cuc_V&V_第52号
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4252トピックス問題の所在現在、我が国におけるCSRの認識は、企業がマルチステークホルダーに対し、サステナビリティという責任を担わなければならないというものになっており、このような認識に基づき、我が国におけるCSRは、ISO26000やESG投資、また、SDGsといった昨今の世界的な潮流と結び付きつつある。言い換えれば、我が国のCSRは国際的な枠組みとの親和性を日々強めていっている。しかし、この傾向は、決して一朝一夕になったものではなく、20世紀後半における我が国のCSRの発展の歴史の延長線上に位置しているものである。そもそも、我が国におけるCSRの端緒をなしているのは、1950年代からアメリカで注目されるようになった「企業と社会」論の発展である。この「企業と社会」論は、企業活動と市場社会が相互に関わる幅広いテーマを分析の対象とする学問分野である。この分野においては、1960年代に「企業の社会的責任」論がまずは展開され、1970年代において「企業の社会的即応性」論に関する議論が深められていくことになった。さらに、1980年代に至っては、「企業と社会」論において、倫理性が問題となり、企業倫理学が注目されることになる。そして、1990年代に入ると、「企業と社会」論における主たる論点は、「慈善原理」と「受託原理」という二大原理のもとに整理されていくことになる。我が国のCSRは、このような「企業と社会」論の強い影響下にあり、この分野の進展とともに、我が国のCSR論も発展していくことになった。しかし、このような「企業と社会」論は、1950年代から90年代にかけて、様々な議論がなされながらも各企業が自主的に取り組むものに過ぎなかったのである。他方、「企業と社会」論が確立していった20世紀後半においては、環境に対する世論の関心も同時に高まっていった。例えば、1961年には、自然保護、特に野生生物を保護するための基金を確保するアムネスティ・インターナショナルが創設され、1972年にはストックホルムで国連人間環境会議が開催された。また、1970年代における2度の石油危機を契機として、世界は永続的な経済成長に対する信奉から持続可能な社会の構築へと舵を切っていくことになる。この潮流はその後も衰えることなく、1992年にはリオデジャネイロで国連環境開発会議が開催され、1997年には、京都議定書の締結により、二酸化炭素の排出量の削減目標が法的拘束力を持った形で具体的に設定されるまでに至った。実際、このような深刻な気候変動をはじめとする様々な社会課題は、企業にとって経済リスクになることを喚起させていくことになる。つまり、このようなサステナビリティといった考え方は、世界の企業家たちに対し、価値観の転化を求めていくことになったのである。そして、1990年代後半から、マルチステークホルダーに向けた企業展開が企業のスタンダードになっていった。現代CSR論への視座千葉商科大学サービス創造学部 准教授滝澤 淳浩TAKIZAWA Atsuhiroプロフィール1989年明治大学商学部卒業、山一證券株式会社入社。1998年加賀電子株式会社入社。広報室長。広報、広告宣伝、IR、CSR担当。2015年より現職。

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