cuc_V&V_第52号
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5152トピックスよう。例えば、1991年にキャロルが考えたCSRピラミッドはまさにCSR積極論と消極論とが統合されていく考え方である。第1章で2006年にキャロルが行き着いたこのCSRのピラミッドの考え方は、インテグリティといった新たな概念によって環境と開発との統合を強化していくものとなった。改めて言えば、エルキントンのトリプルボトムラインがより鮮明に理論化されていくことを意味している。さて、今みたインテグリティといった考え方であるが、ペイン24の企業が倫理的であるためのアプローチから起因している。ペインはまず、コンプライアンス・アプローチである倫理的であることは法令を遵守すること、すなわち合法であることこそが倫理的だといった認識に立つ。一方、ペインはインテグリティ・アプローチという視点を新たに持ち、コンプライアンス・アプローチよりも幅広い、むしろ原則に従った自己規制に焦点を当てた。では、この理論のもとでキャロルの理論を考えていきたい。キャロルのピラミッドモデルはCSRを社会的責任、法的責任、倫理的責任、社会貢献的責任という4つのパートに分けて考えるものであるが、ピラミッドモデルは最下層に経済的責任、その上位に法的責任、さらに上位に倫理的責任、そして最高位に社会的責任とおいている。ここで注意すべき点はキャロルがこのピラミッドを責任の順位付けで示したものではないということである。つまり、あくまでもCSRとは企業に経済的、法的、倫理的、社会貢献的責任を同時に達成させることを求めるものなのである。このように考えると経済的責任と社会貢献的責任は企業に対して役割として期待されているとみることができ、それは「役割期待」と言える。他方、法的責任と倫理的責任は、企業が役割を果たす過程で適切に行動する、あるいは行動の結果に対して適切に対処することへの期待、すなわち「行動期待」と言えるだろう。さて、ここでインテグリティについて確認すると、インテグリティとは企業の誠実さを示す意味を持つ。実際、CSRが社会的責任を担うにあたりコンプライアンスといった法令遵守が期待されるが、しかし企業は法を守るだけで良いのかといった考え方に帰着する。それは「企業と社会」論が「社会的責任」論から「社会的即応性」論に展開していった時にそこに倫理性が求められ、その後企業の倫理学へと進展していったことと同意である。つまりコンプライアンスが遵守されたとしても企業に求められる経営行動はコンプライアンスを超えた誠実さなのである。つまり、キャロルの新たなピラミッドモデルに対する考え方はこの法的責任と倫理的責任といった企業として当然行うべきコンプライアンスの面からみた行動期待よりも、経済的責任と社会貢献的責任に求められるインテグリティとしての役割期待を重視した。このように考えると、1950年代から始まる「企業と社会」論の企業への役割が経済行動といった利益活動にとらわれたため、その弊害として社会といった3つの圧力にさらされ、特に環境アセスメントという形で法的に整備されてきており、その意味でもコンプライアンスという考え方が時代とともに相互作用によってCSRを刺激している。特に1992年にISO14000シリーズである環境マネジメントを誘発する国際標準規格はこういったインテグリティの考え方によりISO26000への転換を促すものになるのである。よって、第1章で1960年代からの「企業と社会」論とSDGsの比較は、もはや2015年にSDGsが構想されることを予見できるものであったと言えよう。最後に、エルキントンはトリプルボトムラインを突然思いついたことではないと述べている。それはこのような経済と社会と環境との歴史を振り返った時、当然の帰結としてエルキントンにも連想できたことであろう25。エルキントンは、トリプルボトムラインのスタートを次の図表3の「トリプルボトムラインの離陸」から説明している。つまり、エルキントンの示した経済、社会、環境といった3つの観点から企業活動をバランスよく評価し、地球環境全体の視点からグローバリゼーションの進展とともに「持続可能な発展」を促していくといった考え方はこの企業の社会的責任であるCSRと今述べた持続可能な発展(SD)とがクロスオーバーしていくと言い換えることができる。つまり、このような1960年代から2000年代までの企業、政府、社会をしっかりと捉えることで現在のSDGsの本質を理解することができるのである。24リン・シャープ・ペイン『ハーバードのケースで学ぶ 企業倫理』(梅津光弘・柴柳英二訳)慶応義塾大学出版会、1999年、79-82ページ。25ヘンリクス他編、前掲書、7ページ。

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