や関連図書を熱心に読まれている方もいる。だが、いずれにせよ建学精神と教育理念についての了解は、良くも悪くも、各々の〈良心〉に任されているとしかいいようがない状況だ。「実学」「実社会に役立つ学び」「天道の自ら至るを畏れ」「武士的精神」等々、様々なキーワードがいくつも耳に目に触れる。私たちはおのおのの〈良心〉に基づいてそれらの意味するところを解釈している。だが、その意味を一歩踏み込んで問うことは稀ではなかろうか。「実学」の「実」とはどういう意味であるのか。「役立つ」とはどういうことか。「天道」とは何で、それが「自ら至る」とはどういうことか。そもそもそれは可能であるのか。あるいは、それ自体を「畏れる」とはどういうことなのか。それがいかにして可能であって、可能でないのか。「武士的精神」とは武士道のことなのか。あるいは、それを中心に考えるとしても、そのような「精神」を論じる上ではどう考える必要があるのか等、いちいち考えたり、議論したりしない。そういうわけで、建学精神や教育理念を厳密に「定義」はしない。あるいは、程よいところに収めてある、ということになろうか。こうした暗黙の配慮(?) の裏側に何があるのだろう。定義を厳密化すればするほど、要求が当為者の人格や精神を圧迫し、多様な解釈の幅を認めない無思想な―断定のためだけの―強制になり下がる、といったようなことが、多くを語る必要もないほどに、千葉商科大学の教職員のあいだでは陰に陽に共有されている、ということであろうか。いや、いっそ、誰もみな「それとして、あえて問いかけたりしていない」だけではなかろうか。特 集52特 集CUCの倫理教育CUCの倫理教育

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